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アイデアノート17 生きがいと越境 労働時間が短い方が稼げる理由 (タイム・タレント・エナジー)
生きがいイノベーションと越境
生きがいイノベーションを考える上で、必要となるのは個人を縛る壁を越境することである。カネがなくて自分の買いたい商品が買えない、仕事で帰れない、日曜日の終わりになると次に来る平日が億劫になる、子供と一緒に過ごす時間が短い、納期までに仕事を詰め込まないといけない、やりたいことができない、朝人混みの通勤電車に詰め込まれる、毎朝定時に出社しないといけない。など多々ある。
自らが真に行いたいことができないという不満こそが、生きがいを阻む。これが最大限に生きがいを得ることを阻害している。そして、欲求が次の発達段階にたどり着くための鍵となる。
つまり、越境型ヴァイオレットパラダイムを持つとき、欲求不満は越境により対処する。これが自ら発達段階を上げるのに重要となる要素である。
固定された仕事により、人は日曜日の終わりに翌日を億劫に思うようになる。ということは、仕事と休暇の越境を行えばこれを乗り越えることができる。これは、休日も働けというブラック企業の押し問答ではない。むしろ、毎日が社会貢献活動のある日曜日だと考え、仕事に休暇を持ち込むことで楽になるための理論だ。こうした価値観から、発達段階が進むほどに組織の仕組みは、フレックスで個人別採算方式へと向かっていく。
このように越境をすることで、休暇はアイデアを生み出すための創造的休暇となり、仕事は休日に行う社交と同じものだと捉えることができる。こうなれば、仕事を億劫に思わず、休みながら仕事をしている状態にすることができる。このように考えることで、人々の生きがいの障壁とは何か?を考えることができるようになる。
労働時間が短いほど稼げる理由
そして、こうした思考ができるようになることがどうやら、今の日本の正規労働者の基準から見れば労働時間が少なければ少ないほど稼げるというデータにも現れているのだろう。
これは、マクロ~ミクロで共通している。最もマクロな国の生産性と労働時間の関係でも、1600時間の壁で示したように少なければ少ないほど稼げる傾向にある(1200時間以降も少ないほど稼げるかはデータがないため不明)。
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つまり、一人当たり生産性から見ても労働時間が低いことが国の競争優位につながる。
さらに企業別でも労働時間が比較的に短い、島津製作所、富士フイルム、キヤノン、ソニー、日本オラクル、東京エレクトロン、味の素、第一三共などは高い生産性を上げている(これらの企業は早い時期にグリーンパラダイムになったことで競争優位を手にしたと考えられる)。そして労働時間が短いがために優秀な人材が集まっている。オレンジ型パラダイムから見てもどうやら、労働時間は短い方が良いようだ。
これを考えると、スタートアップを起業する場合、できるだけ(そうしたくない格段の理由がなければ)個人別採算方式を採用し、賃金よりも労働時間を短くしておくと良いと考えられる。ちゃんと休みを取る。また、自らの賃金を貰うのを先延ばしにして投資に回すことで、更なるリターンを得るといった価値観を土壌に組み込むことも望ましい。こうした発想も、どうやら高次の発達段階では自然と見られる現象のようだ(インディゴパラダイムの知り合いもそのような価値観を持っていた)。
しかし、これについても生きがいが望むのであれば更に働くことも可能である。重要なのは、生きがいがそれを望まないならば短い程よいという点だ。
(I生きがい>A知の統合 の関係より)
つまり、逆に言えば労働時間が長くても業界の中で競争優位を保つ企業にはそれだけ働き方がいがある(故に高い力を発揮している)とも言える。
さらに個人レベルで見ても労働時間の短さを賃金より優先した人の方が幸福度が高いという傾向もある。
そもそも企業の目的は、人々の知を結集させ、一人でできないことを全員でできるようにすることにある。つまり、知を結集することが目的であり、それを考えると知を集めるのに最適な労働時間こそが、理想の労働時間である。
しかし、問題はそれよりも「もっと労働時間が少ない方が稼げ、よりイノベーションを起こして社会に貢献できる。だったら会社に長くいる必要はない。しかし、会社がアンバー型的な習慣を残しているせいで、自滅しており、それを変える力がアンバー型なせいで自分にない」ということだ(もちろん、この損はエゴや生きがいの力ほど強いわけではない)。
これを脱するにはやはり、この労働時間が少なければ少ないほど稼げるという事実を受け入れ、組織改革を行うしかない。なのでティール型以降の組織は概ね本人が望まない限り、労働時間が短い。
そして、最も重要なことだが、やる気がある人はない人に比べ生産性は3倍も違う(タイムタレントエナジー)。さらに労働時間が短いと、労働時間政策を考えるようになり、自ずと生産性が上昇する。
つまり、やる気がある時だけ働くというのは超合理的な選択である。もちろん始めてからやる気が出るという側面もあるため、始める時間や行動は自主的に習慣づけておき、始めた時にやる気がでるかを判断するのが望ましい。
とはいえ、こう言うこともできるだろう。
時間の量が価値を生み出しているのではなく、本人の幸せや生きがい、やる気が価値を生み出しているのだと。
だからこそ、幸福や生きがいを先に究極化させてしまい、その結果生み出されるものは何か?で考えることが、より高次の発達段階で考えられるようになるのだ。
自分が生きがいに何を望むかではなく、生きがいが自分を通じて何を望むか?であることの意味もこうしたことにあると言える。