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今、私が読んでいる本。『がんばることをやめられない コントロールできない感情と「トラウマの関係」』/鈴木裕介さん

こんばんは。
今日も出勤できませんでした。

本題から唐突に入る形式。(笑)
でも、そろそろかなという感じはします。

とにかく「欲張らない」ことが
自分のためになると分かったので、
今日も私は欲張りませんでした。
(ちょっと言い訳がましいですが)

本当なら今日から出勤したかった。

なんなら、昨日の夜の時点では
「明日、出勤できそう」なんて思っていた。

でも、やっぱりその日の体調は
その日にならないとどうしても分からなくて。

朝、起きようと思った時に
「あれ?」という違和感から
みるみる動悸がして焦りに変わり。

気が付けば涙が止まらなくなり、
こんなはずじゃなかったのに、と。

自分が自分に期待してしまっていた分、
今日仕事ができなかったショックは
それなりに大きかったです。

ただ、やっぱりその日にならないと
その日の状態は分からないので、
安直なことを言うのはやめよう……
とも思った一日でした。


こうしてメンタルが不調になると
つい、本を読み漁ってしまう私。

こういうことをしているから、
治りが遅いのかもしれませんが。

どうしてもメンタル系の本とか対策本とか、
そういうのを読みたくなってしまう。

というか、現状をどうにか変えたくて
つい頑張ってしまうんですよね。

どこまでいっても頑張り屋さんの自分が
ひょっこりと顔を出してくる。

今回も例にもれず、こちらの本を読んでいます。

著者の鈴木裕介さんは
「我慢して生きるほど人生は長くない」や
「メンタル・クエスト」
といった本も出版されていて。

ほとんどの書籍は読んだのでは、というくらい
お世話になっている方です。

今回の「がんばることをやめられない」も
タイトルからしてまさに自分にぴったり。

少しでもこの生きづらさをどうにかできれば、
なんて気持ちで手に取りました。

まだ半分くらいしか読めていませんが、
共感する箇所がいっぱいありすぎて
(電子)書籍がマーカーだらけに。

少しだけ引用させていただくと。

一般的には「感情をマネジメントし、コントロールするのが大人である」という考え方が浸透していると思います。しかし、その考え方は理性では到底コントロールできない、圧倒的な身体感覚を持って襲いかかってくるレベルの感情に苦しんでいる人をさらに追い詰めてしまうおそれがあります。

がんばることをやめられない コントロールできない感情と「トラウマ」の関係/鈴木裕介


この本では、人間の生存戦略として
あまりにも辛い出来事や危機的状況となった時、
私とは別の「わたし」にその感情を
引き受けてもらうことで
本来の「私」を守るのだと説明されています。

そしてこの「わたし」には
色々な「わたし」がいるようで。

嬉しい感情を引き受ける「わたし」がいたり
怒りの感情を引き受ける「わたし」がいたり
寂しさの感情を引き受ける「わたし」がいたり。

そんな色んな「わたし」に
大きな感情を引き受けさせることで
本来の「私」が理性的でいられる、と。

ちょっと私自身の解釈も入ってきているので
説明が正確じゃなかったらごめんなさい。

そして、いつもなら本来の「私」の
かげに隠れている「わたし」が
何かをきっかけにブワッと出てきてしまう。

コントロールできない感情は、
この「わたし」が爆発して出てきたもの。
そのようにここでは説明されています。

よく「アンガーマネジメント」と言って
怒りの感情をコントロールする方法、などが
書籍化されていたりしますが。

こういった方法は、比較的軽度なものには
効きうるもの、マネジメントしうるもの。

ただ、トラウマ=「わたし」のように
強い感情が引き起こされると、
それをコントロールすることは
なかなか難しいようです。

そんな強い感情をコントロールできないことに対して
「マネジメントができていない」といった風潮は、
その人自身を深く傷つけてしまう恐れがある。

トラウマによる感情と一般的な感情は
苦痛のレベルも対処法も全く違う。

そのため、分けて考える必要がある、と
著者は本の中で説明しています。

私自身、こういう心理系の本をよく読むのですが、
心理学って本当に奥が深くて、
少し知識を得たからって他の人に当てはめると
相手を深く傷つけてしまいかねないな、と思いました。

知識は知識として習得するのはよいですが、
それを振りかざすのはまた別の問題ですね。

 このように、自分の都合を度外視してまで相手を喜ばせることに必死で、かつ客観的な評価からは想像もつかないほど自己評価が低いため、暴力的・依存的な相手にひたすら尽くしていたり、自罰的なまでに過酷な環境で働き続けたりしています。
 さらに状況を悪化させているのは、こうした態度が「察する文化・他者本位・和をもって尊しとなす」といった、いわゆる我が国の美徳と見事なまでに嚙みあってしまっていることです。
 「美徳」とされる生き方を忠実に体現する姿勢に、まさかトラウマ反応としての側面があるとは夢にも思わないでしょう。こうした事実を、どうか知ってほしいという気持ちが、本書を書く大きなモチベーションになっています。

がんばることをやめられない コントロールできない感情と「トラウマ」の関係/鈴木裕介


ここはもう、私自身を体現しすぎていて
全てマーカー引っ張ったところです。

もはや画面全てが黄色いです。(笑)

でも、こういう方ってnoteを
書いてらっしゃる方に多いんじゃないかな、と。

私のような人間は、人に素を明かすのも苦手。
自分が何を考えていたのか、何を思ったのかも
その場では分からず、後から分かるタイプ。

そんな時、ふと振り返ったときに
沸き上がった感情のやり場がなくて、
ついnoteに書き起こしたりします。

もはや無意識レベルで人に気を遣っている、
と言っても過言ではないくらい。

私なんて旦那さんにも気を遣ってますし!
これは結構あるあるなのでは?

私自身、「どんな日本人よりも日本人らしい」
なんて会社の人に言われたりします。

これはきっと、引用されているような
「人の顔色・気分を察すること」
「他者を優先すること」
「場の空気を読むこと」が
高いレベルで出来ているからなんでしょうね。

とはいえ、全然嬉しくないですが。(笑)

私もやりたくてやっているというより
勝手に、自動的に、反射的にやっている、
という表現が近いと思います。

この本を読み進めることで、
少しでも自分のことをよく知って
自分を労われる人になりたいな。

本来の「私」も私。
他の「わたし」も私。

その存在をまるっと受け入れたうえで、
確かに「わたし」を作っていないと
やってられなかったよね、大変だったよね。

「わたし」がいなかったら
きっと今の私はこうして生きていないかも。

「わたし」が身代わりになって
私をたくさん助けてくれてたんだね。

だから、ちょっとしたことでつい不安になって
「わたし」がグイっと前に出てきてしまうんだね。

そんな風に、他の人を労わるように、
自分のことも労われたらな、と思います。


……なかなかそうは言っても、
実行できていないんですけどね。(笑)

さて、そろそろお風呂に入ろうかな。
お風呂から上がったら本の続きを読もう。

明日は勤務できるかどうか分からないけど、
明日のことは明日に任せよう。

というわけで、今日も暑かったですね。
本日も一日、お疲れさまでした。

みなさま、良い夢が見られますように。
おやすみなさい(*'ω'*)

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