完璧な文章/「風の歌を聴け」村上春樹/あるいは、手作りの散文図鑑://引用の餛飩(ワンタン:hun-tun)
No.1:真ん中に一本の線が引かれたノートの右側と左側/ノートの上に昼と夜の時間が流れ、音楽/言葉が燃え上がる。
「それが落とし穴だと気づいたのは、不幸なことにずっと後だった。僕はノートのまん中に一本の線を引き、左側にその間に得たものを書き出し、右側に失ったものを書いた。失ったもの、踏みにじったもの、とっくに見捨ててしまったもの、犠牲にしたもの、裏切ったもの、裏切ったもの・・・僕はそれらを最後まで書き通すことはできなかった。」 (「風の歌を聴け」村上春樹 P12より引用)
ノートに引かれた一本の線/右側と左側/光の中にあるこちらと、影の中にあるそちら/向こう側と此方側/「踏みにじり見捨て犠牲にし裏切ったものたち」の姿/白いノートに引かれた一本の線の向こう側の闇の中で輪郭の定まらない影のようなものたちが蠢く/それらは光を畏れるかのように向こう側に留まり続ける/震えながら/ノートの上に昼と夜の時間が流れ/燃え上がる音楽/
一本の線が引かれたノートの上に生の痕跡として言葉が刻み込まれる。誰かに見せるためでもなく誰かに聴かせるためでもなく誰かに読まれるためでもなく、「踏みにじり見捨て犠牲にし裏切ったものたち」の姿を記憶するために、言葉が書かれる。歓びと悲しみと痛み、その孤独を受け入れるために。
No.2:どんな長い物差しでもその深さを測ることができない/正確で鋭利な刃物のような言葉が深く沈んで行く、あるいは、長編小説の理由
少し、ページを逆にめくり、時間を遡る。さらにその後、ページを再度めくり、時間を進展させ、前後を入れ替え組み立て直す。
「しかし、正直に語ることはひどくむずかしい。僕が正直になろうとすればするほど、正確な言葉は闇の奥深くへと沈みこんでいく。」 (「風の歌を聴け」村上春樹 P8より引用)
「僕たちが認識しようと努めるものと、実際に認識するものとの間には深い淵が横たわっている。どんな長いものさしをもってしてもその深さを測りきることはできない。」(「風の歌を聴け」村上春樹 P12より引用)
言葉が「どんな長いものさしをもってしてもその深さを測りきることはできない」深淵の闇の奥深くへ沈み込んで行く。その言葉が正確であればあるほど、それは深く沈んで行く。まるでその正確さが手入れの行き届いた肉切り包丁の鋭利さそのものであるかのように、研ぎ澄まされた刃がその深さを測ろうとして深く世界を切り裂き沈んで行く。その結果、多くの言葉がその過程を記述するために溢れ出ることになる。長いものさしと切り開かれる世界
だから、長編小説が生まれることになる。なぜ、長編小説が存在し、なぜ、あれだけの厖大な量の言葉で作られた物語が必要とされるのか、その謎の一端が垣間見えることになる。「長いものさし」が差し込まれ測られることになるその深い闇の奥。そして、あらためて言うまでもなく村上春樹さんが長編小説という形式を用いるその根拠もここに存在している。長編小説の理由
長編小説とは世界の深淵に差し込まれ/刺し込まれた、その深さを測るための長いものさしなのだ。その夥しい量の言葉たちが光と闇の交錯の奥を語る。
No.3:「小説でも文学でもなければ、芸術でもない」ただのリスト/深夜の冷蔵庫のある台所で言葉が書かれる。//ここに存在しない未来のために、真夜中の書き手を祝福せよ!
「僕がここに書きしめすことができるのは、ただのリストだ。小説でも文学でもなければ、芸術でもない。まん中に線が一本だけ引かれた一冊のただのノートだ。教訓なら少しはあるかもしれない。」 (「風の歌を聴け」村上春樹 P12より引用)
「夜中の3時に寝静まった台所の冷蔵庫を漁るような人間には、それだけの文章しか書くことはできない。/そして、それが僕だ。」 (「風の歌を聴け」村上春樹 P13より引用)
「小説でも文学でもなければ、芸術でもない」リスト/一本の線が引かれたノート/冷蔵庫のモータの軽い低音に満たされた、夜中の台所の小さなテーブルの上でノートが開かれる。/一本の線の向こう側とこちら側、得たものと裏切ったもの、昼と夜が現れ、物語が始まる。/はじまりはいつも小さなテーブルの上からだ。仮にその終わりもその小さなテーブルの上であったとしても、そのリストが誰からも顧みることがなかったとしても、その言葉が現実の中で誕生したということは何も変わらない。その言葉は出現したのだ、世界に
/「誰にも読まれなかった言葉に意味が存在するのか?」と問う愚かなる者がいれば、答えよう。「読まれなかった言葉など存在しない。それは書かれたその瞬間に読まれたのだ。その言葉の書き手を最初の読み手として読まれたのだ。」愚鈍なる者たちよ、この意味が分かるか?/この切実さが分かるか?
そして、続けよう。「そのリストはあなたのために存在しているのではないそのリストは現在のために存在しているのではない。そのリストは未来のために、ここに存在しない未来の読み手のために、生み出され存在しているのだ。」/現実の中で言葉が生誕する、そのことを言祝がなければならない。/何をおいても。それが書かれたことが大切なんだ。それが誕生したことが。/その場所がいかなるところであろうとも、いかなる時間の中であろうとも。/
言葉を書くこと/読むこと、その歓びと悲しみと痛み、そして、孤独の慄き。
真夜中のキッチン・テーブルで言葉を書きしるす者たちよ、祝福あれ!
No.4:「今、僕は語ろうと思う。」//はじまりの言葉、その頼りない困難な船出、しかし、それが世界を変更する不可逆的なものとなる。
「今、僕は語ろうと思う。/もちろん問題は何ひとつ解決してはいないし、語り終えた時点でもあるいは事態は全く同じということになるかもしれない。」(「風の歌を聴け」村上春樹 P8より引用)
「おかげで他人から何度となく手痛い打撃を受け、欺かれ、誤解され、また同時に多くの不思議な体験もした。様々な人間がやってきて僕に語りかけ、まるで橋をわたるように音を立てて僕の上を通り過ぎ、そして二度と戻ってはこなかった。僕はその間じっと口を閉ざし、何も語らなかった。」 (「風の歌を聴け」村上春樹 P8より引用)
はじまりの言葉が書かれるまでのその困難さ。その決断。事態が変わろうがそのままであろうが、そんなことには関係なく物語が始まる。小さなボートに必要最低限の荷物を載せて、砂地に埋まったボートをひとりで押し波に飲み込まれながら海へ出る。水と食べ物と着替えと救急箱。一対のオールとかたちだけの帆と壊れかけたコンパス。海図なんてない。雨風と陽差しを防ぐものは頭に被った手編みの帽子だけ。海燕が空を旋回し、飛び魚が滑走する
物語が始まり、言葉が生まれる。仮に、村上春樹さんが「風の歌を聴け」を書くことがなかったとしたら、村上春樹さんのその後の巨大な小説群は存在しなかった。と思う。そのことを思うと「僕はその間じっと口を閉ざし、何も語らなかった。」から「今、僕は語ろうと思う。」への跳躍に激しくこころを揺り動かされてしまう。その虚空への飛躍というべき決断が決定的な意味を持つことになった。世界を変更してしまった、ささやかな不可逆的行為
No.5:「完璧な文章などといったものは存在しない。」/ささやかな抵抗、私によって選び出された〈完璧な文章〉のリスト/あるいは、言葉で作られた完璧な建築体
「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」(「風の歌を聴け」村上春樹 冒頭の一行より引用)
村上春樹さんの「風の歌を聴け」のはじまりの一行。この文をはじめて読んでから多くの時間が経過したけれど、その本当の意味を理解できないでいる。いまでも。理解できない理由が何かその見当はついているつもり。でも多分それは見当外れなものなんだと思う。完璧な絵画とか完璧な写真とか完璧な彫刻が存在し得ても、完璧な文章は存在し得ないということ。言葉が言葉であり限り、それが完璧な存在に成り得ないということ。そのことの真の意味を理解することは、もしかしたら私にはできないことなのかもしれない
でも、少しばかり無駄な抵抗をしたいと思う。「完璧な文章はここにあります。これが完璧な文章です。完璧な文章はイデアでもメタファーでもなくリアルとして存在しています。」と。まるで的外れなことをしているのかもしれないけれど。「古典ではなく同時代の日本語で書かれた文章」という枠組みで限定をして、私が選び出した〈完璧な文章〉、あくまでも私が思う〈完璧な文章〉として、ランダムに選んだ〈完璧な文章〉のリストのほんの一部分として、幾つかの文章を提示したいと思う。〈完璧な文章〉のリストの全貌のことと、そのリストを入れる入れ物については、あとがきで。
但し、「日本語で書かれた文章」の中に日本語に翻訳された文章も含むことにする。「外国語で書かれ、翻訳者によって翻訳され、日本語に書き直された文章」として、〈完璧な文章〉のリストの中に入れたいと思う。だって、すごく素敵な文章がたくさんあるんだもの。もうひとつ忘れずに書き加えなければならないことは、村上春樹さんの文章以外とするということ。それは私が村上さんの文章に中に〈完璧な文章〉を見出していないということではない。そうではない、決して。うん、えっと、この話は長くなるのでまた。
以下のリストを〈完璧な文章〉と呼ぶか否かは異論があるのかしれない。しかし、いずれも圧倒的な美しさを放つ言葉であり、また、重層的で複雑な意味を奏でる立体性を持つ言葉であることは誤りのないことだと思う。鮮明なイメージの色彩性、論理/物語の螺旋性、構築性の完成度、それらの諸要素が奇跡的に結合し散文として結晶化された〈完璧な文章〉。〈完璧な文章〉は完璧なパーフェクトな建築体でもある。内側と外側に開かれた完璧な建築。
No.000/m/01(ver.6/12/2022)
「ポストマン MONOLOGUE OF THE DEAD LETTERS POSTMAN」村上龍
「膨大な量の手紙がわたしの腕の中で眠っている。/わたしはまるで生まれたばかりの赤ん坊を抱くように、その手紙の束をこうして抱いている。/だぶん、まだあなた方には見えていないはずだ。その手紙の束も、そこに書かれている、多種多様な国の文字も、さまざまな筆跡も、まだあなた方には見えていない。20世紀に書かれ、相手に届くことのなかった、無数の手紙。 ///・・・//「その手紙は音楽と反応する」/わたしはその手紙を手に取り、その人物が言ったことを反芻してみた。/「その手紙は音楽と反応する」//・・・//わたしが抱えている手紙を、今からあなた方に託したい。/わたしの役割はもうすぐ終わろうとしている。この手紙の束を、次に受け取るにはあなた方だ。」(「ポストマン MONOLOGUE OF THE DEAD LETTERS POSTMAN」村上龍 Chapter1より引用)
坂本龍一監督のオペラ「LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999」(1999年9月)にて朗読された村上龍さんのテキスト。全文を読んで欲しい。荘厳なる映像と音響の言葉。20世紀の終わりに書かれた、20世紀へのレクイエム。
No.000/f/01(ver.6/12/2022):「ミライミライ」古川日出男
「これは音楽の小説である。これは音楽の小説ではない。これは世界史の小説である。これは世界史の小説ではない。以上の四つの断言はどれも「正しい」といえるけれども、それでは、相反する四つもの「断言」を持った本作はどのような小説なのか? 本当のところはどうなのか? これは、私が、十年ぶりに築造しえた伽藍のような作品なのだ、と、そんなふうに断じてみたい誘惑に駆られる。そこでは、鐘が鳴り、そこでは、歴史が前に後ろにと動いている。一歩踏み入れば、そこに「風景」がひろがっている。そして、人間たちがいる。/人間たちが動物たちが、音楽たちが。」 (「ミライミライ」古川日出男 前書き(ライナーノーツ)より引用)
何度読んでも意味の全部を掴むことができない。しかし、それでも人間たちと動物たちと音楽たちの風景が前後する揺れる歴史の中で広がっている。小説の言葉が何をどのように行うことができるのか、論理/物語を超え捻じ伏せて小説の言葉がその力を見せつける。これが何を意味するのか誰も教えてくれない。ひとりひとりが見つけ出すしかない。本当は縦書きで読んで欲しい
No.000/h/01(ver.6/12/2022)
「すべての、白いものたちの」ハン・ガン(斎藤真理子:訳)
「時間の感覚が尖ってくるときがある。病気のときが特にそうだ。十三歳のころに始まった偏頭痛は予告なく、胃痙攣とともにやってきては私の日常を停止させる。やっていたことをすべて止めて痛みをこらえるとき、したたり落ちてくる時のしずくの一滴一滴は、かみそりの刃で作った玉のようだ。指先をかすめるだけでも血が流れそうだ。やっとのことで息をしながら一瞬一瞬を生き延びている自分を、ありありと感じる。日常に戻ってきても、あの感覚がまだそこに息を潜めて、私を待ち伏せている。」(「すべての、白いものたちの」ハン・ガン(斎藤真理子:訳)P10より引用)
「そのような鋭い時間の角で―時々刻々と形を変える透明な断崖の突端で、私たちは前へと進む。生きてきた時間の突端で、おののきながら片足を踏み出し、意志の介入する余地を残さず、ためらわず、もう一方の足を虚空へと踏み出す。私たちが特段に勇敢だからではない。ほかに方法を持たないからだ。今この瞬間にもその危うさを感じながら、まだ生きられていない時間の中へ、書かれていない本の中へ、私は無謀に分け入っていく。」(「すべての、白いものたちの」ハン・ガン(斎藤真理子:訳)P10〜P11より引用)
「白いものたち」を巡るワルシャワと朝鮮半島の二つの場所で書かれた言葉/記憶。あとがき「作家の言葉」からさらに少し引用しよう。「孤独と静けさそして勇気。この本が私に呼吸するように吹き込んでくれたものはそれらだった。」しんしんと空から雪片が舞い降りるように、言葉が降り積もる。散文が何を表現し得るのか? その応答のひとつ。まぎれもなき傑作。装丁もまた素晴らしい本。誰もがためらうことなく手に取って読んでほしい一冊。きっと大切な重要な一冊になるに違いない。
No.000/s/01(ver.6/12/2022):歌集「ひとさらい」笹井宏之
「思い出せるかぎりのことを思い出しただ一度だけ日傘をたたむ」
(歌集「ひとさらい」笹井宏之 より引用)
「思い出せるかぎりのこと」を「思い出す」。そして、「ただ一度だけ」、「日傘をたたむ」。思い出せることと思い出せないことがわたしの中でせめぎあい、思い出せるかぎりのことが亡霊のように懐かしく立ち現れる。その失われたものたちの姿を刻印するために日傘をたたむ。一度だけ。ありがとう、亡霊たちよ、さよなら、亡霊たちよ。小説家・川上未映子さんの言葉を引用するならば、「普遍的なるものへ辿り着く」歌。内的なるものが普遍性を掴み取ることになる。歌が歌うその普遍性に魂が揺れ動く。
あとがき:1:手作りの散文図鑑:/引用の餛飩(ワンタンhun-tun)
ほんとうはこの記事は、「手作りの散文図鑑:引用の餛飩(ワンタンhun-tun)」というタイトルで書かれたものだった。採集した散文を整理して、図鑑にしたいというアイデアは昔から持っていて、何度も構想したことがあったんだけど、毎度風呂敷を広げ過ぎて途中で放棄する事態になっていた。古川日出男さんの「曼陀羅華X」に〈散文図鑑〉への欲望が刺激されて、今回は予告編的なものとして「できることから」と再度挑戦してみた。できることからこつこつと。こつこつこつこつ、うん、とても、大事だよね。
それでも採集した散文があまりにもたくさんありすぎて収拾がつかなくなってしまい、あえなく再び頓挫してしまった。「手作りの散文図鑑:引用の餛飩(ワンタンhun-tun)」は私の見果てぬ夢のようなものであり、永遠の未完成の建造物のようなもの。(サグラダ・ファミリアではありませんが。)〈散文図鑑〉の全貌は私にも不明。継ぎ接ぎだらけで頭から尻尾へ辿り着けません。〈散文図鑑〉を入れるその容器の名前が餛飩なのは偶然ではなく、当然の事。餛飩が好きすぎて、ふざけているわけなんかじゃないんだよ。
あとがき:2:「風の歌を聴け」は何度も読むことはできない。
でも、その結果、村上春樹さんの「風の歌を聴け」をあらためて読む機会となった。「そうなんだ」といろいろ思うことがあり、書いている途中で話が全然別の方角へ外れて行き、迷路の中で彷徨うことになった。(いつものことで)今回の記事は全面的に「風の歌を聴け」に依ることになってしまった話がすごく長くなるので、村上さんのことはできる限り控えているけれど。
村上主義者である私は村上春樹さんの小説を何度も繰り返し読んでいるのだけど、「風の歌を聴け」だけは読み返していなかった。「風の歌を聴け」には、その一期一会的な出会いと別れでしか掴まえることのできない瞬間が存在しているから。風の歌はその瞬間にしか聴くことができないものなのだ。Hello, Goodbye。「風の歌を聴け」は何度も読むことはできない。
あとがき:3:宇宙卵クンルンとしてのワンタン、あるいは、散文図鑑の容器
尚、タイトルの「手作りの散文図鑑:引用の餛飩(ワンタンhun-tun)」の餛飩(ワンタンhun-tun)は、「細かく刻んだ肉、魚介類、野菜などを混ぜた餡を小麦粉を薄く伸ばした四角い皮で包み、茹でてからスープに入れて食される」あのワンタンであり、「元々、「渾沌」と書かれ、漢字の発達とともに「餛飩」という字になった」ワンタンである。つまり、ワンタンとは〈宇宙卵クンルン〉のひとつなのである。以下武田雅哉さんの怪作「桃源郷の機械学」から少し引用する。
村上龍、古川日出男、ハン・ガン、笹井宏之、などなど、他にも他、彼ら、彼女らの〈完璧な文章〉であり、パーフェクトな建築体である散文を入れる容器として〈宇宙卵クンルン〉が必要となる。互いに相反し、騒乱しかねないこれらの散文をまとめて入れることが可能ないれものは、これしかない。
「どこにも存在しない、しかしどこにでも存在するクンルン。それはすべて、宇宙開闢の瞬間に目撃したであろう宇宙卵の形状のかすかな記憶の再生であり、ぼくらが捜していた「混沌」たる卵のカケラに相違ない。この宇宙卵クンルンは、道教の世界では、たとえば「太極図」という、まことにそれらしい形に結晶している。/生命の可能性を秘めた無数のコアセルベートを擁した、原初の海たつ濃厚な中華スープの上に浮かぶ、一塊の宇宙卵。なんのことはない、「ワンタン」のことである。この「ワンタン」なる言葉もまた、「クンルン」グループに属する宇宙タームなのである。・・・これとても六万年後のこの世の姿を模した、宇宙卵の断片なのだ。/つまるところ、宇宙とはひょうたんなのであり、ワンタンなのだ。・・・中国人の手になるものには、この宇宙卵クンルンが、混沌たる遺伝子を眠らせながら、さまざまに形を変えて潜んでいるらしいのである。」 (「桃源郷の機械学」武田雅也 P28〜P29より引用)
散文図鑑の容器として〈宇宙卵クンルン〉のワンタン以外に相応しいものは存在しない。混沌王のようにそれに眼、鼻、耳、口の七つ竅をあけてしまっては滅んでしまう。ハンプティ・ダンプティ(Humpty Dumpty)よろしくここはジョン・テニエルに衣装を借り塀の上を落下しないように疾走し、鏡の国でアリスを待ち伏せすることにしよう。混沌の兄弟たちの饗宴が始まる