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これからも考えていきたいこと

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いいアイデア、自分を構成する考えになりそうなもの
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「個性」を数字で考える

「個性」を数字で考える

「個性」は、直接的でなくとも、自分について語るときに自然と話さなければいけないものだと思ってる。「趣味は?」「特技は?」「好きなことは?」「お休みは何してますか?」などなど。

個性について考える機会は就職活動において強く意識されるものだと思う。「あなたが当社にもたらす価値はなんですか?」「あなたにしかできないことはなんですか?」と。

そこで比較対象になるのが、「普通」と呼ばれる概念。周りを意識

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自分の文体について

自分の文体について

先月に以下の記事を書いてから文章を書くことに迷いが減った。

語尾を意識をして文章を読むようになってから、「だ・である」や「です・ます」以前に、それら2つで終わる文が少ないことに気づいた。

それからは、極力どちらも使わない文章を書くことを心がけている。昔は「思う」や「感じる」を多用するのもいかがなものだろうと思っていたが、今はそれほど気にしていない。言い切って書くようになった分、「思う」や「感じ

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ランニングではなく、散歩を。

ランニングではなく、散歩を。

12月からランニングをサボるようになった。やはり冬はきつい。足場もそうだし、寒すぎる。家にエアロバイクやランニングマシーンがあれば...と思う。

最近は体調不良で走りに行くのも辛い。正直なことを書けば、走りに行った2日後に熱が出て少しトラウマになっている。かと行って、休みの日にずーっと家にいるのもどうなんだろう? と感じる日も少なくない。

そこで思ったのは、無理して走る必要はないという簡単なこ

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「自分のために書く」ということ

「自分のために書く」ということ

私がnoteに文書を書くのは「自分のため」。しかし、自分で書いた記事を読み直すことが少ないことに気づいた。



先々週に熱が出てお休みしていた(もう2週間も経ったのか...)。治ってから1週間と少しだが、また体調が悪くなってきた。夜中に一度寒気を感じた。また熱が出たと認識するのが嫌で熱は測らなかった。朝になると、寒気はなくなっていたが、どこか気だるさを感じていた。

そんなこともあり、出かけた

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脳内の独り言に聞き手はいるか?

脳内の独り言に聞き手はいるか?

よく頭の中で独り言を言っているのだが、口調や単語選びが人と話すときと違うと感じた。

具体的には、親密な相手に難しい単語を並べて話し倒す、という表現が近い。

「文章は誰かに宛てて書くのがいい」というのは、よく聞く話だ。

それが今、スッと腑に落ちた。

独り言でも「私」という聞き手がいる。その「私」に対して、通じる言葉選びが書いたような話し方なのだ。

ここでの言葉選びは自分相手なので、ある程度

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論理的思考ってなんだ

論理的思考ってなんだ

「論理的思考術」とか、「論理的思考を身に付けよう!」とか、近いことに「批判的思考」とかもあります。

これがイマイチ分からなかった。「何を持って論理的とするか」がです。

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』には「合理的」という言葉がしばしば登場します。

そこで、私は合理性を、「目的に沿って論理的な思考ができているか」と理解しました。プロテスタントの目的は「神の栄光を増すこと」であって

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分断された時代に、常識・正義・真理を求めて

分断された時代に、常識・正義・真理を求めて

最近、千葉雅也『現代思想入門』を読み直している。

本書が出版されてすぐにも読んだが、くどうれいん『日記の練習』を読んだことをきっかけに再び読んでいる。

『現代思想入門』では、現代思想を学ぶ補助線として、カントが紹介されている。

カントは世界の捉え方に対して新たな見方を提示した。

それ以前の世界の見方は、「世界は私たちが見えている通りに存在する」というものだった。

だが、「私たちは、色眼鏡

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書いている「気」がしない

書いている「気」がしない

投稿はしているのだが、書いている気がしない。

以前も似たようなことを書いた記憶があるが、記事が見当たらない。そのときは確か、ストックを貯めているから書いている気がしない、と書いたような気がする。

要するに、毎日書いてないから、書いた気にならない。

これまで毎日投稿や、書くことについて、あれこれ書いてきた。

直近だと、1ヶ月前のこの記事だろうか。

「何か」を書くことは、非日常的な特別なこと

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アイデンティティを増強するバイアス

アイデンティティを増強するバイアス

最近、『エビデンスを嫌う人たち』という本を読み始めました。

まだ2章しか読んでいませんが、その中で「人々は陰謀論を信じているわけではない」ということに驚かされました。

この視点は非常にハッとさせられました。彼らは、信じたいことを信じているのではなく、自分が受け入れられない状況に対処するために陰謀論に頼っている場合が多いのです。

これは、私自身の考えにも通じるところがあり、共感を覚えました。

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知識の体系化から考える人間関係

知識の体系化から考える人間関係

仕事の相性は合うけれど、雑談やプライベート、考え方に関して全く合わない人がいる。

「なぜだろう?」と、たびたび考え続けていた。

しかし、何度考えても答えが見つからなかった。

いつも結論は「まあ、そういうものだろう」で終わってしまう。

今日もそのことを思い出したが、思いがけない進展があった。

たどり着いた結論は「むしろそれは当たり前なのだ」というものだった。

なぜなら、自分が相手の思考体

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「応援」と「味方」

「応援」と「味方」

以前に引き続き、『風に立つ』から。

工場の職人と、補導委託された子どもの父親との口論の場面。

「応援」と「味方」。違いについて考えたことが無かった。何か差異はあるんだろうけれど、応援≒味方で考えていた。

包含関係で考えれば、応援の輪の中に味方があるんだなと理解した。応援している人が必ずしも、味方の輪の中入っているわけではない。



似たような関係として、芦田愛菜の「信じる」を思い出した。

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毎日投稿していると止めたくなる

毎日投稿していると止めたくなる

以前、違うブログを書いていた時は、2年以上毎日投稿していた。

その時は「毎日書かなきゃ」って感覚が強かった。

2年以上やっていたのにも関わらず、読者は増えなかった。その時から「あー、ブログは向いていないのだろう」と思いつつある。

かと言って、この身についた習慣を手放すのもさみしい。読者はいないかもしれないが、個人的にはメリットがある。そんな理由から書き続けている。

以前にも何度か触れたが、

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記事を寝かす意味

記事を寝かす意味

極力毎日書きたいと思いつつも、無理に書かない。

具体的には、「23時から書き始めれば連続投稿続けられる!」という場面でも、すぐには投稿しない。毎日投稿を諦め、次の日に投稿する。

以前は、「まだ間に合う、書いて投稿しよう」という気持ちで書いていた。さらにその前は「もう無理だ諦めよう」だった。

最初は「書くことすらしない」だったのが、「書く」に変わり、さらに「書いて寝かす」になった。

記事のク

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また毎日投稿について考える

また毎日投稿について考える

あまり毎日投稿に囚われすぎると良くないとも思うが、考えてしまうので書いておく。そうすることで、同じ問題に何度も当たらずに済む。

同じ問題を何度も考えることを悪いとは思わない。けれど、それでモヤモヤするのなら、一度吐き出した方が楽になる。

それに一度吐き出すこと(書くこと)で、全体の見通しがよくなる。

ジグゾーパズルで考えれば、ピースを見て「こことここ繋がりそうだなぁ〜」と頭の中でくっつけるの

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