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書いている「気」がしない
投稿はしているのだが、書いている気がしない。
以前も似たようなことを書いた記憶があるが、記事が見当たらない。そのときは確か、ストックを貯めているから書いている気がしない、と書いたような気がする。
要するに、毎日書いてないから、書いた気にならない。
これまで毎日投稿や、書くことについて、あれこれ書いてきた。
直近だと、1ヶ月前のこの記事だろうか。
「何か」を書くことは、非日常的な特別なことを書こうとしているから難しい。そんなことを書いた。
それ以前だと、習慣を7つ作って日替わりで投稿するとか、書くことを止めないために書くとか、考えるために書くとか、目に見える積み重ねを残すために書くとか、自信を持つために書くとか。読みやすさに関することで記事を寝かせるとか、chatGPTを使うとか。
まあ、いろいろ考えた。
書くことを止めないために書くというのは、3日坊主と一緒で、継続させるためにはとにかく続けることが大切という意味。
多分どこかで止めたら書かなくなる。別に止めてもいいのかもしれないけれど、得た情報を整理して、引き出せる状態にすることや、自分の意見を表すには書くことが一番だと思っている。
noteを始めたときは自分の意見を書くことを目的に使っていたが、だんだんと情報整理へと移ってきた。
よく言われるような「せっかく◯◯を持っているんだから活かさなきゃ」とはまさにこのことを指すのだろう。別に意識してやっているわけではない。「あ、情報整理の手段に使える!」と思って、やってみたらうまくいっているというだけ。
書くのは紙でも別に構わないのだが、くっつけたり、切り離したりすることを考えると、電子ファイルがいい。それに書くことに疲れないのが、一番便利な点。ここまで663字書いているが、5分程度で書いている。おそらく紙だったら無理だろう。1分で100文字書ける気がしない。書けてもあとから読み返せるだろうか?
読みやすさにしてもそうだ。紙よりは電子ファイルの方が圧倒的に読みやすい。特殊なフォントを選ばない限りは読める。
あとから読み返してみて修正が効きやすいのも電子ファイル。noteに書いている文章は全世界に見せることもあって、読みやすい形にしておきたいという点で記事を寝かせて推敲したり、chatGPTに添削してもらっている。
ここまで気がつけば、自分の振り返りをしてしまったわけだが、書くことがメインから投稿することがメインへと移ってきているようにも感じる。
それはそれで毎日アイデアを振り絞るという点で、書く力が身につく。これも以前ふれた。毎日書いていると、ネタがそのうち切れて絞り出さなければいけない日がやってくる。それを続けているうちに書く力が身につく。
YouTuberも同じで、毎日動画配信しているクリエイターは、毎日「どんな動画を撮ろうか?」「どんな編集をしようか?」「画角はどうしようか?」「どこで撮ろうか?」と考えているのであろう。やっている内に自然とネタを思いついて、撮影、編集、投稿と繰り返してYouTuberへとなっていく。
誰かが言っていたが、何者かになるための方法論。
「やりたいと思っていることをやって、それが売れて、また新しいことをやって、またそれが売れる…これを繰り返してる内に何者かになっている」
まあ、とにかく何者かになるためには続けることが大切なんだと。
しかし、私は特にゴールのようなものは設定していない。
とにかく、「書いている気がしない」という感覚があるだけだ。
それはツラい時期を乗り越えて、書くことが日常になったとも考えられる。だから書いている気がしない。歯磨き、顔を洗うのとおなじ。習慣化という意味では十分。けれど、どこかに熱のようなものを求めているから、書いている気がしないのかもしれない。
これは歯磨き、洗顔とは明らかに違う。別に「気合をいれて歯を磨くぞ(顔を洗うぞ)!」とはならない(なったことがない)。
仕事は「目的」「人格の形成」「尊厳」を与えると『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』で読んだ。別に仕事にはなっていないが、自分にとってなにかしらの崇高な目的へと向かって「書くこと」をしているから熱の入った文章を書きたいと思うのだろうか。
みなさん知ってのとおり、文章を書く仕事がこの世には存在している。仕事として存在している以上は文章を書くことに「目的」「人格の形成」「尊厳」のいずれかを見出だしているから続けている…
まあ、ここまで書いていて、結論は見えなかったが、何か仕事のように熱の入る「何か」を求めていることに気づけた。
そうだ。私が文章を書く目的の1つにモヤモヤの解消があることを忘れていた。
暗中模索で書き進めて、手詰まりになることもあるけれども、今回のように見えなかった道が見えることもある。
今回はそれが書くことに熱を求めていることだった。初めに書いた「書く目的」も書いているうちで気づいたものが多い。
決して、「私にとって書くことはたくさんの意味があるんですよ。」と尖塔のポーズをとりながら、さも理論武装して準備してきました、というわけではない。
どれも行き当たりばったりでたまたま見つけた。他の人はどうか知らないが、私はメディアで見るような、崇高な目的を持って物事に取り組んでいる人間ではない。
P.S.
今、書くことに求めているのは、「それまで見えてこなかった何か」なのかもしれない。
HUNTER×HUNTERのジン風に。