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「病名」は、自分のためになるように使っていく

「病名」というのは、良くも悪くも、強力な力を持つものだと思うのです。

まず、そのプラスの力と言えば、自分の苦しみの原因が明らかになり、その「病名」によって救われることでしょう。
人は誰しも、「分からない」状態にとても混乱してしまうところがあるので、それが「分かる」ようになれば、大きな安心感を得られるようになります。

二つ目に、その「病名」によってはじめて自分の苦しみが可視化されるようになるので、「その根本原因を治していこう」と思えるようになると思うのです。
これらは、「病名」を与えられた側が享受することのできる恩恵だと感じます。

しかし一方で、その強力さゆえか、その力がマイナスに働いてしまう場合も時としてあるように思うのです。

例えば、「病名」が「自分という存在」と完全にイコールになってしまい、必要以上にその「病名」である、“もう「普通」ではないだ”という自分自身に苦しんでしまうこともあると思うのです。
「病名」はそもそも、症状自体に名付けられたもののはずなのに、それを自分自身の全てに与えられた名前かのように思ってしまうことは、本当に辛く苦しいものだと感じます。
(私もそれで本当に長く苦しみましたね…(・_・;))

その他に、「病名」の症状を自分とは全く無関係なものとして、「病名」そのものにその責任の全てを委ねてしまうこともあると思うのです。
(「これは自分のせいじゃない、全部病気が悪いんだ。でも苦しい、しんどい…泣」といったような感じですね^^;))

自分がより幸せに生きていくために、自分のために使ってこそ役に立ってくれるものなのに、これはむしろ問題解決から遠ざかってしまっているようで、とてももったいない状態かと思うのです。

なので、「病名」は自分自身が、「病名」という杖に頼らなくても済むようになるための、一時的な補助のような役割のものとして、あくまでもその杖は「自分の意思によって使っている」そんな感覚は、「病名」を与えられた側にとって、とても大切になってくる考え方かと思います。

以上、私の経験から感じたことを書いてみました。

あなたのお役に立ってれば、幸いです。


りん

(一段と寒くなりましたね🥶食欲が止まらない最近です笑)

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りん【強迫性障害(精神疾患)/不登校を乗り越えたひと】
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