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西村明 編 『隠される宗教, 顕れる宗教』 ( いま宗教に向きあう 第2巻) : 「宗教は怖い、 宗教性は好き」な 日本人

書評:西村明編『隠される宗教,顕れる宗教』 (いま宗教に向きあう 第2巻)(岩波書店)

「宗教は怖い」が「宗教性は好き」という矛盾に、気づいていないのが、宗教・宗教性に無知な日本人の特徴であると断じても良かろう。

宗教について詳しくはないが、テレビニュースで報じられる事件などで「宗教は怖い・得体が知れない」という「反日常性=負」のイメージを持つ半面、テレビ番組やマンガなどで好意的に描かれる「宗教性」については「害もなさそうだし、むしろ癒しなどで、役に立ちそう」という「日常性=正」に回収されて、おおむね好意的でいられる。

しかし、当然のことながら、いわゆる「宗教」とは、宗教性を持ったものの一部であって、別物ではない。

宗教性というものは、伝統宗教にも新興宗教にもあるし、世界宗教にもカルトにもある。そして、山や川に神や妖精や霊性を見る自然宗教などにもある(※ ここで言う「自然宗教」とは、阿満利麿の言う「創唱宗教」の対概念としての「自然宗教」ではなく、「自然現象に宗教的感情を抱く態もの」くらいの意味である)。

つまり「宗教性」というものは「非理性的観念」のすべてに、多かれ少なかれ内在するものであって、いわゆる「宗教団体を形成している宗教」だけにあるのではない。組織や集団や法人といった「わかりやすい形態」を採っているものだけが「宗教性」ではない。
例えば、野の花に話しかけ、心が通じると感じている人、神社の鳥居をくぐると、そこになんとなく「非日常的な清浄感」を感じる人などにも「宗教性」がある。
もっとも、そんな人など山ほどいるから、特別に「宗教」的なものと認識されないが、そういう人が集まれば、それは「宗教」になってしまう。

このように日本においては、「宗教」とは、「宗教性」を持ったものが、現実的に目に見える形態を採って、人々の前に現れ、無言のうちに、人々に対して、それを認めるか否かの態度表明を強いるような「存在的な力」を持ったものであり、その段階で「宗教」と認識される。

つまり「宗教」とは、「個人を圧する力」であり、それにすがる人もいれば、その押しつけがましさを疎ましく思ったり脅威と感じたりする人もいる。
一方「宗教性」には、まだそうした「個人を圧する力」が無いので、人はそれを個人的にコントロール可能なものだと、軽く受け止め、気軽にそれに接することもする(初詣や秋祭り、あるいはクリスマスなど)。弄ってみて、楽しければ弄り続けるし、何か嫌なところがあれば捨てればいい、という感覚でつきあってみることのできるのが「宗教性」だ。

だが「宗教性」と「宗教」は、その本質においては同じであって、違いは現実的形態にすぎない。
だから、その現実的形態の下に隠れた本質を読み間違えると、大変なことにもなる。
「宗教性」の持つ「超越性」とは、「非合理性」でもあれば「非日常的な力」でもあるのだから、人々の「日常」を破壊する力すら秘めている。
「力としての宗教性」は、人を内面から作り変えていく力を持っており、その力は決して侮れない。そう、「宗教」は無論、「宗教性」もまた、それに無知な人間が、気易く弄んでいいようなものではないのである。「宗教」ばかりではなく、いや「宗教性」こそが、人を呪い、人に憑くのである。

そしてこれは、無神論者である私が、その力と危険性を、無神論的に認めているということであり、その意味で警告を発しているのである。
「宗教性」を弄ぶ人は、「宗教性」に無知なのであり、その態度は「サソリを弄ぶ子供」にも類比的だと言えよう。その子にとっては、サソリは「面白い虫(の一種)」でしかない。しかし、サソリは猛毒を持っており、人をも刺し殺す力を秘めている。
もちろん、毒も薄めれば薬になることはあろう。しかし、それは「宗教性」に無知な素人が手を出してよい作業ではないのだ。

しかし今日、「宗教」と「非宗教」の境界線は見えにくくなっている。
それは「宗教性」が、「宗教」という見えやすい形態を採らずに、「ポップでライト」な浮動的形式や「真面目で誠実」な人当たりの良い形態を採って、宗教に無知な人にも、安心して操作可能な「宗教性」という形を取り始めているからである。

そして、そうした現状を示すのが、本書のテーマである『隠される宗教、顕れる宗教』ということなのだ。

「宗教」は「宗教性」という形で隠されて、「宗教性」という親しみやすい形で顕れていく。
どちらも、宗教の宗教たる本質が見えにくくなっていることに変わりはない。
そこに危険があるのだ。

本書には、その危険回避の処方箋は無い。
ただ、まずはその現状を厳しく認識していくしかない。それが学問としての宗教学の使命だからだ。

初出:2019年3月14日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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