〈昭和天皇の戦争責任〉と日本人
(※ 再録時註:アジア・太平洋戦争時において、日本帝国の国家元首であった昭和天皇裕仁の戦争責任は、とうてい免れ得るものではない。しかし、昭和天皇は、戦後にその責任を取ろうとせず、終生だんまりを決め込んだまま、ついに逃げ切った。また、息子である平成の天皇は、そうした父に関する負い目を大いに抱えていたからこそ、戦争で傷つけられた人々の心に寄り添い、特に、沖縄に心を尽くした。なぜなら、父の昭和天皇は、謝罪は無論、沖縄訪問さえ果たさぬままに逝ったからである。このことについて、マスコミは、昭和天皇にとって『果たせなかった宿願』であるとか『苦恨』だなどと表現するが、これは明らかに、歴史的事実に対する「隠蔽工作」のプロパガンダでしかない。昭和天皇が沖縄に行かなかったのは、自身が沖縄を自覚的に犠牲に供したから、恐ろしくて行けなかっただけである。本人が「たとえこの身に危害が及ぶとも、私は沖縄の地に赴いて、沖縄の人々に謝罪したい」と言えば、それを止めることのできる者などいなかったはずだ。したがって、無責任な昭和天皇も昭和天皇だが、その有責性隠蔽に加担した戦後のマスコミも、共犯としての証拠隠滅罪で裁かれねばならない。だが、そうはならない日本だからこそ、今も犯罪者がのうのうと政治権力を握り、絶望に憑かれた人が、テロを行ったりすることにもなったのである。畢竟、日本は、今も昔も、世界に冠たる「無責任国家」だと言うべきであろう)
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高橋哲哉の新刊『国家と犠牲』(NHKブックス)を読んだ。
あいかわらず裨益されるところ多く、特に、結語として語られる、次の言葉に深く共感した。
この言葉は、理想家にして論争家である高橋哲哉が、しかし、その本質において、いかに「人間的」な人物であるかの事実を明かしている。
現実を直視し、論理的に思考を推し進めれば、そこに立ち現れてくるのは、絶望的なまでに高く聳え立つ、非人間的な障壁。
そんな『「絶対的犠牲」の構造』という動かしがたい現実を前にしても、彼は「じゃあ、仕方がないから、やれることをやればいいや」と割り切りもしないし、その障壁が「さも存在しないかのように」紋切り型の理想を語り続ける、というニヒリズムにも陥らない。彼は、その絶望的な障壁を直視し、それでもそこに爪を立てて、人間としての尊厳を守ろりぬこうと抵抗するのである。
そんな彼を、人は、魯迅の『狂人日記』やセルバンテスの『ドン・キホーテ』の主人公のようだと、嘲笑するかも知れない。だが、この世界が「人間としての正気が失われた世界=犠牲を求める人食いの世界」だからこそ、彼の人間らしさは「狂気」のごとく映らざるを得ないのであろう。
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さて、本書のこうした主題とはべつに、その事実内容だけで、私に強い印象をあたえた報告記事があったので、そちらを紹介したい。
ここを読んで、私にもぼんやりとだが、「たしかに、昔そんな言葉を聞いたことがある」という記憶が甦った。
しかし、たぶん当時13歳の私は、この昭和天皇の言葉の意味を、十全に理解できなかったのであろう。
政治や歴史には興味のなかった若い頃の私は、たぶん、この言葉を聞いて「そりゃ戦争なんだから仕方ないよ。戦争は殺しあいなんだから、持ってる武器なら何でも使って当然だ」というくらいにしか考えておらず、昭和天皇が「その戦争で、どんなに重大な役割をはたしていたか」など、その「虫も殺さぬような、お爺さんぶり」からは知る由もなかったのである。
ちなみに、高橋哲哉がここで言っている『遅すぎた聖断』とは、次のような事情である。
先の大戦時、天皇は、統治権の総覧者であり主権者、そして三軍の長だったのだから、もとより「敗戦責任」を含む「(国内外に関する)戦争責任」は、とうてい免れうるものではない。
たとえ、明治憲法が天皇の免責規定を明記していたとしても、「権限はあるが、責任は無い」などという「恥知らずな立場」を、人間として(ましてや、現人神や国民の象徴としても)とうてい受け入れられるものではないはずである。
一一しかし、現実には、昭和天皇は、自らの戦争責任を問われて『そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えできかねます』と、ヌケヌケとトボケてみせたのだ。
『研究』しなければ、ごく普通の日本語も理解できないと主張するような厚顔無恥な男が、かつては日本の最高位に君臨し、国民から神として崇められ、いっぱしの口をきいて政治家や軍人を指揮し、国民に「勅語」を垂れていたのである。
もちろん『文学方面はあまり研究もしていない』という言葉には、「私の専門は、生物学である」という含みがあるのだが、昭和天皇が「人文科学」系の研究者になりえなかったのは、彼がすでに「国民の象徴」として「思想」や「哲学」を語れない立場に「安住」していたからに他ならない。
つまり、昭和天皇は決して、子供の頃からずっと「生物学」ばかりやってきたわけではなく、旧憲法下における「天皇」として、まず第一に「帝王学」を学び、そのなかで「戦争学」を学んでいる。
だから、「戦争責任」という言葉の意味がわからないなどというのは、かつての自分に頬かむりをして、責任逃れをしている、としか言えないのだ。
そう言えば、最近、これと似たような発言をして、「世間」の物笑いになった、民間の「天皇」がいた。
「責任逃れをする最高責任者=社長=昭和天皇」と「それを許してしまう社員=日本国民=(元)臣民」。
言うべきことを言えない、こんな情けない「国民性」だからこそ、を、「外」からは笑い者にすることはできても、「内」側では不満の声ひとつ挙げることも出来なかったのであろう。
(「富士通」元社長・秋草直之)
ともあれ、国民がいかに情けなかろうと、それで長たる者(責任者)の責任が免除されるわけではない。つまり『高い地位にある人はそれなりに責任を持っている』。
「敗戦」を部下のせいや国際情勢のせいにしてすまされるのなら、最高責任者としての最高司令官(最大最高の権限を有するが故に、最大最高の責任を担うべき者)などいらない。つまり、皆が、てんでばらばらに、自己責任において行動すれば良い、ということになってしまうのである。
そして私は、こんな「昭和天皇」をいまだに批判できない「右翼」を、本物の右翼だとは思わない。
本来、右翼とは、何よりも「日本人としての誇り」と「道義」を重んずる存在だ、と考えるからだ。
したがって、本来ならば「昭和天皇」は、左右共闘して批判し、少なくとも退位くらいはさせるべきであった。
なにしろ「昭和天皇」は、貧困にあえぐ庶民の生活を憂いて決起した「2・26」の青年将校たちの期待を裏切り、敗戦では最高責任者としての責任からスタコラ逃げ出した男なのだ。
日本は、「戦後責任」を含め、そうした「けじめ」を何一つつけないままにここまで来たからこそ、何ごとにおいてもいい加減な「国民性」を、ここに来てさらに増大させるにいたった。
「憂国の情」があるのであれば、思想の左右を問う前に、理非曲直をただせ、というのが、一人一党の、私の思想であり立ち場なのである。
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