本能寺の変1852 その一因 2(3)光秀と光慶 そ第7話⑤ 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
その一因 2(3)光秀と光慶 そ第7話⑤
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2光秀の年齢と嫡男光慶
(1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀と光慶 ←
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→【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
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*加筆修正
2(3)光秀と光慶 そ第7話⑤
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1信長の後継者 そ第5話① そ第5話② そ第5話③
そ第6話①
2光秀の後継者 そ第6話②
そ第7話① そ第7話② そ第7話③ そ第7話④
そ第7話⑤ そ第7話⑥
甲斐遠征10 嫡男光慶6
3光秀は、明智の将来に不安を感じていた。
②信長は、猜疑心が強い。
否、強すぎた。
それ故、今が、ある。
ここまで、生き抜いて来た。
信長は、用心深い。
すなわち、「油断」せぬ男。
「隙」を見せず。
心底、窺い知れず。
信長は、光秀を重用した。
織田家は、急成長。
光秀は、新参者。 →【重史001】
なれど、「役に立つ」。
信長は、これを抜擢。
重臣に取り立てた。
信長は、光秀を、信用していない。
信長は、「光秀を信頼している」。
誰の目にも、そう、見えた。
だが、心底は、別。
だからと言って、信用しているわけではない。
その逆、である。
重臣であるからこそ、警戒していた。
信長は、典型的な戦国武将。
「表」と「裏」。
すなわち、二面性を持ち合わせていた。
戦国時代である。
そうせねば、生き残ることが出来なかった。
光秀も、猜疑心が強い。
信長に、同じ。
光秀も、用心深い。
これも、信長に同じ。
否、むしろ、それ以上。
天正十年1582、六月二日。
最後の最後まで、気づかれなかった、のだから。
光秀も、信長を、信用していない。
表向きは、忠義者。
だが、その実は、別。
心底では、信長を、信用していない。
結果が、その全てを物語っている。
光秀も、典型的な戦国武将。
信長に、同じ。
否、これについては、信長よりも、もっと、戦国色の色濃い人物だったよ
うに思う。
何しろ、年齢が、信長よりも、十±四歳ぐらい年上。 →そ第77話
しかも、生れは、美濃。 → (1)光秀の素性
その人間性は、美濃の争乱と下剋上の中で形成された。 →そ第158話⑪
そして、牢人に落ちぶれ果てた。 →そ第200話③
「明智の再興」が、光秀の悲願。 → (1)光秀の素性
これが、立身出世の原動力になった。
等々。
目的のためには、手段をえらばず。
ハングリー精神が、きわめて、旺盛な男だった。
二人は、同じ穴の狢(ムジナ)。
周波数が合った。
それ故、わかるのである。
「上様なれば」、・・・・・。
なれど、蜜月の時は、いつまでも、つづかず。
⇒ 次へつづく