本能寺の変1582 【重要史料】 241106 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【重要史料】 241106
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→【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
→その一因 目次大 概説 目次中
1時代の風潮 2光秀の年齢と嫡男光慶 3光秀という男 4光秀の苦悩
5志向の相違 +信長の油断
→見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
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【重要史料1】 001~020
【重要史料2】 021~040
【重要史料3】 041~060
【重要史料4】 061~080
【重要史料5】 081~100
【重要史料6】 101~120
【重史101】 そ第30話①
①彼(光秀)はもとより高貴の出ではなく、
②信長の治世の初期には、
③公方様の邸の一貴人兵部太輔と称する人に奉仕していた
『日本史』
【重史102】 そ第30話①
細川ノ兵部太夫が中間にてありしを、
「多聞院日記」
【重史103】 ◎第30話
①入洛の儀につきて、
②信長、厳重に言上、
③先ず、濃州に至り御座を移さるべきの由申すの間、
「上杉家文書」
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