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本能寺の変1582 目次小 15信長の台頭 5武田信玄と天沢和尚 第133~135話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
目次小 15信長の台頭 5武田信玄と天沢和尚 第133~135話
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第133話
「噂」は、瞬く間に周辺諸国に広まった。
信玄は、信長を強く意識していた。
天沢長老物がたりの事。 『信長公記』
信玄は、信長の「形儀」について尋ねた。 『信長公記』
これが、信長の日常である。『信長公記』
第134話
信玄は、信長の「数寄」について尋ねた。 『信長公記』
信長は、舞と小歌を好んだ。 『信長公記』
これが、信長の生き様である。 『信長公記』
信長は、世俗に通じていた。 『信長公記』
これが、信長の死生観である。 『信長公記』
一期は夢よ、ただ狂え。 「閑吟集」
第135話
☆天沢は、信長の鷹狩について述べた。
信長は、用意周到である。
☆信長は、実に、用心深い。 『信長公記』
信玄は、戦場をイメージした。
信長は、勝機を逃がさない。 『信長公記』
それ故、信長は、戦いに勝った。 『信長公記』
信長は、戦巧者である。 『信長公記』
この時、信玄、四十歳。
信玄は、信長の十三歳年上。
勝頼は、信長の十二歳年下。
信玄は、感心した。 『信長公記』
信玄は、信長のことをもっと知りたかった。 『信長公記』
⇒ 次へつづく
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