本能寺の変1582 目次小 6信長との出会い 3上洛 第34~38話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
目次小 6信長との出会い 3上洛 第34~38話
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第34話
永禄十一年1568、秋。
信長、京へ。 『信長公記』
信長は、尾・濃・勢・三、四ヶ国の軍勢を率いた。 『信長公記』
徳川の軍勢も、参陣した。
信長は、六角承禎の様子を窺った。 『信長公記』
信長は、箕作城を攻め落とした。 『信長公記』
六角承禎は、城を棄て逃げた。 『信長公記』
信長は、六角氏の領地と家臣を手に入れた。 『信長公記』
第35話
信長は、迎えの使者を派した。 『信長公記』
義昭は、立政寺を出発した。 『信長公記』
信長は、三井寺に入った。 『信長公記』
信長は、ここで義昭と合流した。 『信長公記』
信長、上洛。 『信長公記』
信長は、三好三人衆を攻撃した。 『信長公記』
◎義昭、上洛。 『信長公記』
◎山科言継がこの歴史的瞬間を見ていた。 「言継卿記」
◎細川藤孝も、京に入った。 「言継卿記」
◎光秀も、これに同じ。 「言継卿記」
◎光秀は、藤孝の下で動いていた。
京の近郊で、戦いが始まった。 「言継卿記」
第36話
信長は、反対勢力の掃討戦へ向かった。 『信長公記』
浅井長政の軍勢も、参陣していた。 「言継卿記」
義昭が出馬した。 「言継卿記」
摂津は、三好氏の根拠地である。
信長は、山崎へ進出した。 『信長公記』
義昭も、山崎へ。 「言継卿記」
松永久秀が娘を人質に差し出した。 『多聞院日記』
第37話
義昭は、天神馬場へ進んだ。 「言継卿記」
芥川山城が落ちた。 『信長公記』
信長は、義昭を奉じて芥川山城に入った。 『信長公記』
山科言継は、これらを克明に記録していた。 「言継卿記」
◎信長は、池田城を攻めた。 『信長公記』
◎城中には、荒木村重がいた。 『信長公記』
◎光秀は、後に、細川藤孝・荒木村重と婚姻関係を結ぶ。
◎池田氏、降伏。 『信長公記』
第38話
戦いは、終わった。
信長は、五畿内を手に入れた。
信長は、芥川山城に軍勢を納めた。 『信長公記』
義昭も、芥川山城に入った。 「言継卿記」
松永久秀は、芥川山城へ向かった。 「多聞院日記」
近隣の諸大名も、続々とやってきた。 「言継卿記」
久秀は、天下の大名物九十九髪を献上した。 『信長公記』
信長は、多くの人たちから挨拶を受けた。 『信長公記』
信長は、久秀の大和支配を認知した。 「多聞院日記」
信長は、芥川山城に十四日間滞在した。 『信長公記』
⇒ 次へつづく
目次小 6信長との出会い 4御父信長 第39~43話
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