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『あだなのせい』



『あだなのせい』


ある盛夏の日、私は「カスりょう」という変なあだ名をつけられた。それからしばらくの間、私はカスりょうとして生きていくことになったのである。


その時分、私は小学五年であり、書道教室に通っていた。そして、ある日の授業中にふざけて、書道用紙の一枚に筆で大きなカステラの絵を描いた。何の意味もない。カステラが好きなわけでもない。むしろ、カステラは好んで食べない方だった。そのとき、頭に浮かんだものを適当に描いただけである。
すると、そのカステラの絵を長テーブルを挟んで斜向かいに座っている三木というひとつ年上の男が目ざとく見つけた。ガイコツ木魚みたいな陰気な顔をした、いかにも底意地の悪い目をした男である。


それまでは「りょうくん」と呼んでいた私に三木は、「カステラりょう」というあだ名をつけた。
その「カステラりょう」がすぐに「カスりょう」に省略されて書道教室内で浸透し、他の男子や女子たちからも「カスりょう」と呼ばれ始めた。
私は狼狽し、これはまいったなぁ、と思った。
なぜなら「カステラりょう」ならまだ自分自身でも笑えるのだが、「カスりょう」となると、些か意味合いが異なってくるし、違和感を覚えたからだ。
そして、三木に「カステラりょう」と呼ばれることでバカにされていると思ったし、「カスりょう」になると、さらにバカにされているような不愉快な気持ちになり、腸が煮えくり返る憤怒に燃えた。


書道教室は毎週土曜日の午後一時から二時半までであり、私の自宅から少し離れた山の中腹にある住宅街にあった。書道教室へ通うとき、私は山の麓の車道からそれた山中の小径を歩いた。そこは近道になった。鬱蒼とした森の中を貫く小径は、道幅の狭いゆるやかなS字の一本道になっていて、人通りがほとんどない。しかし、書道教室からの帰りに時々、八十近い少し腰の曲がった醤油瓶のような顔の白髪のばあさんとすれ違った。そのばあさんは山菜などが入った竹籠を背負っており、私とすれ違うときに浅くお辞儀をして、「おにいちゃん。気をつけて帰らいよ」としわがれた声で言いながら、青筋の浮き出した皺だらけの細い手を上げて、優しく微笑んだ。


その後、三木のせいで「カスりょう」になった私は書道教室でそう呼ばれるだけではなく、小学校でもそう呼ばれるようになってしまった。クラスメイトや仲の良い友達からも「カスりょう」と呼ばれるようになったのである。私は困惑し、苦悩していた。
書道教室で不快なあだ名で呼ばれるだけならまだ我慢できるが、学校や私生活でも不快なあだ名で呼ばれるようになるとストレスを感じ、人と会うことが段々と苦痛になり、三木暗殺計画を企図しかけるほどにメンタルが追いつめられていったのである。


子どもはあだ名をつける一種の天才であると思う。
同級生、学校の先生、近所のおっさん、嫌いな人などにつけるあだ名がそれぞれその人の容姿や人柄や雰囲気などの特徴の要約にあたるような的を射るような呼び名を見事につける。たとえば、数年後に振り返ったとき、その人のあだ名だけ覚えていて、本名はきれいに忘れているということがあるだろう。
無論、それらはニックネームや愛称というニュアンスの親愛の意図でつけられ、それによって他人との円滑なコミュニケーションが取れることがあるが、そればかりではなく、身体的特徴を揶揄し、軽蔑の意図でつけられていじめにつながるケースも多い。


小学校の廊下で三木とすれ違ったとき、「おっす、カスりょう!」と声をかけられることが恐怖に近いストレスだった。そして、クラスメイトから「カスりょう」と呼ばれるといじめにあっているような心境になり、好きな女子から「カスりょう」と呼ばれると、情痴に狂った知らない中年女から顔に生唾を吐かれながら一晩中罵詈雑言を浴びせられ、その女の湿った蒲団に忍ばせた朝方の湯たんぽのぬるい水を強引に飲まされた挙句、這う這うの体で女の家から出た途端、虚無の沼に落ち、腐乱死体となって地元民に発見されたみたいな沈鬱な気分になった。


また、殊に苦痛だったのが「カスりょう」をアレンジする輩が現れたことである。「カスカスりょう」とか「チンカスりょう」とか「カスりょうカスりょうハンバーグ」などと訳のわからぬあだ名で方々から呼ばれ始めたのだ。私は絶句し、懊悩し、あだ名を廃止するように何度か抵抗を試みたのだが、ほとんどの人が以前のように「りょうくん」と呼んでくれない状況がしばらく続いており、ついに私はいまいましい三木がいる書道教室を辞めることにした。


書道教室の最後の授業の帰り道、私はいつものように森の小径を下っていった。その日は照りつける炎暑のせいで、窯の中をのぞいたときのような熱気が体につきまとい、蝉の声がやたらとうるさかった。
滴り落ちる汗を拭いながら小径を歩いていると、突然、わけもなく胸がざわざわして、不安でたまらない気持ちになった。そして、なぜだかわからぬが、周囲の蝉の声が異様に耳に触るようになったのである。蝉の声は脳に震動するほどやかましく、攻撃的に聞こえてくるので、両耳が潰れるかと思った。


やがて、頭上の樹木のそこここから降ってくる蝉の声が空を旋回するヘリコプターのようなうなりを帯びてきたので、私は気が変になりそうになった。
中腰で絶叫して、錯乱状態になりかけた私は、
「三木のせいで俺の人生は真っ暗だ。あのやろうは絶対に許せない。一生、呪ってやる。呪い殺してやる。俺が歯向かわないことをいいことに奴は好き勝手に俺につけた変なあだ名を周りに言いふらしまくっている。そのせいでこっちは神経がやられてしまい、人間不信になり、鼻血が出るほど奥歯を噛みながら苦しんでいるんだ。もう死のう、とまで考えた夜もあった。涙を流した夜もあった。三木、地獄に堕ちろ。そして、苦しめ。苦しんで、私に変なあだ名をつけたことを後悔しろ。ギョウ虫以下のクソやろうめ。とか言いつつ、俺も三木のことをガイコツ木魚みたいな顔なぞと思ったりしているので三木を批判できる立場ではないのかもしれないが、それはあくまで腹の中で思っていることであり、実際に口に出して言っているわけではない。そのへんの常識はわきまえているつもりだ。とにかく、奴は先端を尖らせた篠竹なんかで心臓を突かれて頓死してしまえ。というか、今すぐ死ねやと言霊にして飛ばす」
などとうそぶいた直後、手に持っている書道道具のバッグをガサガサと揺らしてから、それを下方にある猛々しい雑草が繁茂する草むらに放り投げた。


まっすぐに飛んでいったバッグはすぐに視界から消えた。草むらの底でガチャンという嫌な音がした。
硯が割れたのかもしれないが、書道教室を辞めた後なので、そんなことはもはやどうでもよかった。
それよりも自分の体の異変に腐心して、涙が出そうになった。「俺は頭がおかしくなったのかな。どうしよう…」とつぶやき、小学校の校歌を口ずさむなどして気を紛らわせながら急ぎ足で小径を下っていると、例のばあさんが山の麓から小径を上ってきた。


竹籠を背負ったばあさんは私の顔を見ると、浅くお辞儀をしてから手を上げたので、いつものように、「おにいちゃん。気をつけて帰らいよ」としわがれた声で言うのかと思いきや、
「あらま。今日のあんだはとてもさびしい目をしているね。どうしたんだい?何かあったのか?」
と言い、色素の薄い目をしばたたき、心配するような顔をしていたので、私は涙が出そうになった。
すると、ばあさんは色褪せた鼠色のズボンのポケットから小ぶりの蒸し饅頭を四個も取り出して、
「これ、あんだに全部やっからよ。うまいから食べてみらい。ほれほれ」
と言った。私は目をこすりながら、
「…ああ、すみません…ごちそうさまです」
とたどたどしく言いながら、お辞儀をした。
ばあさんは優しく微笑みながら去っていった。



すぐに小ぶりの蒸し饅頭を食べた。なかはこしあんだった。生あたたかさが口いっぱいに広がった。
私はあんが苦手だったが、無理して全部食べた。
正面に立ち塞がる杉の木の隙間から見える夕方の空が美しい朱色に染まっている。いつの間にか蚊に刺されていた二の腕をかきながら空をぼんやり眺めていると周囲の蝉の声の煩わしさがなくなり、胸のざわざわと不安でたまらない気持ちも消えていった。
すると、山の麓に広がる田んぼのどこかからウシガエルの声が聞こえてきた。腹の下に響くような力強い声だった。私は「りょうくん」に戻りたかった。


          〜了〜



愚かな駄文を最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
大変感謝申し上げます。

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