すっぽん

光線の暗い陰気な沼の底から叫喚。

すっぽん

光線の暗い陰気な沼の底から叫喚。

最近の記事

  • 固定された記事

『好悪ちゃん』

『好悪ちゃん』   わたしは人の好き嫌いがはげしい性格である。 しかし、みんな、大概、わたしのことを誤解していて、いい人だとか、いつも穏やかだとか、優しいだとか色々と言うけれど、それは半分くらい間違っていると思う。 なぜなら、本当のわたしはいい人ではないし、案外短気だし、冷たかったりする。 のみならず、腹のなかで相手を罵ることもあるし、相手に変なあだ名をつけて、ひとりでほくそ笑んでいるような幼稚であさましい人間なのであーる。 けれども、日常生活を送る上で、わたしなりに

    • 『DD』

      『DD』 客室のドアノブの横にあるスイッチ式のDDの赤いランプが点灯していた。 DDとは「Do Not Disturb」の略であり、「スタッフは部屋に伺ってはいけない」という宿泊客のサインである。つまり、「部屋に入ってくるな」「邪魔をしないでくれ」などという意思表示のために客がこのDDランプのスイッチをオンにしておくのだ。しかし、フロアにいる私のPHSに社員から電話があり、その部屋の客はチェックアウト済なので開けておいてほしいと指示された。ちなみに、DDランプを点灯させたま

      • 『せっかくだから狂』

        『せっかくだから狂』 せっかくだから、という口癖をやめてほしいと付き合っている彼女から文句を言われた。私はほとんど意識していなかったのだが、日々の会話の中で「せっかくだから」という言葉を多用するらしい。 たとえば、二人で出かけたときに彼女から、 「あれ、食べてみたいんだけど、どう思う?」 「せっかくだから、食べていこうか」 また、彼女の家に遊びにいったときに、 「今日、このままうちに泊っていく?」 「せっかくだから、そうしようかな」 彼女はそれがものすごくイラつくの

        • 『所詮人間程度』 後半

          『所詮人間程度』 間も無く、午後四時半になろうとしていた。 本来、朝九時半から働いているパートさんは午後四時半で上がることになっているのだが、その日は未清掃の予約部屋が残っていたため、皆で残業することになった。そして、それを現場のスタッフに伝えるのも私の役目である。私は清掃中の客室を回り、ひとりひとりに声をかけた。誰も嫌な顔をしなかった。文句や愚痴を言わず、二つ返事で清掃を続けてくれた。その後、リネン庫で顔を突き合わせても、誰もそろそろ上がりたいという素振りさえも見せようと

        • 固定された記事

        『好悪ちゃん』

          『所詮人間程度』 前半

          『所詮人間程度』  マスターキーで角部屋に入ると、カーテンが閉められた部屋の中は薄暗かった。しかし、その薄暗い中でさえも部屋の汚さが尋常ではないことが明瞭である。烈しく乱れたダブルベッドの上に散乱している衣類やその辺に置いてある物などから察するに、若い男女が泊まっている部屋らしい。ベッドの前にはインルームダイニングのテーブルがあり、その上には食い散らかした料理の皿、ひと口だけ食べたホールのケーキ、ワインクーラーなどが置いてあった。 また、部屋の中は強烈な臭気と澱んだ空気が横

          『所詮人間程度』 前半

          『虫虫虫』

          『虫虫虫』 生きているだけで疲れる。飯を食うのも疲れるし、風呂に入るのも疲れる。人に会うのも何だか疲れるので、なるべくひとりでいたい。それは今も昔もさほど変わらない。ああ、もう何もかもが嫌だなあ。日々の生活から逃げようかなあ。転職活動も疲れたなあ。どうせやりたくもない仕事をしながら、少ない手取りで細々と生活し、そのうち、たいして好きでもない異性と恋愛したり、挙句、ふられたりするために私は生まれてきたのかなあ。私の人生を包囲するあらゆるわずらわしさを放擲し、来週、私は出家しま

          『虫虫虫』

          『あだなのせい』

          『あだなのせい』 ある盛夏の日、私は「カスりょう」という変なあだ名をつけられた。それからしばらくの間、私はカスりょうとして生きていくことになったのである。 その時分、私は小学五年であり、書道教室に通っていた。そして、ある日の授業中にふざけて、書道用紙の一枚に筆で大きなカステラの絵を描いた。何の意味もない。カステラが好きなわけでもない。むしろ、カステラは好んで食べない方だった。そのとき、頭に浮かんだものを適当に描いただけである。 すると、そのカステラの絵を長テーブルを挟んで

          『あだなのせい』

          『住居侵入罪』

          『住居侵入罪』 愚にもつかぬ退屈な仕事が終わり、虚ろな目をして一人暮らしの部屋に帰ると、居間に知らないおっさんが端座していた。大島紬の着物と袈裟を着ている禿頭のおっさんである。というか、はっきり言って高齢のジジイであり、異様に頭部がでかく、目つきの悪い、私の心を忽ち不快にさせる風貌だった。 恐怖を感じるより先にパニックになった。私の意識は混濁しかけ、心臓発作の如く胸が苦しくなる。 そのとき、「よござんすか?」と江戸時代の丁半博打の男みたいな口調の凛々しい声でジジイが言葉を

          『住居侵入罪』

          『個室の狂人』

          『個室の狂人』 タバコの臭いと人間の臭いと食べ物の臭いが入り混じった薄暗い店内には不浄な空気が蔓延っていた。 私がアルバイトしている漫画喫茶は、駅前にある古びた雑居ビルの二階に入っている。一階は先月閉店したうどん屋になっていて、三階は麻雀店だった。 私は「中番」と呼ばれる夕方十八時から深夜二時までのシフトで働いている。店内はシングル用のオープン席が十八席、ペア用の個室ソファ席が八席だった。また、基本料金が一時間三百円であり、他には、三時間七百五十円のパック料金、夜二十三時

          『個室の狂人』

          『濾過』

          『濾過』 近頃、ノイローゼ気味の私は、古い記憶にカビが生える前にこのことを書いておきたいと思いました。 私が幼稚園の年長の時分のことでした。 ある日の午後、私は幼稚園のスクールバスを降りると、目の前に立っていたのは母ではなく父でした。 平生、自宅の近くで降ろされるスクールバスを待っているのは母なのですが、なぜだかその日はスーツ姿の父が待っていました。しかも、父は近所の母親たちと何か談笑しながら、にこにこしていました。 それが私には不愉快でした。父は私の顔を見るなり、得意

          『瓢箪鯰』

          『瓢箪鯰』 チェ・ゲバラのTシャツを着た私は、日当たりの悪い陰気な六畳間で断食五日目みたいな顔をしていた。 すると、突然、父が部屋に入ってきて、 「今日からオレが英語を教えてやっからァ!」 と言った。それは私の中学の英語の成績がクソレベルなので、父がついに業を煮やしたらしかった。 父は隣の部屋から埃まみれの椅子と使い古した英和辞典を持ってきて、私の学習机の横に座った。 そして、私が学校で使っている英語の教科書を仏頂面でパラパラとめくると、パッと指を差して、 「どれ。まずはこ

          『瓢箪鯰』

          『証言』

          『証言』 腐敗した魚の臭いがすると思ったら、自分の足の臭いだった。どうやらそれは、踵でもなく土踏まずでもなく、それぞれの爪から発している臭いである。 思わず天井を見上げた。節電のために薄暗い男子更衣室には、私の他には手術終わりの外科医の先生たちが数名いて、「今回の手術は夜通しだった」だの「ドクターヘリで臓器が届くのを待った」だのと喋っていたが、「あの看護師の態度、なんだよあれ。頭にくるよなー」「全然、仕事ができない看護師いたろ。あの子、もう外せ」などと看護師への不平不満を

          『残高不足』

          『残高不足』 無職の私にはお金がない。 銀行の貯金残高は千八百七十四円だし、財布の中には百七十六円しかなかった。 だから、今の私の全財産は二千五十円なのである。 「割とキリがいい数字かもしれないね、あははっ」 なんて悠長なことは言っておられず、かろうじて生活していられるのは実家暮らしのおかげであり、毎朝、リビングで母と顔を突き合わせては、「就職活動はどうなの?今、何社くらい受けてるの?」などということを耳にタコができるほど言われていた。 先日、私は中学の同窓会に誘われたが

          『残高不足』

          『すっぽん発狂』

          『すっぽん発狂』 すっぽんが私の手の指を食いちぎった。 だから、私はもう片方の手で暴れるすっぽんを鷲掴みにして、手荒に俎板の上に乗せた。 すると、すっぽんがふたたび甲羅からにゅうっと細長い首を突き出したので、私はすかさず、首に出刃庖丁を当てて、トンと首を切り落とした。 顔は胴からあっさり離れて、ぽとりと落ちた。 あとには真っ赤な鮮血がドバドバと噴き出した。 すっぽんはあっけなく死んだ。 そんな珍奇な夢を見ていると、階下から意味不明な奇声が聞こえてきた。深夜一時をすぎている

          『すっぽん発狂』

          『殘』

          『殘』 自宅の裏庭で飼っている柴犬のフジマルが選挙カーにむかって、けたたましく吠えていた。表にいた父は門柱に卑猥なマークが落書きされていると憤慨していて、今はしかめ面で昼飯を貪り食っている。 裏庭は低い縦格子のアルミフェンスを隔てて道路に面しており、フジマルはフェンスの間から顔を突き出してみたり、犬小屋のぐるりを狂的に走り回りながら昂奮していた。執拗に遠吠えを繰り返す。 すると、その騒々しさに苛立った父が、食べかけの天ぷらうどんを放擲して、台所の勝手口から外に飛び出すと、

          『初恋に死す』

          『初恋に死す』 中学一年の秋口のある夜、私が杏さんに告白することが決定した。杏さんは私が所属している美術部のひとつ上の先輩であり、私の片想いの相手だった。 夜八時四十分頃、クラスメイトのひかりちゃんから電話がかかってきた。ひかりちゃんは美術部でもなければ杏さんと会ったこともなく、何の接点もないはずなのに、杏さんの自宅に電話をかけて、私が杏さんに告白するという段取りを勝手に取り決めてしまったのである。無論、そんなことは私にとって寝耳に水であり、甚だ迷惑な話だった。私はひかり

          『初恋に死す』