ひたすら外から情報を仕入れて知った気になっていた時期もあったけれど、それは錯覚だったのだと思う。音楽も同じ。いろんな曲を聴いて、楽典や楽理をどんなにやっても、使いこなせなければ意味がないのだから。頭と心で感じ、納得したことを、音楽として形にするのがいちばん難しい。
本を読み出すと、本当に何もしなくなるので、意識して飲み物を飲む。こんなにも大切な事が書かれているのだから、ハリーポッター並に全世界に広まればいいのにとゲド戦記を読みながら思う。しかし、このことを深く本当に理解するのには現実の時も、そうでない時も重ねていかねばならないだろうとも思う
「知らないことを知らないと自覚する。それが本当の知るということ」 (老子) わかったふりや わかったつもりをしている事は多い 「実はわかってなかったな…」と自覚すると わかるための次の行動が見えてくる そのためには実際に行動して やってみるに限る 無知を体感するのが大切
レシピ本を読んでも、料理として再現できなければ本当に知っていることにはならないし、ヨガのメソッドを暗記するほど読んでも、自分でできなければ知っていることにはならない。