中国のインスタでキャベツの値段を叩かれて、ピンク髪女子の自殺についても考える
先生、外国人にも貧富があるの?
微博が中国のXならば、小红书はインスタみたいなものだろうか。
アメリカでのTikTok禁止に反発したアメリカ人が「じゃ別アプリの小红书やるぜ!」と抗議の態度に出て、大量に参入。
今アメリカ人の若者たちの投稿が注目されている。
そしてその一つを見た私の学生の一人が私に質問してきた。
女子学生「先生、アメリカ人の若者が、アメリカでは多くの人が食べる物にも困ってるといいますが、本当ですか?」
女子学生「そして、それに対して多くの中国人が、これは中国人がアメリカ人になりすまして嘘を言っているんだろうと疑ってます」
女子学生「でもアメリカ人は今本当に多くて、私は本当にアメリカ人のように思うのです。彼らはTikTokが禁止されたからこっちにきたと言ってます」
それで彼女は本当のことが知りたいと、私に質問してきたのだ。
アメリカのことはよく知らないが、とりあえず私はこのように返事した。
私「今はどこの国も物価が高騰していると聞くよ。日本人さえ好きな時に好きなものを食べれるという状況ではない。生活苦しいよー」
これに対して彼女は非常に驚いた。
女子学生「では、このアメリカ人の情報は本当なのですか!?」
女子学生「外国では医療費は全て免除されていて働かなくても生活ができるのではないのですか?」
女子学生「多くの中国人が子どもの頃から先生にそのように教えられてます」
これには私が逆にびっくりした。
でも確かに多くの学生たちが、日本人の給料は中国人より高いから金持ちだと思っている。
私「アメリカも貧富の差はあるだろうし、日本だって貧困家庭はたくさんある。ごはんもろくに食べれない子どもたちだって存在する」
これには彼女も絶句。
女子学生「多くの中国人は外国には貧困がないと思ってる」
女子学生「だって中国は外国のネットさえ見れないからわからなくて……」
そして彼女はなぜか謝る。
「知らない」「わからない」と言うと高校で先生に怒られてきたので、こういうとき謝る癖がついている。
私は毎回言ってるけど、謝ることはないと彼女に言う。
むしろ、彼女は知ろうとしている。
自分ではわからないから、直接外国人に聞こうとしている。
それはとてもすばらしいことだ。
そこで私は日本人、特に道民としての今の本音を晒した。
それで私はコロナ期間に日本でオンライン授業で苦労したのだ。
中国にいれば便利なアプリも日本では使えなかったりする。
その代表ともいえるのが新疆ウイグル自治区のことだ。
この女子は作文に「将来は新疆ウイグル自治区に住みたい」と書いている。
その理由が、新疆ウイグル自治区はのんびりしていて生活水準も山東省とは同じぐらいで住みやすいからという理由。
これはネット情報とかではなく、実際にもう20年定住している親戚のおじさんから聞いたそうだ。
そして「ウイグル自治区の女性は綺麗で、好きなアイドルはこの地の人だ」と綺麗な女の子の動画まで見せてくれた。
他の学生も開発地区とされるこの地に教育促進の教師として派遣されてたりするし、また将来この地に移住する前のお試し期間として支援に行くといったプログラムも学校にあるらしい。
何が言いたいかと言うと、その中に入ってみないと、実際そこにいる人が何を考えているかどう感じているかはわからないし、少なくとも確かに言えるのは、一般の人たちはウイグルの人たちに好意的というか、むしろ憧れすら持っているということで、そこには見下げる差別みたいな感覚がない。
事実はああだとか真実はこうだとかそういう話をしたいわけじゃない。
ただ、実際そこではどう捉えられてるのかとか、一人一人は何を考えているかなどは、直接交流してみないとわからないこともあるということだ。
キャベツ千円じゃ時給と同じ
この女子との会話を通して、まだまだ直接交流しないと民間人同士理解しあうのは難しいなと感じて、アメリカ人じゃないけど、自分も日本のことを発信してみようと、ずっと放置していた小红书に記事を書いた。
それがこれ
友だちが、東京では一時キャベツが一玉1000円にまでなったと言っていた。北海道では600円、岡山でも500円と。
この際、キャベツじゃなくても何でもいい。
札幌のご近所さんはもやしが36円になってキレてる主婦にスーパーで絡まれたと言っていた。
物価の高騰は止まらないようで、家計のやりくりもたいへんそうだ。
実際、私も日本にいる時は、曜日に合わせた特売日で肉を買うとか、遅い時間に値下げの寿司を買うなど工夫をしていた。
しかし、今現在住んでいる中国山東省では、スーパーで値段も見ずに買い物をしても悲鳴は大してあがらない。
キャベツも一玉百円以下だ。
だけど、中国にいると、日本人はとにかく富裕というイメージがつきまとう。給料が高いから日本で働きたいとか学生も憧れを抱いている。
物価が高くて税など支払いも多くて高ければ、残るお金などたかがしれてる。一部の富裕層だけが楽な暮らしをしている点では中国だって変わらないだろう。
私からみれば、私がいる山東省の、あくまで私の周りの普通といわれる人の暮らしは、日本人の一般家庭よりもずっと楽に見える。その理由は食べ物の安さにあると思う。
最近日本人はイライラしているという話をよく聞くが、はっきりいって中国にいたほうが私もイライラしない。イライラしている人にからまれることがほとんどないからだ。イライラは伝染し、帰国のたびにイライラしがち。
政治のことはよくわからないけれど、民衆を飢えさせないって大事なことなんだなぁと思う。おいしいものをたくさん食べられればとりあえず幸せってことはわりとみんなよく言っている。
確かに歴史的にも食べる物も食べれなくて生活も厳しいって時に百姓一揆や革命が起こったりもする。
まあ、それはともかく、私は前述の女子学生が日本人は働かなくても裕福だと言っていたことに対して、きっとほかの人も思ってるのかもと思い、一人の日本人として、あくまで私の身近な話題として、キャベツ千円なら私が帰国してた時のタイミー時給以上じゃん!って意味で小红书に投稿した。
すると予想外の批判をくらった。
「キャベツがそんなに高いわけない!」
「東京ではもっと安い!」
など、日本に住んでいるという中国人からだ。
それからはもうキャベツの値段合戦。私はとんだ嘘つき扱い。
ただし、私が言いたいことはそこではない。
キャベツが300円だって私は高いと思うし、「給料は年々上がってるのをあなたは知らないのか」という意見もあったが、時給の値上がり経過年数と物価の高騰の速さは見合ってないと感じる。
そもそも私が言いたいのはキャベツの値段が千円かどうかの真偽ではない。日本人全体が富裕なわけではなく、ごく普通とされている人たちがキャベツ一つさえ買えない現実もあるということだ。
それを中国語で書いた。きちんと中身を読んでくれと。
すると今度は「それならあなたの中国語のレベルを上げろ、もっと勉強したらどうか」というコメント。
まあ、確かに私は中国語がまだまだ勉強不足だが、しかし私が投稿した文章はchatGPTが仕上げたもので、私は読む人が不快にならないようにという指示も与えた上で書いている。
(まあ、chatGPTにもっと中国語勉強しとけって言っておくわ笑)
そもそも母国語話者が外国語学習者の言語の拙さを批判するのは卑怯である。
これには私も頭にきて、日本語で言いたいことを書いた。
でもいちいち怒るなと私の周りの学生はたしなめる。
しかし批判するばかりでもなく、徐々に私を擁護する声も上がってきた。
「多くの日本にいる中国人が日本人が日本の野菜が高いと言ってることに対して反論しているなんて、どうかしてますよ。日本の果物や野菜が少なくて高いと言うのは共通認識じゃないですか? 最低時給でキャベツが二つも買えないというのはとんでもないことでしょうに」
「実際ここ数年の日本人の購買力は直線的に下がっていると実感しています」
「良い面もあれば悪い面もありますよね。例えば、中国の物価は日本より低いけれど、給料も日本より低い。そして労働時間が長くて、休暇も少ない。一方で、日本は給料が高いけど物価も高いし、購買力が下がっている。どの場所も完璧とは言えず、結局は自分がどう選ぶか次第です。例えば、私のように小さい頃から野菜を育ててきた人にとっては、特に気になりません。それでも私はもう二度と「996(9時か9時まで週六回)」の働き方なんてしたくありません」
「日本人が日本のこと文句いってるのに中国人がそれを批判するなんて……。本当に視野が広がった。日本人が食べる物にも事欠いているなんて……」
そこ! それが言いたかったところ!
もちろんすべての人ではないのだけれど、食べ物に事欠く人だっているってこと。それはどの国でもどの場所でも色んな状況の人がいるってことで、二番目の人も言うように、どの国もよいところも悪いところもあり、様々な境遇の人がいるということ。
だから当然アメリカにも貧富の差があるし、日本人だからアメリカ人だからと一括りにしないで、一人一世界というか、それぞれの生活や境遇を知れば、国はちがっても人種はちがっても、共感できる部分だってあるはず。
逆に言うと、同じ国でも立場や境遇が違えばなかなかわかりあえることもない。
だから国家単位でお互いいがみ合ったり偏見をもったりせずに、個人同士一人の人間として見ようよってことなのだ。
が、私も反省点はある。
これが伝えたいんだってことをここで書くみたいにはっきり書いていない。
文句の形で書いているから、やはり不満や文句がある人が吸い寄せられている。
友だちに言われた。
「愛の言葉を吐いていたか?」と。
いや、吐いてない。
確かに私は「キャベツ千円なんて信じられないよ! 国民にキャベツすら食べさせない気か!」みたいな私憤を義憤にすり替えていた。
そこは私の反省点だ。
ただし、だからといって、匿名でどこの誰かわからないってのをいいことに、日ごろのストレスのはけ口に誰かを批判したり、心理的苦痛を与えることを快楽にするような一部のネット民を私は許すことができない。
この事件などいい例だ。
ピンクの髪の女の子の自殺
それは、前述の女子が言っていたこと。
大学院に合格した前途有望な23歳女子が、髪の色がピンクであることをネットで批判され自殺したという事件だ。
私はこれを先日聞くまで知らなかったのだけど、Yahoo!ニュースにもなっていたのだな。
この事件に私の学生は非常に心を痛めていた。
その話を聞くだけで私も泣いてしまった。
そして今Yahoo!ニュースでも見て改めて思ったけど、彼女は非常に聡明な子だったろうに、姑息で卑怯な悪意ある人たちを真っ向から相手して疲弊してしまったのだろうな。
最後はうつで自殺……。
かわいそうに。
私もキャベツで少しだけわかったが、まともに話が通じない人間とまともに話し合おうとしても無駄なのだ。
彼らの目的は批判と攻撃で、決して相手を理解することではない。
こういったネット暴力はネット社会ならどこにでもあり、全世界共通だと思う。本当に卑劣で許せない。
私にアメリカ人のことを質問してきた女子もネット暴力(中国語で网暴)が怖いから、アメリカへの認識を深めたくても、直接ネットの場では聞けず、私に質問したのだという。
なんということだ。
「私はアメリカに対して偏見があるかもしれない」、「学校で教えられてきたことと実際の若者の生活は違うのかもしれない」と、興味と好奇心を持った中国の若者が、一部のネット民のネット暴力を恐れて、直接交流したくてもできないという状況が生まれている。
そしてそのアメリカの若者だって、自分の境遇を訴えているのに「偽アメリカ人」と言われたり、私だってキャベツ高いって言っただけで叩かれてる。
私の場合、そんなに多くの人が見てるわけじゃないから、ごく少数の「何だこいつら」だけど、反響が大きければ大きいほど、このピンク女子のようにいわれもない誹謗中傷が増えて苦しむことになる。
本当に、まともな人2が日本と中国それぞれいいところも悪いところもあると述べていたように、ネットに関してもお互いを知るためのツールとなり得る反面、悪意に晒されることにもなる。
それでも私はやはり発信してみたいと思っている。
そして、大事なのは愛ある言葉かなと。
類は友を呼ぶじゃないけど、強い言葉には強い反応、文句や不満には文句や不満がある人が寄ってくることもあるのではないかと。
ただピンク髪の女子の場合は、別に良い記事の内容だったと思うし、愛ある言葉で書いていたと思う。それでもからんでくるネット民もいるのだから、もうそれは相手にしないようにするしかないということか……。
私もスルースキルは高くないし、相手に真っ向から向かっていく人間なので、他人事とは思えない。でもそれはあくまで顔を晒した場面でのこと。
顔も見えない卑劣な相手は表に引きずり出さない限り、相手にするだけ不毛と思う。
それにしても本当に痛ましい事件だ。
私はネット暴力は怖いという女子学生にこう伝えた。
今目の前の一人から何かが変わるかもしれないし、「あれ、おかしいな?」「本当はどうなんだろう」「知りたいな」って感じる純粋な好奇心の芽を摘みたくはない。
私がやってることはごく身近な範囲で小さいことかもしれないけれど、このno+eだって、誰かが「中国人も色々いるんだな」と思ってくれればいいと思って書いている。
私自身も日々「あれ、今ひとまとめにしてなかったか?」「これは主観や思い込みではないか?」と反省したりもする。
例外を知ることで「もしかしたらそうじゃないかも」と考えるようにすることが、偏見や決めつけから脱するために何より大事なことと思う。