元亀4年(1573)4月12日は甲斐の虎の異名で知られる武田信玄が死去した日。信長や家康が恐れた戦国大名で上杉謙信との川中島合戦は12年かけ5度も行われた。三方ヶ原で家康を破り三河へ進軍していたが病により死去。勝頼に自分の死を3年隠すことや好戦的にならず領国を守る遺言などをした。
永禄4年(1561)9月10日は武田信玄と上杉謙信(政虎)が信濃の川中島で戦った日。一騎打ち伝説が生まれ映画やドラマで有名な第4次川中島の戦い。信玄として痛恨の極みは優秀なNo.2だった弟・信繁の戦死では。今あの人がいてくれたらと悔やんでも仕方ないのならやるしかないのですよね。
永禄4年(1561)9月10日は武田信玄と上杉謙信(政虎)が信濃の川中島で戦った日。前日深夜に武田別働隊が妻女山へ本隊は八幡原へ布陣。朝霧が晴れると武田本隊の前には察知して下山していた上杉軍が布陣していた。虚を突かれた武田軍は別働隊が到着するまで劣勢を強いられる戦いとなった。