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信州川中島合戦

⚔️『信州川中島合戦(文楽)』

近松門左衛門 作
享保六年(1721)大坂竹本座初演。五段つづきの時代物。上杉謙信と武田信玄の川中島の合戦を題材にしている。

三段目の「輝虎配膳」より

越後の長尾輝虎(上杉謙信)は、宿敵の武田信玄に負け続けている。輝虎は信玄が強いのは向こうにすぐれた軍師の山本勘助がいるからで、何とか勘助を自分の軍師に迎えたいと考えている。その山本勘助は輝虎の家臣である直江山城守の妻の兄にあたるという。輝虎が直江に問いただすと、直江はすでに勘助の母と妻をよび寄せてあると答えた。輝虎の屋敷へ直江の妻唐衣の案内で、勘助の母越路と妻のお勝があらわれる。装束を改め、迎えた直江は、二人の前に輝虎からの贈り物と将軍拝領の小袖を差し出すが、越路は受けとりを拒む。仕方なく直江が配膳を命じると、何と輝虎みずから膳を持ってあらわれた。どうしても越路を説得したい輝虎は、そこまで辞儀をつくすが、逆に越路は越後国では母を餌に勘助を釣ろうとするのかとはねつけ、膳を蹴りかえしてしまう。短気な輝虎は刀に手をかける。直江が止めるが、越路はひるまない。間に立ったお勝は吃音のため巧く口がまわらず、傍にあった箏を弾きながら、曲にあわせて姑の助命を切々と訴える。その心に打たれた輝虎は越路を許し、越路とお勝は直江の館へとむかうのだった。

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越路は輝虎が義を重んじる性分であることを理解しており、更に短気であることをすぐさま見抜いたのでした。つまり、越路はわざと受け取りを拒み、膳を蹴り返したのです。輝虎の出方も、お勝の振る舞いも計算のうち。越路がこのような不遜な立ち振る舞いをすることで、輝虎、直江、唐衣の面目も保てる。そして越路、お勝の命も救われる。更に輝虎へ理解をさせる・・・母妻に諭されて敵に見返るようなものは優れた軍師ではない。山本勘介は何があろうとも動かない。

山本勘介は右目と右足が不自由ながらも、天と地を読む天才軍師。
その妻、お勝は口が不自由ながらも、箏を弾いて場を執りなす能力を持つ。
(・・・「不自由」は人を強くさせるのか。)
これらの母である越路は、機智と能力に富み、天才軍師といわれた山本勘介よりも優秀な策略家であったのです。彼女が軍師であったなら、天下に名を残す武田信玄、上杉謙信をも攻略できる。


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「文楽」についてささやかな解説。
人形劇は世界中にあります。
「手遣い」・「指遣い」・「糸あやつり」・「棒遣い」・「影絵人形」・「からくり人形」・「写し絵」・・・この八種類に分類できます。日本の人形浄瑠璃・文楽は「手遣い」に属していますが、文楽は他の人形劇とまったく違う特質をもっています。太夫(浄瑠璃)と三味線による義太夫(音楽)、それと人形(三人遣い)との三業で成立しています。また演目内容も大人向けとしても特殊で、義太夫節の語りと文楽三味線の一撥が大人の「心情吐露」を際立たせています。

いつの世も「生きる」「死ぬ」が人間の哲理。その人間が持つ「情」は、約束事のように人生にあらわれる。感情、人情、友情、愛情、欲情、強情、恩情、厚情、真情、同情、薄情、無情・・・。文楽は人形を操る芸。人間が持つ「情」を人形に込め、一切有情を拡大して見せる芸術である。b

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