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歴史・人物伝~謙信の戦い編⑨武田軍の総崩れを狙った上杉軍の総攻撃

歴史・人物伝~謙信の戦い編の第9回です。1561年の第4次川中島の戦いを書いていきます。

海津城の武田信玄は、妻女山に陣を張る上杉軍に向けて別動隊を出発させ、自らは本体を率いて八幡原に出陣します。しかし、作戦を見破った上杉謙信は全軍で妻女山を下り、八幡原に布陣したのです。

やがて深い霧が晴れてくると、信玄の目の前に上杉軍全軍が姿を現します。信玄の本隊は8千、対する上杉軍は1万3千。数的優位に立った謙信は、全軍での総攻撃を仕掛けてきました。

信玄は鶴翼の陣形をとり、別動隊1万2千が到着するまでは守りに徹する戦いを強いられます。逆に、絶好のチャンスを逃してはなるまいと、謙信は車懸かりの陣形で攻撃し、武田軍の総崩れを狙ったのです。

劣勢だった武田軍は、「啄木鳥(きつつき)の戦法」の提案者だった山本勘助が討ち死にし、さらに信玄の弟で武田軍の守りの要だった武田信繁も討ち取られてしまうなど、武将クラスの戦死が相次ぎました。

ただ、さすがは信玄率いる本隊だけあって、大きく陣形が崩れることはありません。妻女山から引き返してくる別動隊も間もなく到着します。優位だった謙信にも徐々に焦りの色がにじみ出てくるのです。

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