歴史・人物伝~謙信の戦い編⑧信玄の作戦を謙信が見破った!
歴史・人物伝~謙信の戦い編の第8回です。1561年の第4次川中島の戦いを書いていきます。
信玄の作戦「啄木鳥の戦法」
川中島の東にある海津城に入城した武田信玄と、南にある妻女山に布陣した上杉謙信。武田軍は2万、上杉軍は1万3千と言われており、軍勢の数は武田軍が勝っていました。
数的優位の武田軍は、妻女山を総攻めすることもできたでしょうが、信玄は「上杉軍の強さを考えると味方の損害も大きくなる」と慎重に構えます。そして、上杉軍撃滅のために策を弄するのです。
それが、信玄の軍師である山本勘助らが進言した「啄木鳥(きつつき)の戦法」です。キツツキが木の幹をくちばしで叩くことで、驚いて飛び出した虫を捕らえるという習性を軍略に応用したのです。
武田軍を二手に分け、別動隊1万2千を密かに妻女山の裏手に回らせ、上杉軍を奇襲します。上杉軍を八幡原(川中島)に追い立て、待ち構えていた本隊8千と挟み撃ちにするという作戦です。
信玄は、高坂昌信や馬場信房らに別動隊を命じ、深夜に海津城から出立させます。さらに翌早朝には自らが率いる本隊が出陣し、八幡原に陣を構えるのです。その時、一帯は深い霧に包まれていました。
夜陰と霧にまぎれて全軍を移動させた謙信
妻女山の上杉謙信は、武田軍が山に向かって総攻めはして来ないだろうと考え、自ら動くことはせず、武田軍の動きを注視していました。兵の数で劣るため、勝機を探っていたのかもしれません。
ある日の夕刻、海津城から炊き出しの煙がいつもより多く立ち込めているのに気が付きます。武田軍に何か動きがあると察知した謙信は、全軍に臨戦態勢を取らせるとともに、武田軍の動向を徹底的に偵察させます。
別動隊の進軍をキャッチした謙信は、裏をかいて密かに全軍を妻女山から下山させ、西側をう回しながら千曲川を渡ります。夜の闇と朝方の濃霧に隠れるような形で、八幡原に布陣し臨戦態勢を整えたのです。
江戸時代に頼山陽が「川中島」という漢詩を書いています。冒頭部分が、この有名なフレーズです。
「鞭声粛々夜河を渡る」(べんせいしゅくしゅく、よるかわをわたる)
信玄に気づかれないよう全軍を大移動させる謙信の統率力は、素晴らしいものがあります。この結果、八幡原で両軍が対峙した時、謙信は数的優位に立てたのです。