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歴史・人物伝~謙信の戦い編⑦並々ならぬ覚悟で川中島へ出陣

歴史・人物伝~謙信の戦い編の第7回です。1561年の第4次川中島の戦いを書いていきます。

第4次の戦いは、上杉謙信と武田信玄が激しくぶつかり合った戦いとして知られており、一般的に「川中島の戦い」と言えば、この第4次を指します。まずは、合戦に至る背景について触れます。

小田原城を包囲する北条氏討伐戦で関東に出兵し、関東管領と上杉家を継承した上杉謙信(当時は政虎、記事では以後謙信に統一する)は、幕府の組織上、関東の支配を任される立場になりました。

一方、武田信玄は幕府から信濃守護に任じられ、川中島のある善光寺平の支配権を得たものの、謙信がそれより上級職の関東管領となったため、文字通り「目の上のたんこぶ」の存在だったのです。

善光寺平の支配を確実にしたい信玄は、同盟関係にあった北条氏康を援護するため、北信濃に出兵します。再び動いた信玄を警戒し、謙信も関東遠征から帰国後、ただちに北信濃へ出陣しました。

善光寺平へ先に到着したのは謙信で、武田氏が領有する海津城の南にある妻女山に布陣します。善光寺に兵を残してはいるものの、主力部隊を敵陣深くまで投入するという並々ならぬ決意がうかがえます。

これに対し信玄は、西側の茶臼山にいったん陣を張り、上杉軍の様子を見ます。しばらく膠着状態となっていましたが、上杉軍の攻撃を警戒しながら善光寺平を横断し、海津城に入城しました。

そして、運命の決戦前夜を迎えるのです。

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