タイトルだけ書いて進んでいないものとか増えてきた。 ぼちぼち綴っていきたいものの、そこまでの体力と気力がない。 現状、仕事以外での関わりのある人の9割9分敵しかいないから仕方ないか。 主治医さえ敵だったんだから。 全部わたしが悪者。 好きで障害者になった訳ではないのに。
やっぱり、健常者様と障害者は【区別】されるんだな。 「弁えろ」 その一言で、分断されたんだな。 わたしから言葉を投げて、わたしはそれ以降話す言葉と声をあの場所と人だけ失えばいいんだ。 仕事以外の全てで声と言葉を失くせばいい。 これも、消えるための準備だと思えば良い。
「現代社会において、アメリカ合衆国は標準であると同時に例外である」 「自由の道徳的劣化:自由は個人の野放図な欲望をどこまでも追及することへの許可を含意するものになったのだ」 アメリカにおける「始まりの行為」 大澤真幸〈世界史〉の哲学 群像2022年12月号 P572-585
現代日本人が「聞き上手」というのは大ホラだろう 現代日本人の大部分は話を聞くことも苦手であり、話に対して己の意見を返信することはそれ以上に不得手としている つまり、現代日本人が得意としているものは「聞いた振り」であって、現代日本人は「聞き流し上手」というべきだろう
メモ。 連載をもたせてもらった際に使ったキーワード”余白をつくる”。 僕の立場の”曖昧さ”。 教科横断ノージャンルな学びの実践。 大人から子どもまでごちゃまぜのクリエイティブ空間の創出。 すべては繋がってた。 「分断から共創へ。」 これが僕のテーマになるのではないか。