人生経験が長くなるほど知らず知らずのうちに、良かれと思って伝えていた事が自分の価値観の押しつけだったりすることもあったりする。そしてそれに気づいていないことも多い。私もよくわが子たちに指摘されたっけ。親子であっても一人一人違って当たり前。
#292 ささひろさんのツイッターより。 嫌われる原因のほとんどは「余計なひとこと」「価値観の押しつけ」「不機嫌のまき散らし」の3つです。やられてイヤなことをやらない気遣いが大切です。
私は、憲法24条で「同性婚」は制限されているという立場。「両人」ではなく、あえて「両性」と憲法で定めたことには、意味がある。 この規定は、憲法改正時に女子大生だったベアテさんが草案を書いた。彼女は敬虔なキリスト教徒であり、『結婚は男女で行うもの』という価値観から「両性」と書いた。
ADHDの私は『興味のありなし』で熱量があからさまに異なります。 TVなら、好きで興味のある番組は必ず観て、興味がなければ徹底的に観ない。正直驚かれます。上記は『ADHDだけ』とも言えませんが、他人の考えを尊重できない(=私が苦手な)人は、勝手にイライラし、最後は離れていきます笑
意見を述べることと「押しつけ」は違います。一方で、 意見を聞くことと「押しつけられること」も違います。 どちらも、自分と相手で成立しますが、だれが主体か?というところです。 自分が述べた意見で、相手が変わるかは相手の問題です。 相手が述べた意見で、自分が変わるかは自分の問題です。
本稿はまとめ主の「(おもに映画や文学に対する)見識の浅慮さ」が窺える一方、件の映画評論家も「物語が一本道の作品以外は云々」と宣う時点で両者の作品性や作家性の違い=体験主体の相互性や「ナレーティブ」の有無を把握できていないのではないか。 https://togetter.com/li/1571792
とある宗教の家庭に生まれたワタシが体験談をつらつらと書いたらつらい思い出ばかりで“つらたにえん”な件(全21章) |kuronecostudio|note(ノート) https://note.mu/kuronecostudio/m/md388eaa2530e うおーーい‼ 購読してくださいな🙏 うおーーーい購読ゥゥー😂
「彼女をこの薄汚れた都会に呼ぶわけにはいかない」と地方に帰ってきた人に心当たりがある。私からはその彼女はどんな町でも生きていけそうなタフな人に見えたけどな。まあいいや。『木綿のハンカチーフ』の歌詞を再考している。所詮は価値観の異なる2人、お別れして良かったね。