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日本で接する中国報道の無意味さ

鎖国日本

コロナが始まってから早2年、帰省できず家族と会えないぼくは苛立ちを募らせ、入国規制をなおも続ける世界中の国々を呪う日々だ。そんな折に飛び込んできたのが岸田政権の水際対策を89%もの人が賛成するという世論調査、なるほど、さすがは鎖国日本、さもありなん。

そもそも海外への渡航が簡単に叶わない現状のうえに、鎖国根性が積み重ねれば、この国が眺める外国がいかに幻想、妄想、誇張、憶測のオンパレードなのか、いかに無根拠で信用できないのか、考えてみればわかりそうなものである。残念ながら、当の日本人たちの大半は全く無自覚であり、ただマス・メディアが垂れ流す海外情報を取捨選択もせずに受け取っているだけである。いやいやマスゴミは信用できないとする一見覚醒した一派は、より嘆かわしいことに掃き溜めツールのSNSを頼りにする。覚醒どころか覚醒剤中毒の彼らにはもはや付ける薬がなく、破滅という名の救いが彼らのもとに一刻でも早く訪れることを、願うばかりである。

無意味なテニス選手スキャンダル報道

つい先日、依頼を受け某大手メディアの番組制作を少し手伝った。以前にもブログに書いたことがあるできればやりたくない仕事だが、コロナで収入減の現状では背に腹は代えられない。割り切って仕事をこなすだけの心境でクライアントの会社に赴き、パソコンで資料検索と動画の文字起こしをし、元テニス選手が元副首相に性的暴行されただのされないだの、そんな何の意味もないスタッフ同士の編集会議を聞き、時間通りに帰宅した。

帰宅した頃には、件の放送がとっくに終了しているため、どのように編集されたのか、最新式のコメンテーターAIが今度はどんな空論を展開したのか、なにも知らずに済んだ。しかし妻は不運にも少しだけ放送を見てしまい、「あんなの、意味ある?」と時間を無駄にしたことを悔やんだ。お金をもらうためだけさ、出演者もテレビマンもぼくもーーそう考えて自分を納得させ、そしてなにも考えていないように見え、実際は考える能力そのものを失い、働き蜂のようにせわしなく動き回るだけの制作スタッフたちを、ひどく不憫に思った。

それにしても、中国の伊達○子と中国の麻生○郎のスキャンダルをとりあげて、何が面白いのだろうか。「異例の暴露」、たしかにそのとおりである。しかし、異例は最初の一回きりで、その後当事者から何の情報も伝わってこないのは周知のとおり、数ヶ月も追いかけるほどの価値はない。「この件の裏には権力闘争がある」、そうかもしれない、しかしそうではないかもしれない。現時点では何の証拠もなく、事件発生直後の憶測以上の結論を誰も出せないのなら、陳腐な論調を繰り返したところで無意味だ。「でも選手の身の安全が心配だ」、なるほど、それならもっとストレートに、「選手を出せ!さもないと訴えるぞ!」くらいの気概を見せてほしい。ワイドショーでSNSに上がった動画を流し、暇な中年男女向けに「心配ですねー」「この動画明らかに不自然ですねー」と騒ぎ立てたところで、当事者の安全に1ミリでも寄与すると思っているのだろうか。申し訳ないが不自然なのはあなた方の顔のほうだ。心配したフリを演じても、その目は明らかに悪意の輝きに満ちている。あなた方は誰の心配もしていない、むしろ無数のディスプレイの向こう側にいる視聴者と同様、選手の身に本当に不幸が降りかかり、できれば無残な死体となって発見され、そうすればもう一度涙する演技でお茶の間を賑わし、放送時間を潰せることを、ハイエナのごとく待ち構えているのだ。

どうしてもこの件から意義を見出そうとするのなら、海の向こうのニューヨーク・タイムズくらいはやらないとだめだ。フェミニズムの専門家が書いたこの記事は、元選手の暴露が中国のフェミニズムに再度火をつけ、それがやがて人権を求めるうねりに発展するのを政権が恐れていると分析した。中国におけるフェミニズムの存在感を過大評価しているものの、視点の一つとしては成り立つ。なぜなら、高圧的な政治が続く中国では、環境保全、ジェンダー平等、マイノリティ支援などは、市民団体がある程度動ける数少ない分野であり、彼らの行動が結果的に政権批判・政治批判に繋がる可能性が十分にあるからだ。中国政府もそのことを十分意識しており、だからNGO・NPOの動きにはいつも目を光らせる。しかし、日本のメディアにはそのような思考力も視野もない。いや、邪推すれば、日本は中国と同じくらいフェミニズムを警戒し、ミソジニーに溢れる国だから、自分たちを居心地悪くさせる視座に乗っかることは、そもそもありえない。

中国を見ない中国報道

テニス選手の件と同じくらいメディアを賑わせているのは、新疆のいわゆる人権問題だ。ここで「新疆ですか?そういえばチベットはどうなったの?」と野暮なことを聞いてはいけない。おそらく新疆とチベットの正確な場所さえわからない人が大半の日本において、中国が抱える少数民族問題が大衆に理解されるのは不可能だ。したがって、民族自決を求めるチベット問題と、宗教、安全保障、テロ対策が焦点となる新疆問題とでは、全く異なる理解が必要となることも、当然日本では誰も考えていない。「ああ、また中国が少数民族と揉めてるんだね」くらいの軽い気持ちで、対岸の火事を眺めるのがメディアと視聴者である。こう言えば、「やましいことがなかったら、だったら海外のメディアを入れて取材させればいい」という声が聞こえてきそうだ。たしかに、ぼくもそうしてほしい。そしてそれができない現状に、中国の現政権の弱さと無能さを見ている。しかし、海外メディアを受け入れないことと、強制労働や「ジェノサイド」があったこととはイコールではない。ぼくはチベットや新疆で人権侵害があることを否定しようとしているのではない。おそらく、惨劇と呼ばれるようなことが実際に起きただろう。しかし、だからといって実情を把握していないのにそれを「ジェノサイド」と安易に呼び、はてには立法で現地に関わる経済活動を制限する手口は、横暴と言わずして何というのだろうか。テニス選手の件と同様、ぼくは新疆問題に目を輝かせる人たちに疑念を抱かざるを得ない。あなた方は、本当に新疆の人々のことを思いやっているのだろうか。仮にあなた方が中国を打倒することに成功し、新疆を「解放」したとしても、そこで暮らす人々がどうなるのかは、欧米諸国にいるムスリムたちの境遇を見ればだいたい想像できる。結局、あなた方も中国と同様、そして自分たちが昔からしてきたことと同様、価値観を押し付けようとしているだけではないのか。

ほかにも、香港の一国二制度の崩壊、緊迫する台湾海峡情勢などが、中国を報道する際に日本でよく取り上げられるテーマだ。新疆、チベット、香港、台湾、こうして眺めてみると、興味深いことにどれも「中国の外縁」にあたり、日本が(そして欧米も)関心を寄せるのはこれらの外縁と対峙したときの中国の態度である。しかし、それを眺めて何になるのだろうか。中国は自明の実体としてそこに佇んでいるのではない。外縁と対峙するときの中国は、実は自身の内部に激流を抱えており、その激流の向きと力によって外に対する態度も異なってくる。だから上の諸問題を深く思考したければ、なによりも先に中国そのものを観察し、行動論理を理解しなければならない。だが日本の殆どのメディアと視聴者は、中国そのものに全く興味を抱かず、理解しようとせず、それでいて中国の外縁をやたらと眺めたがる無責任な野次馬に終始している。たまに内部に目を向けても、テニス選手事件のような軽薄なスキャンダルにしか目が行かない。本当に内部を反映できる事件が現在進行形で起きているにもかかわらず、だ。

見るべき事件を見ない報道

その事件とは、今年一瞬だけ日本でも報じられた俳優・張哲瀚氏が社会的に抹殺された事件である。抹殺が靖国神社、乃木希典、さらにとんだ濡れ衣なことにデヴィ夫人をダシに使ったため、日本人の興味を少し惹き、何本か記事が出た。しかし、中国の内部を全く理解していないライターたちは、思い込みで「芸能人=富裕層たたき」「言論統制の一環」などと書きたて、すぐに別のスキャンダラスなワードに飛びついた。彼らは知らないのだーー約1ヶ月前から、中国のとあるプロデューサーが張哲瀚氏の社会的抹殺は不正だと声を上げ、その声に同調するネットユーザーが数千万人もいて、関連する書き込みがSNS上で100億近い驚異的な閲覧回数を記録したことを。数千万人のうちには、純粋に張哲瀚氏のファンもいれば、張の境遇に社会的不正に侵害される自分を重ねる人もいる。議論が繰り返されるうちにほかの不正にも飛び火しつつあり、芸能界を牛耳る資本の力への批判や、資本と権力の癒着への糾弾も公然と一般のネットユーザーから発信されるようになった。さらに官製メディアを含む大手メディアの沈黙に抗議する人も大勢おり、ついには中国の民主主義のためになんとしてもこの件を徹底的に追及しなければならないと書き込む人で出てくる始末。しかも、多くの書き込みが検閲を経ながらも完全に削除されず、閲覧可能なままになっているという不可思議な状態だ。もちろん、この一件をもって民衆が覚醒したなどと言うつもりはない。上述の通り、SNSには覚醒剤しかなく、覚醒はありえないのだ。それでも、数千万人が各々の立場から本心を述べ、あーでもないこーでもないの議論をインターネット上で戦わせるのは、ここ10年近く中国で見られなかったことである。議論の参加者は様々な階層からなり、実に多種多様な思想、価値観、信念を持つ。それを根気よく分析していけば、今の中国の内部への理解がどれだけ深まるか知らないのである。

こんなにおもしろいテーマが転がっているのに、日本では中国同様、誰も報道しない、分析しない、言及さえしない。中国では張氏を抹殺した一派が権力と金に物を言わせている最中なので仕方がないが、日本での沈黙は全く解せない。政治闘争になるとどこから仕入れたかもわからない情報を駆使して陰謀論たっぷりに書くくせに、すべての議論がいまだ削除されずにSNSに残っているこの件をみんな見て見ぬ振りをするのだ。なぜだ、ぼくは不思議でならなかった。考えたあげく、こう言いたくはないが、当面の結論として「日本の中国論者って、結局中国の内部をなにも理解してないから、この件を読んでもなにを議論しているのか、どんな深い意味があるのかがわからないのでは?」と思い始めるようになったのだ。そうであってほしくない。しかし、新疆、チベット、香港、台湾、そしてテニス選手、どんなテーマにしても、価値観先行による結論先行の報道とコメントしか出せない現状を見ると、そう考えざるを得ないのだ。日本は中国に興味を持つが、本当に中国を見ているのだろうか、中国が見えているのだろうか。日本が見ているのは、自分たちが見たい中国だけなのではないか。混乱した中国、非民主的な中国、事故が頻発し子供が毎日手すりに挟まる中国、そしてたまにパンダが笹をかじる中国。そんな自分たちの想像を補強するだけで、中国の真の姿、中国の内部の姿を全く見ようとせず、そしてついには本当の中国の姿を突きつけられても、もうそれが本当かどうか判断できないほど、鈍くなってしまったのではないかーー

だとすれば、日本の中国報道は、全くの無意味だ。

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