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捨てることが幸せなのか|ドラマ感想

これは、以前使っていたブログに当時観ていたドラマ『明日、ママがいない』から感じたことを投稿した文章。読み返して今も大切だと思い、色あせない言葉が散りばめられたドラマだったので、改めてnoteに投稿することに。

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『明日、ママがいない』の第2回では、幸せについて考える回だった。相関図はこちらに。

昨日の第2回目は、最後まで観た。1回目はわずか10分で言葉の乱暴さに不快な気持ちになり、テレビを消した。『Woman』は、録画して再度観ていた。それは言葉ひとつひとつを噛みしめたかったから。
昨日の第2回は録画をしたのに、見直さずに綴ることに。ひょっとしたら、記憶違いがあるかもしれないけれど。

今多くの批判が番組に寄せられているが、続けるか放送中止かどちらかと聞かれれば、続けてほしい。ニュースではスポンサー表示が消えた企業もあるそうだけど、最後まで続けて何を伝えようとしたのかを知りたいから。

『Mother』や『Woman』に比べれば、息をするのも忘れるぐらい集中してみることはない。子どもの演技もそうだけど、ところどころにあるユーモスな演出もあって、息抜きはできた。

2回目では、いろいろな問題を取り上げていた。「“子どもにとって” 何が幸せなのか」ということを深く考えさせられた。過剰な演出にばかり目を向けると気付きにくいが、印象に残ったシーンが2つあった。

過去を捨てることが幸せなのか

これは母親の匂いのするシャンプーボトルを今も持ち続けるパチ君が里親候補の家に行った時の話。
里親候補の母親は、過去に固執するパチ君のそのシャンプーボトルを捨てた。捨てたことでパチ君は当時の想いがトラウマとしてフラッシュバックして倒れた。主役のポストちゃん(芦田愛菜)が助けた時に、頭にこの言葉「過去を捨てることが幸せなのか」が浮かんだ。

その後、叶(木村文乃)が魔王こと佐々木(三上博史)にも同じことを言った。叶は確かその後次のようなことを言った記憶がある。

「捨てることしか選択肢はないのか」

「捨てる」というのは一番簡単な選択肢ではある。私たちも日常生活の中で日々捨てることをしている。しかし、果たしてそれ以外の方法はないのかと最近思う。例えば、このドラマにしても、放送中止しか選択肢はないのか

幸せすぎて苦しい

これは、もう一人の里親候補の家に行っていたドンキちゃん(鈴木梨央)の言葉。
里親候補との束の間の生活が幸せだと感じつつも、同時に感じる苦しさをドンキちゃんは話した。その前に、病院で寝ているパチ君とポストちゃんの会話を聞いて何かを感じたのかしれない。ただこの言葉は深く刺さった。

私たちが感じる幸せさも、人によっては息苦しさにもなる。ならば、「幸せとは何か」と思った。私たちは普段の当たり前の日々の生活に感謝をもっとしないといけないのかもしれない。

どちらも、子ども側の目線からの演出だった。子どもに大人の考えなどを押し付ける今の社会の課題を伝えたかったのかなとふと思う。もっといえば、価値観の押しつけについて。

このドラマが何を伝えようとしているのかは、少しずつわかった気がする。ただやはり残念なのは、過激な言葉と乱暴な設定だと。それぐらいしないと伝わらないのかもしれない。しかしいくら伝えたいメッセージが素晴らしくても、その前に相手が不快に感じて耳を閉ざせば伝わらない。

過激さや乱暴さを打ち消すためにかわからないが、子どものユーモアのある演出があったのがフィクション性を出していたかなとは思う。しかし、それも不快に感じる人にはそれすら不快でしかない。

確かに誰もがとなると難しいのはわかる。マスメディアである以上、誰もが情報を受け取る。そこが残念で仕方なかったとともに、相手にどう伝えていくかを意識しないと相手をただただ傷つけるだけと自分を省みた。

力の暴力は目に見えるけれど、言葉の暴力は目に見えず心だけ傷つく。過激な言葉や乱暴な設定にも裏がありそうな気も少しする。恐らく次回以降、徐々に明らかになっていくかなとは願いたい。

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