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歴史を知りたいなら、やはり本は欠かせない

イステリトアの空(第2話)

珍しくシベリア出兵をテーマにした「少年進軍双六」は、完全に少年を兵隊に見立てた点でも珍しい

アナログ派の愉しみ/音楽◎宮沢賢治 作詞・作曲『月夜のでんしんばしら』

8か月前

京城(ソウル)騒乱 日本人自警団設立関東大震災時の朝鮮人排斥問題2 8.15 終りの始まり(歴史の改ざん・日韓対立への道.10)

大正デモクラシー

太平洋戦争はこうしてはじまった⑩

太平洋戦争はこうして始まった⑨

エッセイ 戦争への分岐点(降る雪や 昭和は遠く なりにけり)

8か月前

太平洋戦争はこうしてはじまった⑪

連載日本史218 第一次世界大戦(2)

日本軍のシベリア出兵、虐殺・略奪 1918年-1922年(Wikiより)、それからの流れ、他

【261日目】鴻池家のファミリーヒストリー

シベリア出兵=大日本帝国軍による帝国主義侵略戦争

日本とロシアの戦争の歴史

小説の滑稽さと切なさと

【115日目】未来と過去

てのひら-おもいこと

2年前

坂の上の戦雲

四日市における戦争と死者に関わる碑・施設の諸相  慰霊・追悼・記念(1878~2011) ④

【百年ニュース】1921(大正10)7月26日(火) シベリア派遣中の第11師団(善通寺)参謀長,三輪秀一大佐らが駐屯地ニコリスクから北部の都市スパスカヤに移動中,マンゾフカ北方の橋梁でパルチザンに襲われ戦死。当時の原敬内閣はシベリア撤兵の具体的条件を現地のソ連傀儡国家,極東共和国と交渉中だった。

■敗戦記念日を振り返る - 小野寺信(まこと)の報告が内閣に伝わったら沖縄/広島/長崎の悲劇はなかった!?

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【百年ニュース】1920(大正9)4月5日(月)前日ウラジオストクで発生した日露両軍の衝突がロシア沿海州全域に拡大。ハバロフスクで市街戦発生。浦塩派遣軍司令官大井成元中将が4月1日の米軍撤退を機に攻勢に出たもの。シベリアから撤兵方針だった原首相、田中陸相は寝耳に水で、現地軍の独走だった。

【百年ニュース】1921(大正10)2月26日(土) シベリア出兵中の第11師団の師団長斎藤季治郎中将がウラジオストクで現職のまま客死。病死であった。享年53。後任候補には宇垣一成陸軍大学校長(陸士1期),白川義則陸軍士官学校長(1期), 武藤信義参謀本部総務部長(3期)が取り沙汰されるが,白川に決定された。

シベリア出兵とは何だったのか――匝瑳胤次『深まりゆく日米の危機』より

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【百年ニュース】1920(大正9)4月4日(日)ウラジオストクで日露両軍衝突。尼港事件を知り日本側強硬化。「夜田中陸相より電話にて浦塩において日露衝突ありし旨ただいま電報に接せりと云えり。とにかく政府の声明によりて然との方針を公示せしに何事を生じたるや、遺憾の次第なり(原敬日記 4/5)」

映画『日本のいちばん長い日』大戦の重みをじっくり受け止め・・・。そして私の祖父はシベリアで

青バッジ

再生

たそがれ時のこいきなRADIO vol.7

【ヤフコメ再配信】『「元祖」米騒動では資本家が襲われ、内閣が倒れた その教訓とは』の記事に対するコメント

【シベリア散歩(3)】ウラジオストクの売春婦、からゆきさん

11か月前

大正九年五月24日午后12時 忘ルナ | 日本人が虐殺された尼港事件

1年前

シベリア出兵(浅田雅文、中公新書)

1年前

日本の恩を忘れない | ポーランド孤児と日本人の物語

2年前

ウクライナを支持する今の日本の姿は 第一次世界大戦時のシベリア出兵と重なる ただ今回明らかに異なるのは 日本には得るものは何もないと言うことだ 逆に・・・

きみに伝えるヒストリー㉔

【百年ニュース】1921(大正10)8月12日(金) シベリア臨時海軍防備隊司令,大田原達大佐が東京の自宅に戻った。「尼港」「亜港」と名付けた2匹のシベリア産の子犬を持ち帰る。交代でシベリアに派遣されたのは秋元秀太郎大佐。だが9月9日アムール川上流で海軍越冬工事中のマリンスクを視察中に病死した。

【百年ニュース】1921(大正10)8月8日(月) 広島市の比治山にある陸軍兵器支廠で爆発事故。死者7名,重傷者21名。四度の大爆発で広島市内に恐怖拡がる。第5師団(師団長山田陸槌中将)はシベリア出兵でウラジオストクに派遣され1920年8月に広島に帰還したが,還送の弾薬は安全針が外れる等管理不徹底だった。

【百年ニュース】1921(大正10)5月16日(月) 第1回東方会議(植民地会議)開催。5日間に渡り東アジア外交に関連する外務,陸軍,海軍の責任者を集め開催。原敬首相と田中義一陸相が進めるシベリア撤兵の実行を決定。シベリア出兵は政府が軍部を従わせ撤兵に成功した戦前最後の戦争。

【百年ニュース】1920(大正9)4月6日(火) ヴェルフネウジンスク(現ウラン・ウデ)で極東共和国樹立宣言。ソビエト政権が日本のシベリア出兵に対抗するために建国。共和国初代大統領はアレクサンドル・クラスノシチョーコフ。→10月25日にチタに首都を移転、チタ共和国とも言われた。

【百年ニュース】1920(大正9)4月11日(日) ハイラルで日本守備隊が9日に拘束したロシア過激派8名を満州里に移送しようとしたところロシア側が妨害。同地で帰還を待つチェコスロバキア軍が遅延に不満を抱き日本軍と衝突。現地中国軍もチェコ軍に加担し日本軍と衝突。

【百年ニュース】1920(大正9)7月2日(金)シベリア・ザバイカル州からの撤兵を再度閣議決定。駐兵長期化で日露両軍の再衝突を懸念(4月上旬ウラジオストクで発生)。 参謀本部は撤兵に反対だが田中義一陸相が押し切った。田中陸相「日本の方針としては撤兵の一途あるのみ」

【百年ニュース】1920(大正9)8月16日(日)シベリア派遣軍がザバイカル州より撤退。中心都市チタに駐屯していた主力の第五師団(広島)は撤退を完了し、8月23日には宇品港到着予定。第五師団長鈴木壮六(55)は1930(昭和5)退役し新潟県三条市へ帰郷。邸宅跡は現在旅館三観荘。