きみに伝えるヒストリー㉒
辛亥革命 こういった状況の中、武昌での革命軍、つまり清朝政府から見れば反乱軍の情勢が優位になってきていることを受け、清朝政府は袁世凱のほかにこれを鎮圧できる者はいないと判断します。そして、彼を清朝の湖広総督(湖北と湖南両省の総督)に任命し反乱軍の鎮圧を命じました。これが、1911年10月のことです。
しかしながら、袁世凱はこれを固辞します。再三の要請の後、最終的に水陸全軍の指揮権、十分な軍費の保証などの条件を付け承諾することとなります。清朝政府はこれを受けて、翌月11月1