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日本とロシアの戦争の歴史

この記事は以下の書籍を頼りに書きました。

前の記事に引き続き、
「ロシアから見た北方領土」に
ついて書いていきます。

長らく北方領土について、
さまざまな文献を頼りに
書いてきましたが、
この項目で最後です。

以前読んだ、北方領土の本で、
もう一つ気になっていたのが、
「日本にも落ち度はなかったのか」
という点です。

もちろん、ロシアが終戦間際に
日本に侵攻し、
領土を占領したことは
決して肯定できることではありません。

一方で、本書を読むと、
この時のソ連がどういう意図を持って、
侵攻してきたのかがわかります。

著者の見解によると、
ソ連の暴挙には、
過去の日本への恨みもあったのではないか、
ということでした。

日本とロシアの戦争の歴史

日本とロシアは近代になってから、
4回戦争しています。

日露戦争(1904~1905)
シベリア出兵(1918~1925)
ノモンハン事件(1939)
第二次世界大戦(1945)

中国との戦争は、
日清戦争(1894~1895)
日中戦争(1937~1945)

単純に言えば、
日本は中国よりもロシアと
倍の数の戦争をしたことになります。

本書によると、
ロシアではこの4回の戦争は
「日本の侵略によって、
 ロシアが被害を受けた」
と認識が強いそうです。

もちろん、このことは、
著者も決して肯定していません。

ほとんどの日本人が、
「ロシアこそ」もしくは
「おたがいさま」と思うのではないか、
と書いています。

どうしてロシア側が
そのような認識になるのかというと、
前の記事にも書いた
「スターリン史感」が影響しています。

ソ連では、戦後、
自国に都合がよくなるように
歴史が改ざんされたことから、

「日本は侵略好きな国家」
というイメージに
なってしまっているのです。

日露戦争(1904~1905)

中国から略奪した満州における
権益の開発を邪魔されたくないロシア、

朝鮮支配を半島全域に
及ぼしたい日本が
満州、朝鮮、樺太を
戦場に戦いました。

ロシアの南下を止めたいイギリスは
日本と同盟を組み、
日本を後押ししています。
(直接的なものではない)

ロシアと日本が傷つくのを見越し、
満州の市場に食い込みたい
アメリカは静観しました。

日本はロシアに勝てるとは
思っていなかったので、

「満州におけるロシアの行動には
 一切干渉しない
 代わりにロシアも朝鮮に
 口も手も出すな」と提案
 ↓
ロシア
「半島の39度以北を緩衝地帯にする」
(ロシアの朝鮮侵略を認めよ。
 朝鮮半島の半分をよこせ
 といっているようなもの)

やがて、戦闘が止み、休戦状態に
 ↓
アメリカが和解仲裁役を買って出る
(ポーツマス講和)

この時代のロシアでは
既に革命の嵐が吹き荒れており、
帝政ロシアの支配体制が
末期状態に陥っていました。

そのおかげもあって、
日露戦争では日本が勝ちました。

前述したように、ロシアの歴史では
「日本の戦争目的は侵略にあった」
と教えています。

「ロシアが満州に所有していた諸権益、
 樺太などの領土が欲しいがために
 宣戦布告してきた」
という言い分です。

なお、ポーツマス講和の1か月前に
日本軍は樺太に出撃、
翌月にはロシア軍が降伏し、
ほぼ全島を占領していました。

ポーツマス講和の結果、
樺太北緯50度を境界に

樺太の領土は
北:ロシア/南:日本
となりました。

ロシアからすると
「樺太の半分を強奪され、
 千島列島は戦争の結果とは無関係に
 日本の手に残った」
 ↓
第二次世界大戦の末期に
ロシアが南樺太を占領したのは、
「失った領土を奪い返しただけ」
という感覚です。

ただし、占領が千島列島の
南端にまで及んだのは、
日本の弱みにつけこんだに他ならない、
と著者も指摘しています。

そして、北方四島は、
和親条約(1855)、樺太千島交換条約(1875)
二度も認めた日本の領土です。

「どさくさに紛れて
 択捉島以南の島を占領したのは、
 あきらかにロシアのオフサイド」
と著者も批判しています。

シベリア出兵(1918~1925)

第二次世界大戦の末期に
ソ連が日本に侵攻してきた時、
もともとロシアの領土だったことはない
地域にも及んだのも理由があります。

先ほど、挙げた4回の戦争の中で、
「シベリア出兵」というのが、
ロシア側からすると、
負の記憶として強いようです。

「シベリア出兵」では、
日本は7万あまりの兵を送り、
シベリアの広域を支配しました。

ことのあらましを簡単に書くと、

第一次世界大戦中の1917年、
ロシアでポルシェビキ政権誕生
(のちのソ連共産党)
 ↓
帝政ロシアの戦争を
引き継ぐ気のない新政権は
交戦中だったドイツと講和条約を結ぶ

ロシアとともに戦ってきた
連合軍(英仏ほか)は
突然の手打ちに驚き、

世界ではじめて誕生した
社会主義国家に神経をとがらせました。
(干渉をはじめる)

オーストリア帝国で戦っていた
チェコ軍は東進して脱出をはかる
 ↓
チェコ軍がポルシェビキ勢力と
シベリア各地で衝突
 ↓
連合軍(英仏独伊)は
チェコ軍の救助を口実に
北ロシアに上陸
(武力による内政干渉)

日本軍はアメリカとともに
共同出兵しました。
(国際協定で「1万2000」
 と決められていた上限を
 はるかに上回る7万あまりの兵)

1920年、チェコ軍の救出が完了

ここで各国の連合軍は
撤退したのですが、日本軍は

「居留民保護」
「満州・朝鮮への波及を食い止める」
という口実で駐留を続けました。

当初、日本は連合軍からの
要請を断っていたのですが、
大陸への野心を抱く一部が
これを覆したそうです。

この一部の勢力が目論んでいたのは、
東シベリアに親日国家、
あるいは反共国家を建設する
という荒唐無稽なものでした。

その後、日本軍と
パルチザン(非正規軍)の戦争が続き、
各地で惨劇が起きました。

1920年には、
ニコライエフスク(樺太の対岸の町)にて、
軍人、一般日本人を含む
122名が惨殺されます。

日本軍は、その報復として、
南樺太から北樺太に侵攻し、
樺太全島を占領しました。

日本軍が8年もの長期にわたって、
シベリアに居座ったことから、
日本は厳しい国際批判を受け、
1922年から撤兵します。
(北樺太は1925年まで占領した)

「シベリア出兵」については、
10億近い軍事費、1499人の戦死者、
1万2329人の罹病者という

大きな痛手を被りながら、
何も得ることなく撤退した
という点で、
国内でも激しく非難されました。

また、成立して間もないソ連にとっても
大きな痛手であり、
現地の人たちにも深い心の傷を残しました。

第二次世界大戦においてソ連が
もとから日本の領土だった
地域にまで侵攻し、

その触手を北海道にまで
伸ばそうとしたのは、

この「シベリア出兵」への
仕返しと見る向きもあるようです。


最後に誤解のないように
書いておきますが、
この本は、決して日本を否定し
ロシアを肯定する本ではありません。

飽くまでも
「ロシアから見ると、
 北方領土問題がどのように見えるか」
という見解を述べた本です。

そんな視点から見ても、
ロシア側の動きは弁護できる
範囲にないことは、
著者の書き方にも表れています。

本書のように、長い歴史で見れば、
「おたがいさま」な面も
あるのは否めないでしょう。

捉え方は人それぞれですが、
本書は他の本にはない観点で
領土問題を解説した
稀有な本だと思います。

一人でも多くの方に読んでいただき、
この問題に興味を
持っていただければ幸いです。
(日本人だけでなく、
 ロシア国民にも読んでほしい)

長くお付き合いいただき、
ありがとうございました。

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