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アントン・ヴェーベルン(1883-1945):指揮者としてのヴェーベルン

アドルノがパウル・ツェラン宛書簡で自己引用した『マーラー』における第9交響曲についての言及

モリス・ラヴェル

「芸術から私たちを守れ!」と春太郎はいった

アドルノの著作集

2週間前

カフカの「審判」について:アドルノを介して、マーラーからの視点

アドルノのマーラー論(1960)の末尾より

バルビローリのシベリウス:第6交響曲 ハレ管弦楽団(1970)

3.11のあとに詩を書くということ

1か月前

証言:アドルノの「パルジファルの総譜によせて」中のマーラーへの言及

証言:第8交響曲に関するヴェーベルンのことば

ヴェスリング「アルマ」に登場する2名の女性について

ビートルズ陰謀説

アドルノのマーラー論における第4交響曲への言及について

動学倫理学と道徳教育(2013)

1か月前

アドルノのマーラー論(1960)でのカフカ『審判』の引用

アドルノのウィーン講演(1960)より

調査レポート(2)「ドロミテのマーラーの足跡を辿る―林邦之さんに―」

アドルノのマーラー論末尾の引用 "Nacht ist jetzt schon bald."について

ジェルジ・リゲティ

地方映画史研究のための方法論(27)大衆文化としての映画①——テオドール・W・アドルノとマックス・ホルクハイマーによる「文化産業」論

いつメン(死語)との「はなればなれに」

マーラーとドストエフスキー(2):「白痴」について

アウシュヴィッツの表象不可能性について、アドルノによるテーゼから考える

芸術と人生

証言:小林憲正『アストロバイオロジー 宇宙が語る<生命の起源>』より

ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録:音楽についてのマーラーの言葉

断片VI 幻境への旅

アドルノのマーラー論における第4交響曲への言及について(2)英訳の場合

マーラーの音楽の「非論理性」について

カント『純粋理性批判』における「自発性」の機能:「超越論的分析論」を中心に①

アドルノ「エピレゴメナ」(『幻想曲風に』所収)に寄せて

マーラーとドストエフスキー(1):「カラマーゾフの兄弟」について

そしてまたONCE AGAINを歌い出す

はじまりの門前で:はじめてのバタイユ①

カント『純粋理性批判』における「自発性」の機能:「超越論的分析論」を中心に②

連載第6回:『結婚の哲学史』第1章第4節 結婚の形而上学の第一公理――契約(contract)と約束(pact)

”アウシュビッツ以後は、このわれわれの生存が肯定的なものであるといういかなる主張も単なるおしゃべりに見え、そうした主張は犠牲者たちに対する不当な行為であるという抵抗感が湧きおこらざるを得ない” アドルノ https://quartetgrape.wordpress.com/memorabilia/homo-capax-infinite-finitum-%e7%84%a1%e9%99%90%e3%82%92%e5%85%a5%e3%82%8c%e3%82%8b%e6%9c%

オルテガ『大衆の反逆』⑤

7か月前

ユダヤ人としてのアドルノとアウシュビッツ

「前衛」の暮れ方―二十世紀芸術の音楽を中心にした覚書―

5か月前

詩歌のブレーキ力

マーラーと永遠性についてのメモ

日曜哲学宣言 #0

8か月前

ラディカリズムの誘惑

1年前

「主観的なものと客観的なものという概念は、いつの間にか完全にさかさまになってしまった。」アドルノ「ミニマ・モラリア」

6か月前

はじまりの門前で:はじめてのバタイユ③

私が学生の頃アドルノによるホロコースト考察が出回っていた。その同じ流れの人がパレスチナ人をホロコーストしようとしている、また臆面もなく宣言している。過去に追い込んだ手口もよく似ている。 今日はホロコーストを生き延びたユダヤ人の両親を持つサラ・ロイ氏の本を半分ほど読み絶句。

Anselm Kiefer:Opus Magnum について

4か月前

「近代」の理想の内部崩壊 -- 批判理論とポスト構造主義