Azusa Sato

1984年生まれ。 明治大学大学院 情報コミュニケーション研究科 D2/情報コミュニケーション学部 助手/ 批判的社会理論、フランクフルト学派/Kritische Theorie, Frankfurter Schule

Azusa Sato

1984年生まれ。 明治大学大学院 情報コミュニケーション研究科 D2/情報コミュニケーション学部 助手/ 批判的社会理論、フランクフルト学派/Kritische Theorie, Frankfurter Schule

最近の記事

日本被団協のノーベル平和賞受賞

日本被団協のノーベル平和賞受賞は、関係者の皆様の長年の歩み、血の滲むような草の根の平和運動が世界的に評価を受けた素晴らしい、信じられないほど嬉しいニュースです。 一方で、日本政府は核兵器禁止条約に参加していません。被爆者の皆様の心中いかばかりか。このことを強く憂えています。 「反核」は私の原点です。 2005年8月6日、1人で広島に行きました。戦後60年目の広島に行かねば、と思って、友人たちに協力して折ってもらった千羽鶴を持って、平和祈念式典に参加しました。翌年に留学を予定

    • つながりとケア

      きょうは下の子の園の、災害時を想定した引き渡し訓練。もしもの時の動線、災害伝言ダイヤルの使い方も勉強になる。 しかし、まさにその時、交通手段がストップしてしまったら、どうやってお迎えに行くか。シングルマザーの先輩は3.11のとき帰宅困難になり、地域のお友達ご家族が気を利かせてお子さんを一緒に連れて帰って下さり、おうちでごはんを食べさせてお布団に寝かせていて下さったそうだ。 やはり、ご近所や地域のつながり、園、学校、小児科などあらゆるところで「子育て仲間」がいることは心強い

      • 「遠い誰か」ではなく

        2021年7月22日の日記 [オリンピックの問題から思うこと] 小学生の頃、松谷みよ子さんの『屋根裏部屋の秘密』という本を図書館で借りて読んだ。 731部隊がどんな存在だったのか、ということを描いた児童文学である。 私はこの本を読んで、体の芯がゾッとするような、人間が人間をかくも残酷に扱うことができるものなのかという恐怖で、しばらくの間、言葉にできない憂鬱な日々を過ごした。子どもながらに、強いショックを受けた読書であった。 子どもながらに、と書いたが、むしろ子どもだっ

        • 勉強メモ:「左翼こそ都市計画を語れ!」

          昔ちょっと考えていたこと。 2020年2月25日(火) 勉強メモ:「左翼こそ都市計画を語れ!」 エーリッヒ・フロムが『希望の革命』のなかで度々引用するルイス・マンフォードが、田園都市構想を打ち立てたハワードの名著『明日の田園都市』にF・J・オズボーンと共に序文を書いているその人であるということに気付いた。 フロムがマンフォードの人間観及び機械と人間に関する考察を肯定的に紹介しているので読まねばと思っていたのだが、実はハワードの『明日の田園都市』に描かれる都市像ならびに

          井戸とそれに関するイメージ

          実家のご近所はいまも井戸を残していて使用しておられるお宅があるが、うちはとうに廃止している。私が生まれた時には既に見当たらなかった。 うちには井戸がない、と子どもの頃思っていて、何故ないのか、と母に聞いたら、「ある」と言う。建て増しした台所部分の下に位置していて、「蓋はしてあるが、ガスを抜くために埋めてはいない」という話だった。 なぜ使わなくなったのかと聞くと、「ご近所とは水質が違って、あまり良い水ではなかったからおいしくなくて、やめたようだ」という。ふうん、と何となく不満

          井戸とそれに関するイメージ

          エクソダス

          この1年、特に新年度になってからはワンオペで育児をしながらの研究生活に突入し、子どもたちの感染症罹患からの入退院や、自分自身の感染、過労(?)による点滴やら何やらもあり、過酷という言葉でも表現できないほどの苦しい日々を過ごした。 この社会のなかの、公助の網の目からこぼれ落ちる部分、市場的サービスの行き届かない部分を体験し、「もう無理かも」と胃が焼き切れるような思いもした。 しかし、同時に私が獲得したのは、友人知人そして近隣、地域における、緩やかでありながらも自発的なネット

          エクソダス

          ベンヤミンとグレーテル

          「あなたのお手紙は、あなたに会いたいという荒々しい憧れの念をわたしの内に呼び覚ましました。その思いのあまりの激しさに、できることなら、なにか当たり前のことのように次の船に乗って、あなたのもとに旅立ちたいと思ったほどです」1938年8月3日グレーテル・アドルノからヴァルター・ベンヤミン宛 (H・ローニツ/C・ゲッデ編 伊藤白・鈴木直・三島憲一訳『ヴァルター・ベンヤミン/グレーテル・アドルノ往復書簡 1930-1940』みすず書房、2017年) ******** 「戦争とそれ

          ベンヤミンとグレーテル

          「遠く」のこと

          2022.12.7の日記 小さな子どもだった頃、「遠く」がいつの間にかこちらへやって来たのを感じ取る瞬間が怖かった。 昼下がりにふと眠くなってベッドに潜り込み、しばらくして目を覚ます。窓を見遣ると、網戸の隙間から風が吹き込み、薄いレースのカーテンが静かに規則的に揺れている。差し込む日の光は陰りはじめていて、まもなく夕暮れがやってくるのだと感じ取るとき。干したばかりの、乾いた香りのする暖かな布団の肌触り。部屋の隅に現れた薄闇の兆し。窓の外から聞こえてくるはずの音の一切が止んだ

          「遠く」のこと

          クマ出没注意

          とうとう実家周辺にもクマが出没したと母からの電話で知る。 子どもの頃、天井からムカデが落ちてくることがよくあったが、そのまま畳の上を這い回ろうとするムカデを火バサミで仕留め、祖母のところに持っていくと油のようなものにつけてくれた。茶色のガラス瓶に漬けられた「ムカデの薬」は、火傷などをした際に祖母が「よう効くで」と言いながら塗ってくれた。 私は昆虫はまるでダメで大嫌いなくせに、ムカデなどの類や爬虫類は平気だったので、これらを仕留めるのも何ら苦ではなかった。幼い頃は家の中にま

          クマ出没注意

          無限小のかけら

          2020年2月12日(水) 「あなたの中に置き去りになったままの私のこころを返してって思うよね。私のこころがバラバラの欠片になってあなたの中に残っているから、それを一つ残らず拾い集めて、ちゃんと形にして私に返してって言いたいよね。そうじゃないと私は私に戻れないよね」。 19歳の時に、失恋をした私に親友がかけてくれた言葉である。相手の男の子を忘れられないのはなぜか、ということについて、彼女はそのように表現してくれた。 他者との関係が崩れ去った時には、相手と共有した時間、過

          無限小のかけら

          フリマアプリ

          フリマアプリが本当に便利である。洋服を見るのが大好きだが、定価ではなかなか買えない。特に最近の物価高は衣類も例外ではなく、好きだったお店の服が「えっ、こんなに高かったっけ」という価格になっている。 ここ数年の趣味になっているのは、「これほしいな」と思った服をよーく覚えておいて、フリマアプリで検索して眺めることである。すぐには買わず、いくつかの候補を比較して眺めておく。我慢してずっと眺めておく。 1年くらい経ってからぐんと安くなっているものに価格交渉をして譲ってもらう。「新品

          フリマアプリ

          秋がきた

          私の人生のなかで、かけがえのない出会いだった方々が、この数年のあいだに次々に逝去された。 なかには40代、50代でのお別れもあって、いまでも心が凍ったようになっていてうまく向き合うことが出来ない。 別れを経験することが増える年齢になった。秋になるととても辛い。 でもまだまだ、元気を出してやっていかなくちゃ。 なかでも心が大きく揺れるのが、国労八王子の横森利幸さん(写真右)や、社民党八王子の植松敏夫さんとのお別れ。 横森さんにせよ、植松さんにせよ、ヒューマニストの先輩方が

          秋がきた

          パレスチナ人兄弟との思い出

          [パレスチナ人兄弟との思い出] オーストリアに留学していた時、WGでパレスチナ人の兄弟とともに暮らしていた。彼らとはキッチンや風呂トイレなど共有領域の掃除を巡って度々揉めたが、私が引っ越しをするまでの半年間、大切な交流もあった。その日々のことを思い出す。 留学初日、泥まみれのシャワー室に呆然とした私は、持参したタオルを雑巾にして床掃除をしていた。そうしないととても入る気になれなかったからだ。 床に這いつくばって泥を拭っていたら、シャワー室のドアが勢いよくバン!と開いて、大

          パレスチナ人兄弟との思い出

          晩夏に仕立てる新しい服

          10代20代の頃は、それなりの「野心」を抱いて、何ごとかを成して世のため人のために働こう、とか、圧倒的な「知」を手に入れてこの世界のあらゆることを解釈できるようになろう、などと思っていたりした。エネルギーが溢れてほとばしっていた。 しかし30代も終わる今、人生に望むことは随分と変化した。 「自分が」成せることには限りがあるということ。自分にも他人にも時間は有限であるということ。ある日突然、健康や安心が失われるかも知れないということ。人も社会も、予想を凌駕して揺れ動き続けてい

          晩夏に仕立てる新しい服

          父と将棋

          私は将棋を見るのが好きで(指すほうは全然ダメ)、ときどき将棋連盟Liveで対局を見たりする。以前、子どもに駒の動かし方を教えていたら、それを見ていた母がポツリと、「あなたの父さんも将棋が好きだったよ」と言った。 え、そうなの?と私は少し驚いて聞き返したのだったが、私の記憶にある父は、将棋ではなく囲碁の好きな人だったのだ。子どもの頃、父が何度も私に囲碁を教えようとしたのだが、忍耐力のない私はまともに覚えられなかった。父はつまらなそうにしていた。一方、将棋は面白くてすぐに覚えて

          父と将棋

          「煙突掃除の少年」から

          (2023.1.10) 「わたしはどんな水たまりに姿を写したからといって、それによってわたし自身が灰色になりはしないし、どのような軌道によってもわたし自身は一緒に曲げられないし、角によっても曲げられない。しかし、わたしはおそらく壺の形に形づくられることはあり得るだろうし、褐色の、独特な成長をとげた、北方的な手付き壺風のものとしての自分に対しているのを見るだろう」。 「必要に迫られて心をこめて作られたものは、いったん作られるとその固有の生を営み、よその新しい領域の中までそび

          「煙突掃除の少年」から