遠藤健太

遠藤健太

最近の記事

アメリカからみたSTAP細胞

[この文章は2016年3月に書きました。時事性はもはやありませんが備忘録ということで]  2016年2月29日号のThe New YorkerのSTAP細胞の記事。おぼチャンに集中していた日本の報道だが、ここではアメリカ留学中の受け入れ先のハーヴァードのヴァカンティについて詳しく書いてある。ストレスを与えて再生細胞を作ることを着想したのは彼でそれを生化学的に洗練したのがおぼチャンのようだったみたい。  STAP細胞-この名前はおぼチャンじゃなく彼女の後見人の立場にいた笹井さ

    • 曖昧さ礼賛—1970年代論の試み、ある映画監督を中心に—

      大正エビでうさばらし 確か長谷川町子の4コマ漫画『いじわるばあさん』で「明治が昭和にやりこめられて大正えびでうさばらし」って強気な嫁に辟易しているいじわるばあさんとその友だちが大正エビのフライか天ぷらをやっつけているのがあったが、維新を遂行した勇ましい元勲だらけの明治とこの漫画が『サンデー毎日』に連載されていた当時、話題になっていた全共闘の闘士ばりの現代っ子―これもこの当時使われ始めた言葉―の昭和と比べたら、君主が精神障碍を持ち病弱でわずか15年しか続かなかった大正は激動

      • 贅沢な映画―アサイヤスのHors du tempsを見て―

         昨日オリヴィエ・アサイヤスの新作の"Hors du temps"っての見てきました。作り手のやりたいほうだいという意味で贅沢な映画でした。4年前のコロナ禍で外出禁止(confinement)の時の自身の体験を—育った田舎の家で弟と過ごすーベースに作っているようですが、最初の5分ぐらい、スナップショットよろしく田舎のじぶんち、隣の家、近所の家々を固定ショットで映し、(後からわかるのですが)彼のヴォイスオフの声で、くぐもった声なので聞きづらい声で近所の風景を延々と解説を続ける。

        • アルファの彼岸へ

          日本では新学期が始まって早一ヶ月たち、新緑のさわやかな初夏でしょうか。もしかしたらもうそろそろ梅雨も心配になっているかしら。でも日本でもかつてはヨーロッパやアメリカのように九月が新学期であったのご存知でしょうか。例えば漱石の『三四郎』では学年は九月十一日に始まり、三四郎に午前十時頃学校に行かせ、『こころ』では逆に「私」は六月に卒業式があり、あまりにも暑く、家に帰ってすぐに裸体になった、と言っています。予算の年度がその時も四月からで、ずれていたので、その後学年度をそれに合わせて

          バイデノミクスこそがMAGAへの道―過激なリベラルの誕生―

          あきれるほどの遅筆で去年書き始めていまだ終わらずで、でも今年はアメリカの大統領選挙の年なので、バイデン(Joe Biden)さんの経済政策はますます議論されると思うので、ここでちょっと書き続けてみよう。 去年2023年6月28日シカゴでバイデンさんは今まで40年以上続いた経済政策を180度方向転換する宣言と言ってもいい画期的な演説を行った。ここ40年アメリカの経済政策は経済をけん引する(と思われたいた)大企業や投資などによって経済に貢献する(と思われていた)富裕層を厚遇し、

          バイデノミクスこそがMAGAへの道―過激なリベラルの誕生―

          記憶が記録を凌駕する時―映画 Anatomie d’une chute(落下の解剖学)について―

          But isn't the truth the simplest way?Claus van Bulow in “Reversal of Fortune” 先週だったか(2024年4月25日)、性的暴行や嫌がらせで牢屋に入った元映画王のハーヴィー・ワインスティーンに対する(民事、刑事の)あまたある裁判のうち2020年にニューヨークで行ったものが、証言のあり方が不適切だったとされ、その判決が破棄された。控訴審では、一審で起訴の対象となった被害者ではない告発者の証言が含まれてお

          記憶が記録を凌駕する時―映画 Anatomie d’une chute(落下の解剖学)について―

          「前衛」の暮れ方―二十世紀芸術の音楽を中心にした覚書―

          忘れられる二十世紀最近「戦後」や「大戦間」という言葉を会話の中で使って果たしてとくに今の人に通じるのかと疑い始めている。それぐらい第一次世界大戦(1914年〜1918年)はもちろんのこと第二次世界大戦(1939年もしくは1941年から始まる、あるいは日本にとって日中戦争を第二次世界大戦の始めと考えるならば1937年から始まり1945年が終戦)も遠くなり「大戦間」からはほぼ一世紀経ち、また「戦後」といってもどの戦後と問い返されてもよいほど、1945年以降地域紛争とみなされるも

          「前衛」の暮れ方―二十世紀芸術の音楽を中心にした覚書―

          フランスの暴動 bis

          今回の若者の暴動の原因というべき背景を書いた記事。 La chronique politique de Jean-Michel Aphatie : "Un fossé, douloureux comme une plaie, qui porte un prénom : Nahel" https://www.lamontagne.fr/paris-75000/actualites/la-chronique-politique-de-jean-michel-aphatie-un-

          フランスの暴動 bis

          フランスの暴動

          先週の火曜日6月27日、車を運転していた17歳のNahelくんが、無免許だったんだけどさ、職務質問時、警察に撃たれ、当初警察の発表には抵抗したためとなっていたが、スマホそしてSNS 時代の今、その職務質問の一部始終を誰かがとっていて拳銃で撃つほどの状況でなかったことが拡散され、怒りを買い、今に至ったって感じ。 いくつかの考察; 1)最近の3年間2019〜2022年警察の拳銃に撃たれ死亡する人が急増。2017年に警察官の発砲を容易にする法律改正がその原因とする言説が多いが、

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          Et tu, Zelensky ?(ゼレンスキー、お前もか)

          ゼレンスキー及びその周辺が燃料費のためにアメリカから援助されたお金4億ドルを横領していたというツイッターに遭遇したので、おお、国民とともに戦火に燃える母国に残り勇敢に指揮を執る英雄もとうとう化けの皮がはがれたかと思うと同時に様々な虚偽情報が流れている今回の戦争のまたウクライナを貶める陽動作戦の一つなのか、と慎重になり情報源を探したら、なんとあのSeymour Hershだった。 Seymour Hershと言えばThe New Yorkerの記者で古くはヴェトナム戦争時アメ

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          ダミアン・シャゼルの文法―条件法、空想の過去への誘い、『バビロン』を見て

           計算されたバーレスク  最近の流行りなのか、上映が始まっても監督名、配役が出ず、さらに映画の題もなかなか表示されない中スクリーン上ではタイトルにふさわしい放埓なバーレスクなシーンが続くので上映されているのはダミアン・シャゼル(Damien Chazelle)*の『バビロン』”Babylon”(2022)であることを確信する。ただし瞳を凝らしてよく見てみるとそのバーレスクはあまりにも計算され過ぎているような気がして、まるで最新のミュージカルの様―1920年代で不埒なことをいた

          ダミアン・シャゼルの文法―条件法、空想の過去への誘い、『バビロン』を見て

          西欧へ憧れて―加賀乙彦を偲ぶ―

          作家の加賀乙彦が2023年1月12日に亡くなったことを一昨々日知りました。初めて読んだ作品は大学一年だった1985年の夏マレーシア、クアラルンプールにいる親元に行った時、親父の本棚にあった自伝的小説『頭医者青春記』。親父と彼は同級生だったのでそのよしみで好奇心が高じ買ってみたのか。というのはのちに分かったのだが前編の『頭医者事始』に貧困者を助けるセツルメント運動に加賀乙彦と一緒に参加した人物が「結核予防会」と呼ばれ登場するが、親父はセツルメント運動をしていたし、のちに「結核予

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          軽快さと絶望―Kripke試論―

           クリプキと僕  ソール・クリプキ(Saul Kripke)が今年2022年の九月の十五日に亡くなった。言及するにはいささか旧聞に付すが、僕にとっては重要な哲学者であったので、時宜がズレていてもちょっとこだわって彼について書いてみたい。  おそらく1980年代に大学生だった僕の世代は雑誌『群像』に連載されていた柄谷行人の哲学試論の『探究』で言及されたいたのを読んで彼の名を初めて知ったのではなかろうか。そのおかげで個人的体験だが、パリ第八大学に留学した1990年にフッサール(E

          軽快さと絶望―Kripke試論―

          亜紀菩薩、八代亜紀の崇高性について

           先週の金曜日、2022年10月21日に友達に誘われてパリの日本文化会館になんと八代亜紀を聴きに行って来ました。僕を昔から知っている人からしたら、洋楽しか聞かない―特に大人になってからはあんちょくな「解決」なんて欺瞞だとシェーンベルクだのを聴いたり、バッハこそが人間の心なんて下らんものを排除した音楽だ!と息まいていて—のを知っているので意外と思われるかもしれませんが、実は幼稚園の頃から彼女のことは好きでした。   彼女は僕が年長組であった昭和46年にデビューしたはず。その年は

          亜紀菩薩、八代亜紀の崇高性について

          カーペンターズのどこがいいの?

           僕は典型的な青二才で、思春期に夢中になったものを大人になってよく「超えた」とうぬぼれて、全否定することをよくしていた。丸山真男をフランス現代思想を読みながらバカにしたり、丸谷才一を保守反動などと揶揄してみたり。  The Carpentersもしかり。1970年代にとんでもなく夢中になり、ほとんどの歌が歌えるのに、ティーンになる頃から自らがまだ子供であったにもかかわらず深みのない子供用のポップスと切り捨ててしまった。  大人になりこのような若気の至りにギャッとなり、思わず舌

          カーペンターズのどこがいいの?

          剣が峰にたつフランス左翼

          フランスの左翼(NUPES; Nouvelle Union populaire écologique et sociale: 新エコロジー及び社会的人民連合)は今剣が峰に立たされている。大統領選でのメランション(Jean-Luc Mélenchon)の思いがけない善戦、そしてそれに乗じて国民議会選挙であれよあれよと第二勢力まで躍進し、左翼が低調であるという世界的傾向に一矢を報いたが、すでにその頃から候補の暴力沙汰で暗雲が立ち込め始める。 最近ではテレビなどで颯爽と話していた

          剣が峰にたつフランス左翼