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いつメン(死語)との「はなればなれに」

してみれば、幸福になるためには、善良な友が必要である。
(Therefore to be happy a man needs virtuous friends.)

Aristotle, Nicomachean Ethics, Book 9, chapter 9, H. Rackham, Ed.
アリストテレス『ニコマコマス倫理学 下』、高田三郎によるを邦訳を参考に、Rackhamの英訳を拙訳。

新しいものはすべてそれによって自動的に伝統的なものになる。
(Tout ce qui est nouveau est de ce fait automatiquement traditionnel.)

Apocryphal quote allegedly from T.S. Eliot,
recited by Ana Karina in Jean-Luc Godard's 'Bande à part’(1964).

増えてく「再び逢うまでの遠い約束」、また一つずつ

ここロンドンに来てもうすぐ1年になる。長かったような、短かったような。成長したような、何にも変わっていないような。でも、充実していたのは確かだ。それもこれも、今では死語となってしまったいつメンのおかげだ。I feel a little uncomfortable saying this directly, so I will say it to my friends here; 私の大学院生活を充実させてくれてありがとう。私にもう一度(Once Again)アホでサイコ(ー)なキャンパスライフを味わわせてくれてありがとう。
学部を卒業して10年以上が経過しての大学院入学。学部的には畑も全く違う研究領域で、年齢的にも世代が全く違う同級生と本当にうまくやっていけるのか不安で不安で仕方なかった。当初の想定だと、授業や課題などの研究面はなんとかなる、ただ同級生と馴染めるかはかなり疑問、という感じだった。そりゃ、昔からの友人達は「コミュ力高いから絶対大丈夫だよ」とか「人が好きだからすぐに友達できるよ」とか励ましてくれたが、いつも最悪のケース、つまり大学に行き、ただ授業だけ出て、そこでは何も貢献せずに、ただただ家に帰るというケースを想像しては落ち込んでいた。映画Inside Out 2よろしく、私の頭の中のシンパイ(Anxiety)がイマジネーション・ランドのイラストレーターを使って最悪のシナリオを描いていた(ハイデガー的不安によるカント的構想力の自発的な乗っ取りである)。
しかし現実は当初の想定からは逆回転していき、思った以上に授業や課題に付いていくのがやっとで苦戦していたところ、いつの間にか自然と友達ができ、そのいつメンとパブで飲みながら議論していくうちに、そしてそのいつメンと読書会を開催して互いの理解をぶつけ合っていくうちに、授業の理解が深まっていきその結果、授業のディスカッションで積極的に発言できるようになったり、課題レポートの質の向上につながったりしたと思う。
毎週パブで哲学の議論したり、毎週読書会開いたり。面白そうな美術展があればそこへ行き、面白そうなトーク・イベントがあればそこへ行き、終電逃すまで飲んで皆んなで仲良く24時間営業の深夜バスで帰ったり。誰かが「ピクニックしたい」と急に言い出したら、リッチモンド・パークで昼からビール飲みながらピクニックしたり、誰かが急に「お泊まり会したい」と言い出したら、AirBnBで近所の一軒家を借りて、それぞれが作ってきた自慢の手料理を持ち寄って振る舞ったり。どの思い出をとっても、私のお土産である。
私は2年間のプログラムのため少なくともあと1年はロンドンで過ごす予定なわけだが、いつメンのほとんどは1年間のプログラムなので、現在絶賛修論執筆中でそれを描き終わり次第、帰国、博士課程進学、または就職が待っている。今週もいつメンでパブで飲む、そして来週も。そして再来週はない。それ以降、もしかしたらもう二度と会わなくなるのかもしれない。大学時代に毎週のように飲んでいた友人達とあまり会えなくなった現状を顧みると、あと何度このいつメンと会うことができるのだろうか。記憶がまだ鮮明なうちに、ここに書き残しておきたい、「ジャクソン5」と大学名をもじって揶揄されるほど一緒にいたメンバーのことを。

やっすい夢だね!ほら、もう叶った。

スコットランド系イングランド人の両親のもとで生まれたE。確か24歳だったと思う。両親の仕事の関係でオーストラリア、スペインに住んでいたことのあるEは「私は自分のことをデラシネだとは思ってないよ、だって帰る家はいつもキリスト教だからね」ていうぐらい敬虔なキリスト教徒だ。思想的にはかなりリベラルな方で、この前のパリオリンピックのボクシング女子でのアルジェリアの代表選手の性別騒動には人一倍怒りを露わにしていて、誹謗中傷している人たち、特にイタリアの首相には手厳しく批判していた。「日本にもこの件に関して誹謗中傷している人たちがかなりいるよ」と私が言うと、「日本にも一定数の最低な人間がいることが知れたことはよかった」と皮肉たっぷりに返してきた。
Eはイングランド中部の大学でニーチェを研究していたらしく、ニーチェ的な思想をCritique of Pure Christianity(純粋キリスト教批判)として位置付けて、キリスト教の可能性の限界はどこまでかを検討してたらしい。その後、サウル・ニューマンの元でアナーキズム研究をしようか、今の大学院にしようか最後まで迷ってこっちに決めたらしい。理由は、違うトピックで修論を書きたくなった場合に備えてだったらしい。そして、見事その読みは的中していて、今はキルケゴールの有限性の無限化(とその運動)について修論を書いている。
Eはいつも私をパブに誘ってくれる。しかもだらだら長々と飲む。最低でも5杯以上、多い時はハシゴして10杯ぐらいパイントを飲む。私が「こうやって友達とロンドンのパブで哲学の議論するのが夢だったんだ」っていうと「やっすい夢だね、ほら、もう叶ってるじゃない。よし、もう1杯飲もうよ。(That's a cheap dream. See, it's already come true. Okey, let's have another drink.)」と返してくれた。
Eに一度だけ頼みごとをしたことがある。「私のバケットリストにサッカーの大きな大会をロンドンのパブで見るってのがあるんだけど、一緒にパブに行かない?」って誘ったところ、「それは珍しく良い提案だ、そのために全力を尽くそう」といってユーロ2024のグループリーグはほとんどパブで見ることができてた。
Eは30代後半から今更哲学を学ぶことに素直に驚いてくれる。「こっちは今後就職で苦労するってのに、わざわざそれを辞めて哲学だもんねー。いろんな選択肢が人生にはあるんだなー。10年後かー、全く予想もつかないよ」と。

それってさっきから「サッカー」のことを言ってる?

Kはメルボルンの美大を卒業後、大学院進学のために5年ほど高級レストランの調達部門で働いていたオーストラリア人で、今年28歳ぐらいだったと思う。私が前職を辞める直前までオーストラリアの市場開拓をしていたこともあり、それきっかけで入学直後からすぐに意気投合したのを覚えている。
「基本、人の話を聞くのが好きなんだよね」というKは、いつも徹底的に聞き役を務めるものの、必要になった時には積極的に話すというコミュニケーション能力が群を抜いて高い。例えば、Eが今プレミア・リーグでどのフットボールチームが強くて、どうしてフットボールが世界的なスポーツになったのか、どうやってフットボールビジネスが変わってきたのかを永遠と話していると、それを聞き終えたKが「ねぇ、E、もしかしてそれってさっきから『サッカー』のことを言っている?『サッカー』よね?(Is that what you've just been talking about, 'soccer'? You mean 'soccer', right?)」と言って一瞬で大爆笑をかっさらうことができる。
「やっぱり奨学金なしで自分の稼いだお金で大学院通うとなると、そうなっちゃうよね。」Kと私はどちらも開講されている授業全てに出席していた。本来は6つの中から2つだけ選んで出席すればよいのだが、Kと私は残り4つも聴講生として出席していた。Kの誘いがなければ、おそらく出ていなかったであろう授業もいくつかあったと思う。特に、「惑星的思考(とその美学)」や「現代美術批評」といった元々興味のなかった分野から私の根本的な哲学に対する考え方が揺さぶられるような経験は、Kの誘いがなければあり得なかっただろうと思う。
Kは美大では絵を描いていて、挫折し、それでもアートが好きだから携わっていたいと思い、美術批評を志しこの大学院にきた。だからみんなで見に行った濱口竜介監督の『悪は存在しない』のラストについても、鋭く、そしてスマートで説得力ある解釈を披露してくれた。現在は、アドルノの『美学理論』とドイツの芸術批評史家(特にヴァールブルク、パノフスキーやリーグルあたり)を参照しながら芸術作品におけるエニグマの時間性についての修論を書いている。
Kは、オーストラリアに戻ったら美術研究機関を立ち上げて、最終的には州や連邦レベルでの文化政策にまで携わりたいと夢も語ってくれた。今年の4月下旬に講演に来ていたシドニー工科大学のアンドリュー・ベンジャミン氏にも相談したところ、「とりあえずその研究機関が年で1億AUDぐらいの研究資金が扱えるようになったら私を雇ってくれ」とかわされたそうだ。
Kは私の人生で出会った人たちの中でもトップレベルで良い人だ。それを象徴するエピソードとしては、私が「私の身近にいるオーストラリア人とカナダ人で悪い人をまだ見たことない、Kも含めてね」と言うと、私の期待していたものとはかけ離れた表情をして、「そう言われて嬉しくないとは言えない、でもね、人を国籍で判断することは良くないよ、人種差別に繋がりかねないからね」と私を諭した。
またKは、以前に書いた評判のあまり良くなかったレヴィ=ストロース『野生の思考』第1章「具体の科学」についての発表を唯一手放しで褒めてくれた、しかも5ヶ月以上という熟成期間をおいて。一緒に学会発表を聞きに行った時だったと思う。普段は自分からあまり喋り始めないKが「やっぱり、聞き手を意識しているかしてないかって発表を見ているとわかるよね、時間がないのはわかるけど、詰め込み過ぎると結局聞き手側には何も残らなかったりするしさ。それで言うとあのレヴィ=ストロースの発表はすごく良かったよね、大事なポイントは彫刻を削るように2回言うって。あのおかげで、時間が経ってるけどまだ内容をなんとなく覚えてるもん。今度、私も発表がある時に使ってみようと思う」って。(修論のプレゼンではそのテクニックを使ってくれてはいなかったが。。。)

カントはヘーゲル主義者ではない

Bはニュージャージー州出身のアメリカ人で、確かEの1個上だったから25歳だったと思う。Bは奇人で天才で、落ち着きがなくリーダーシップがあり、失礼で優しい、そんな変な人だ。とにかく好き嫌いが分かれる。珍味だ。もし「三四郎のオールナイトニッポン0」のなかやまきんに君のゲスト回が好きな人は、間違いなくこのBのことが好きになれると思う。例えば、深夜に急に自分が気に入ったJPEGMAFIA(ジェイペグマフィア)の新譜をオススメしてきたり、朝早くに公園で撮影した蝶の幼虫の動画を送ってきたりして、その感想を泥棒しようとする。
課題レポートの結果でも好き嫌いが鮮明に分かれる。ある先生からはそのクラスの最高点を取る一方で、違う先生からは最低点を叩き出す。しかも、それを別に気にしない。「あの先生には私の意図は伝わったけど、あの先生には伝わらなかったみたい」とかで済ます。そのレポートを読ませてもらったこともあるけど、全く意味が分からなかった。唯一ギリギリ覚えているパンチラインは「しかしカントはヘーゲル主義者ではない。(But Kant is not a Hegelian.)」という文言だけだ。しかも参考文献はその課題となる哲学者の主著が3~4冊挙げられているだけで、二次資料は一切使わないというストロングスタイルというか、無謀というか、羨ましいともやりたいとも思わない研究スタイルを築いている。
Bは学部時代に、ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』が『ウパニシャッド』からどのような影響を受けて書かれたのか、またどのような『ウパニシャッド』の誤訳によってどのような解釈がなされたのか、さらにもしショーペンハウアーがサンスクリットで書かれた『ウパニシャッド』を直接読めていたならば、どのような哲学が可能であったのかという観点から、サンスクリット語の研究をしていたという。哲学は暗号読解に近いと思っている私がBに親近感を持つのも、そこに何かしらの共通点があると感じているからだろう。ヴォイニッチ手稿とジョン・ディーの話を興奮しながら語っていたのが今でも印象的に残っている。
Bの修論のトピックはヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』(Arcades Project)を複製技術時代ではなくAI時代における芸術論として読み替え、AI資本主義下の悪霊(デーモン)論をテムズ川のRiver Project(川論)として書くという、なんともBらしい奇抜な内容で書いているらしい。佳境に差し掛かっているこの時期に、実験的音楽を制作するバンドを組み、その活動や制作過程からインスピレーションをもらい修論を書き上げようとしている。もう、正直何をやっているのか分からない。まぁ、その訳の分からなさもBの魅力であるわけだが。

みんながいなかったら生き残れなかったと思う

最後にW。Wは私と一緒の2年のプログラムのため来年も一緒に研究していく予定だ。だからWについてはここでは短めに書き、また来年この時期にたっぷりと書きたいと思う。Wは今年でちょうど30歳になったインド人で、学部ではインド哲学を分析哲学に位置付けるような卒論を書いて哲学科を卒業し、その後、約7〜8年間はインドの大企業のビジネスパーソン向けに英語の個人レッスンをして生計を立てていたらしい。ここは私とも境遇が似ているように思えるが、その働いている間も自分で哲学を勉強をしていたものの、その限界を感じてこの大学院に入学した形になった。本人はその家族について多くを語らないが、おそらく超富裕層だと思う。
Wは本当にナヴァ・ラサ(9つの情感)というインド美学を体現したような人間だ。全てを全力で感情表現する。笑い、怒り、嫌悪、勇敢、平安、恐れ、悲しみ、驚き、ときめき。それら全てを120%で表現する。だからよく衝突もする。5人でパブで飲んでいると、よく言い合いになる。さっきまで楽しそうに笑っていたと思えば、議論になり怒り、私たちをすぐに嫌いになる。そして帰宅するや否や大胆に私たちのWhatsAppのGroupから退会し、1週間ほどすると何事もなかったかかのようにいつメンの1人に頼んでWhatsAppのGroupに戻り、また一緒にパブに行くようになる。そして酔いが回ってきたところで急に泣き出し、(授業やその課題に食らいつくという意味で)「正直、みんながいなかったら生き残れなかったと思う(To be honest, I don't think I would have been able to survive without all of you.)」とみんなに感謝を述べる。私も2度ほど引火させてしまったことがある。
一度目はフロイトの『文明とその不満』と「快感原則の彼岸」の解釈を巡って、二度目はベンヤミンの「セントラル・パーク」におけるボードレールの売春婦的な主体性を巡って。

この4人に私を加えた5人。そこに、身体知と政治的無関心に興味がありダンサー兼哲学者を目指すイタリア系スイス人のM、父の日にハイゲイト墓地のマルクスのお墓前で写真を撮りHappy Father's Dayとみんなに写真を共有するギャグセンスの高い中国人のX、とあるウディ・アレンの映画を真似てロンドンの良いところと悪いところをノートに書き出しているスウェーデン人のH(今のところ、良いところに「ハーフパイントがあること」と書かれているだけらしい)、そしてザ・ニューヨークの美大出身って感じの手ぶらでフラッと授業に出てクリティカルな質問を残して帰るトルコ系アメリカ人のF、とかがいたりいなかったりしてこの1年を過ごしてきた。
性別も違えば、性的指向も全く異なる。しかも関心領域もあまり被っていないにも関わらず、哲学の名の下に集まり、時間をかけ議論することで、互いの分かり合えなさを分かり合ってきた。さあ、もうすぐいつメンとの「はなればなれに」の時間だ。また「再び逢うまでの遠い約束」が増えていく。互いに死後の生を生き延びようではないか。これが「離別の時間(Les temps des adieux/ A Time of Farewells)だ。

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ペテンの配達人
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