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3.11のあとに詩を書くということ

アドルノの「アウシュビッツ以後、詩を書くことは野蛮である」ということばは有名ですが、しかし「否定弁証法」の別のところでは次のようにも語っています。

「永遠につづく苦悩は、拷問にあっている者が泣き叫ぶ権利を持っているのと同じ程度には自己を主張する権利を持っている。その点では、「アウシュビッツのあとではもはや詩は書けない」というのは誤りかもしれない」と。

まったく同じ意味において、東日本大震災と福島原発事故のあとに、生きつづけていくことが可能なのでしょうか。たまたま助かったが、命を失ってもおかしくなかったし、実際に多くのひとが命を落とした。そしてどのように生きていくかという問題です。

生きつづけていくためには忘却と冷徹さが必要となるでしょう。そして震災の災厄をまぬがれたひとには強い罪悪感がつきまといます。自分はもはや生きているのではなく、2011年の震災で死んでいる、いまの生活は単なる幻なのではないか、そういった悪夢に苛まされます。

3.11のあとにひとが詩を書くことは、拷問にあっている者が泣き叫ぶのに等しいのですが、しかし、その程度にはゆるされているということなのでしょう。

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