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カント『純粋理性批判』における「自発性」の機能:「超越論的分析論」を中心に②

前編はこちらから↓


「私は考える」という自己意識と自発性の関係

さて、本稿では、自発性の基本的な機能と、構想力の自発的な総合にとって重要な役割について述べてきたが、ここで、「自己意識」との関係における自発性の点に立ち戻ることにする。なぜなら、「私は考える」という自己意識は、以下にピエール・ケラーが指摘するように、自発性の意識の存在から演繹される即時性の意識と受容性の意識によって形成されなければならないからである:

私たちが解釈という活動を表象することができるのは、この活動とは別個のものとして表象しなければならない、私たちも即座に意識する何かが存在する場合だけである。だからこそカントは、われわれの自発性の即時的意識の存在から、受動性あるいは受容性の即時的意識の存在を演繹するのである。(中略)われわれの自発性の即時的意識は、われわれの受容性についての同様に根源的な意識があって初めて自覚できるものである。ひとたび私たちが自発性の意識を持てば、内的感覚の一形態としての時間における対象の経験は、空間における対象の即時的経験と結びつかなければならないことを知ることができる。

Pierre Keller, Kant and the Demands of Self-Consciousness, pp. 215-6. 拙訳。

この最後の文章は、時間と空間との関係の重要性を指摘している。私たちの自発性を意識することによってのみ、内的感覚の形式としての時間における対象の知覚が、空間における対象の即時的な知覚と結びつかなければならないことを理解することができるのであり、ケラーは、このことが「有限の理性的存在」としての自己意識を形成する役割を果たすと結論づけている。
言い換えれば、人が自発的な存在ではなく、単に受動的な存在であるならば、この受動的な存在は、感覚データが単に提示されるだけの存在であり、空間がその存在の内部に存在することはありえない。しかし、自発性という機能の支えによって、受動的な存在である自分を即座に意識することができ、それによって自分の外側に存在するものを考えることができる。
このように自発性が自己意識の形成に寄与する機能は、認知と自己意識の関連から論じることができる。しかし、認識と自己意識との関連について詳述する前に、概念の統一が認識と自己意識との関係に影響を及ぼすことから、本稿では、自発性の機能が概念の統一にどのように寄与するかを論じるべきである。 また、カントは、既に本稿で論じた直観における把握(覚知)、構想力における再生に加えて、自発性が概念における認識における総合の根拠であることを指摘している:

さて、この自発性こそが、すべての知識に必然的に見出される三重の統合の根拠である; すなわち、直観における心の変化としての表象の把握、構想力における再生、そして概念における認識である。

Kant, Critique of Pure Reason, A 97, pp. 130-1. 拙訳。
強調は原文。但し、引用者によりイタリック体を太字に変更。

心には表象を組み合わせたり「合成」したりする「自発的な」能力があり、概念はこの「自発的な」「合成」のプロセスによって生み出される。言い換えれば、自発性あるいは悟性には、概念の統一を容易にする概念形成の能力がある。
パトリシア・キッチャーは、「カントは、概念の使用において、主体はその概念に含まれる秩序化された要素を認識しなければならないと主張し」、「概念の使用には、少なくとも概念の統一性に対する暗黙の認識が必要であるが、この統一性のいくつかの要素は感覚から来るものではなく、むしろ我々の認識活動に由来するものであり、したがって我々の認識活動を表すものである」と強調している。(キッチャー、1999年。) このように、概念認識は自己意識と関連しており、また自己意識とは、主体が自らの組み合わせの力、すなわち「自発的な」認知活動を自覚して初めて成り立つものなのである。

自発性が自己意識の形成に及ぼす役割とは何か

では、なぜ自発性の働きが自己意識の形成にとって重要なのか。それは、「私の知識において、すべての意識は私という単一の意識に属するべきである」という絶対的な必要性があるからである。(A 117n。) さらにカントは、「私が考える」という表象を次のように定義するとき、すべての意識が属する自己意識の統一性の重要性を明確に強調している:

他のすべての表象に付随することが可能でなければならない表象であり、すべての意識において一つであり同じものである

Kant, Critique of Pure Reason, A 117n, p. 142. 拙訳。強調は引用者。

自発性の機能は、すべての意識を「私の一つの意識」あるいは「一つで同じもの」にまとめる結合あるいは「統合」の力という点で、自己意識の形成に寄与している。 しかし、カントの議論はそこで終わりではなく、彼はこの思考の自発性、あるいは自発的な認識活動を自己意識に融合させ、個々の主体の因果史の具体的な細部からの自律性につながるようにさらなる収斂を目指す。 キッチャーが指摘するように、カントの「自己意識」は「自発的な精神的行為や活動の意識」として特徴づけられる。(キッチャー、1999年。) つまり、自発性の機能は、自己意識の最も重要な構成条件のひとつなのである。

自発性についてのまとめ:総合する力、感性と悟性の橋渡し、概念形成能力、自己意識の形成への寄与

まとめると、『第一批判』全体を通して、自発性はさまざまな重要な概念に対して常に重要な機能を果たしている。例えば、本稿が考察してきたように、自発性の最も基本的な機能は、感性の受容性との関係における悟性の能力であり、自発性の行為は、空間と時間に属する多数の純粋なア・プリオリな直観を結びつける総合の力を持っている。
さらに、自発性は、構想力という名のもとに、感性と悟性の橋渡し機能をもっている。付け加えると、自発性は概念の統一を容易にするために、概念を形成する能力を持っていることも忘れてはならないし、また、自発性の機能が自己意識の形成に多大な貢献をしていることは明らかである。カントの議論によれば、自分を知的存在として認識することができるのは、まさに自分の自発性を自覚するためであり、自発性の機能は、その収束力ゆえに「私の一つの意識」の一部であると言える。

おまけに:あまり論じられていない「超越論的弁証論」における「自発性」について

最後に、「超越論的弁証論」における純粋悟性と純粋理論理性との関連において、自発性の機能と「超越論的自由」との間に何らかの関係があることを示唆して、この本稿を締め括りたいと思う。この含意は「弁証論」では論じられておらず、したがって「弁証論」における自発性の機能ではないが、カントが「弁証論」における「超越論的自由」を、「超越論的分析論」において構築された自発性の機能の論証に基づいて検討しているように見える可能性が十分にあるため、ここでこの関係を論じることは十分に説得力があると思われる。
カントの絶対的自発性の概念は、「第三アンチノミー」における「自由意志の伝統的問題」に対して重要な帰結をもたらすが、それはこの概念が実践的自由の概念を理解する上で大きな挑戦となるからである:

カントはまたこの発言の中で、原因の絶対的自発性という概念は、自由意志(実践的自由)の伝統的な問題に重要な意味を持つと主張している。なぜなら、それはそのような自由を考える上での主要な困難を構成するからである。

Allison, Kant’s Transcendental Idealism, p. 377. 拙訳。

そしてガードナーは、我々の理性が持つ超越論的自由は人間の自由の一つの可能性に過ぎず、もし我々が自由と呼ぶものが自然であるならば、「我々の認識の自発性は、我々の実践的自由とともに幻想である」と強調する。(ガードナー、1999年。)
一方、カント自身は、テーゼの証明の中で、「自然の法則に従って進行する一連の出現がそれ自体で始まる、原因の絶対的自発性」を述べている。(A 446=B 474。) この意味で、カントは絶対的自発性を、実践的自由の前提条件でしかない超越論的自由と同一視しており、(理性における)自発性と自然との間に立つ矛盾構造を有している。
は、自発性がカントの意志の自由と可能な行為の理論的基礎として、また「実践的自由」の基本的性格を形成する重要な原動力の一つとして機能していることは確かであると確信し、以下の引用をもって本稿を結びたい。

超越論的理念は、行為の絶対的自発性のためにのみ、その帰責性の適切な根拠として立つ。

Kant, Critique of Pure Reason, A 448=B 476, p.412. 拙訳。

理性はここで、物事の秩序に従うのではなく、完全な自発性をもって、理念に従った独自の秩序を自らのために構築するのである。

Ibid., A 548=B 576, p.473. 拙訳。

参考文献

  • Adorno, Theodor W. (2001). Kant’s “Critique of Pure Reason”, Stanford University Press.

  • Allison, Henry E. (2004). Kant’s Transcendental Idealism, Yale University Press.

  • Gardner, Sebastian (1999). Kant and the Critique of Pure Reason, Routledge.

  • Goldmann, Lucien (1971). Immanuel Kant, NLB.

  • Guyer, Paul (1987). Kant and the Claims of Knowledge, Cambridge University Press.

  • Heidegger, Martin (1997). Kant and the Problem of Metaphysics, trans. Richard Taft, Indiana University Press.

  • Heidegger, Martin (2010). Logic: The Question of Truth, trans. Thomas Sheehan, Indiana University Press.

  • Kant, Immanuel (1973). Critique of Pure Reason, trans. Norman Kemp Smith, Macmillan.

  • Keller, Pierre (1998). Kant and the Demands of Self-Consciousness, Cambridge University Press.

  • Kemp Smith, Norman (2008). A Commentary to Kant’s Critique of Pure Reason, Library of Alexandria.

  • Kitcher, Patricia (1999). Kant on Self-Consciousness, The Philosophical Review, Vol. 108, No. 3, pp.345-386.

  • Longuenesse, Béatrice (1998). Kant and The Capacity to Judge: Sensibility and Discursivity in the Transcendental Analytic of the Critique of Pure Reason, trans. Charles T. Wolfe, Princeton University Press.

  • Lloyd, Genevieve (2003). Being in Time: Selves and Narrators in Philosophy and Literature, Taylor and Francis.

  • Sgarbi, Marco (2012). Kant on Spontaneity, Bloomsbury Publishing.

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