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思想哲学としての「体験的心理療法/シャーマニズム」―変性意識の思想

 別の記事「哲学や思想の凋落―生と存在を変えない思想」では、現代社会の中で、私たちが触れている、哲学や思想のほとんどが、「頭でアレコレ考えているだけ」のものであり、生きている人間の、生や存在を変えるものではないことについて取り上げました。

 そして、そのような人文書のたぐいが、読まれなくなってしまったというのも無理もない話であるということについて書きました。
 それらの思想は、言ってみれば、ただ「そんな風にも考えられる」「そんな気になる」というものであり、生と存在を変える力を持たないものであるということです。

 また、そのことは、本の著者たち自身の姿を見てみれば、一目瞭然であることについても触れました。
 語られているそれらの思想が、なんら著者たちに、実存的変容を起こしていないことは、その本人たちの姿を見ればわかることだからです。

 現代では、そのこと自体が、思想や哲学の当たり前の姿となってしまっているので、疑問を持たれることもないのですが、しかし、本来の「生を探求する」意義からすればおかしなことであると言えるのです。
 思想とは、本来は、実存の謎に対して、光を射すべきものであり、実存の変容に資する力を持つべきであると考えられるからです。
 しかし、私たちが普段、目にする思想も、また歴史上の思想も、多くがそのようなものではないのです。
 そのような思想や哲学には、何か本質的な欠陥があると考えざるを得ないのです。
 そして、そのような人文書のたぐいが、読まれなくなってしまったというのも無理もない話と言えるのです。

 しかし、このように、頭でアレコレ考えているだけ(思考と存在の分裂)という事態は、思想や哲学だけにかぎった話ではなく、もう一歩進めて、世の中の状況をよく見てみると、現代社会全般でも見られる現象であるのです。
 例えば、一見、実効性や実用性を装っている「自己啓発系」のものなども、さまざまに人生を変えるかのようなことを謳ってはいますが、実際は、「ただそんな気になっただけ」「頭でそんな風に考えるだけ」のものであり、人生を変える力は何も持っていないのです。
 そのため、そういう本の読者は、人生になんの変化もないままに、同じような内容や謳い文句の本を、延々と買い続けているという事態になってしまっているのです。


■体験的心理療法と変性意識状態

 さて、ところで、「哲学や思想の凋落―生と存在を変えない思想」では、私が逢着した「思考と存在の分裂」を突破するキッカケとなったのが、日本ではほとんど知られていない「体験的心理療法」であったことを記しました。

 体験的心理療法とは、通常の心理療法とは違い、何かしら「特徴的な体験をすること」を方法論の核に持っている心理療法のことです。
 また、「心理療法」とついていますが、必ずしも治療的なものだけに効果があるのではなく、創造性開発や自己実現などにも効果を持つものとなっているのです。
 そのため、世界では、「自己成長のためのセラピー」と呼ばれたりもしているのです。
 代表的なものとして、ゲシュタルト療法やエンカウンター・グループなどがあるように、強い感情体験や意識変容をするところにその効果の特徴があります。
 前回の記事でも触れた、ブリージング・セラピーなどは、呼吸法を使って、「特異な体験」「深部からの解放」を、クライアントに起こす体験的心理療法です。
 通常の心理療法は、大体のところ、「おしゃべり」しているだけなので、「思考と存在の分裂」に対する打開効果をほとんど持ちません。そのような弱いアプローチでは、当時、私が感じていた「思考と存在の分裂」を解決できなかったでしょう。

 体験的心理療法が「思考と存在の分裂」に対して、効果を持つのは、―すべての体験的心理療法がそうであるわけではないですが―、その一部の優れたものについては、「意識そのものを変える」力を持っているからだとも言えるのです。

 そして、これは、「変性意識状態(ASC)」という、意識の変容状態ともつながってくる要素なのです。
「変性意識状態(ASC)」とは、私たちのこの「普通の意識状態」以外のさまざまな意識状態を指した総称です。
 体験的心理療法の必要性としては、生と存在に深く介入的に影響しなければ、そもそも、治癒(癒し)というものが成り立ちません。
 そのため、方法論的な要請として、そのような「意識そのものを変える力」「変性意識状態」が発見されていったとも言えるのです。
 しかし、この効果と影響のひろがりは、単に治癒的なレベルだけではなく、「思想的」な意義、実存的な意義においても、決定的に重要であると言えるのです。

 ところで、「思考と存在の分裂」についていうと、現代社会においても、また歴史においても、この「意識」そのものが、疑いをもたれるということは、ほとんどありませんでした。
 この「意識」とは、この「理性的」「合理的」「論理的」な意識です。
 特に、先進国の現代人を覆っている西洋近代主義においては、特にそうでした。
 そのため、私たち現代日本人も、そのことに疑いを持たなくなってしまっているのです。
 西洋哲学の歴史を見ても、デカルト Descartes にしろ、フッサール Husserl にしろ、すべての前提を疑うとは言っていますが、この「意識」自体が真に本質的な次元で疑われることはなかったのです。
 それは、彼らの超克を目指したジャック・デリダ Jacques Derrida においてさえそうなのです。
 (行為に対する、意思決定アウェアネスの遅延について、データを積み上げたベンジャミン・リベット Benjamin Libet の場合でも、朴訥な定義で、アウェアネス(意識)というものがあつかわれているのです)

 しかし、一部の感覚の鋭い人々においては、この「意識」そのものへの疑義もありました。
 よく引用される有名な文章の中で、アメリカの哲学者ウィリアム・ジェイムズ William James は、以下のように指摘しています。

「…(それは)私たちが合理的意識と呼んでいる意識、つまり私たちの正常な、目ざめている時の意識というものは、意識の一特殊型にすぎないのであって、この意識のまわりをぐるっととりまき、きわめて薄い膜でそれと隔てられて、それとまったく違った潜在的ないろいろな形態の意識がある、という結論である。私たちはこのような形態の意識が存在することに気づかずに生涯を送ることもあろう。しかし必要な刺激を与えると、一瞬にしてそういう形態の意識がまったく完全な姿で現れてくる。それは恐らくはどこかに、その適用と適応の場をもつ明確な型の心的状態なのである。この普通とは別の形の意識を、まったく無視するような宇宙全体の説明は、終局的なものではありえない。問題は、そのような意識形態をどうして観察するかである。―というのは、それは正常意識とは全然つながりがないからである。(中略)いずれにしても、そのような意識形態は私たちの実在観が性急に結論を出すことを禁ずるのである」

ジェイムズ『宗教的体験の諸相』桝田啓三郎訳(岩波書店) ※太字強調引用者

 これは、ジェイムズ自身が経験した変性意識状態から、導かれたものですが、「意識」と一言で言っても、実は、非常に「多様な意識状態」「意識の次元」が存在しているのです。

 実際、西洋以外の地域では、伝統的な宗教や秘教、神秘主義の中で、そのような意識状態が探求されていたのです。
 しかし、歴史の流れの中で、西洋近代主義や合理主義、資本主義が、世界を覆いつくしていく中で、多様な先住民文化が抑圧され、排除されていったのと同じように、「多様な意識状態」「多様な意識の次元」も、抑圧され、排除されていくことになったのでした。

 体験的心理療法は、「経験」を重視した体験主義的アプローチですが、その「癒し」の実現の必要から、期せずして、「変性意識状態」という、通常の意識状態とは違う、多様な意識状態を再発見することとなったのでした。
 「多様な意識状態」「多様な意識の次元」が、再発見されていったのです。
 それは、近代主義的な「思考と存在の分裂」を超えた、生と存在に透過する意識状態の再発見でもあったのでした。
 「拡張された意識」「拡大された意識」とも言えるものです。
 そのような再発見は、同時代や後の時代に見出される、マズローの「至高体験 peak-experience」や、チクセントミハイの「フロー体験 flow experience」などと同様に、私たちの生と存在に貴重な変容をもたらしてくれるものであるのです。

■シャーマニズムの再発見と再評価

 そして、このような体験的心理療法の方法論が、伝統的に、変性意識状態を重要な方法論としていた「シャーマニズム」の方法論と出会うというのは、とても必然的な流れであったのです。
 西洋文化的な見方では、未開の文化として見なされていた「シャーマニズム」が、癒しと霊的覚醒のために、変性意識状態をあつかう高度に方法論的なアプローチであると、再評価され出したのです。
 実際、シャーマニズムのさまざまな方法論には、私たち近代人が知らない、興味深く、貴重な方法論がたくさんあるのです。
 そのようなわけで、私などの活動においても、体験的心理療法変性意識状態シャーマニズムが、統合的な形で、一体化しているということになっているのです。

 近年、日本でも、アヤワスカなどのサイケデリックプラントメディスンが、興味本位な話題に出ることが増えましたが、それらを真に深く体験したり、可能性を汲みつくすためにも、実は、上記したような、シャーマニズムについての、思想的で方法論的な理解が、基盤として必要であると言えるのです。




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