まどろみの中で真我を実現した。真我実現はカンタン。というかアナタが既に真我実現してしまっている真実を感じた。ラマナ・マハルシさんも16歳のとき瞑想もしないで霊的な覚醒をしてしまっている。 ⇩参考文献(第3巻)「ラマナ・マハルシの生涯」 https://amzn.to/40pW9QT
マハルシの言葉より「真我は「見る者」ではありません」⇨福間巖の注より「相対的な「見る者」が自我であり、二元性を超えた真の「見る者」が真我である」 ⇩ やはり「見る者」ではなかった。でも二元性を超えたら真の「見る者」なんだ?! ⇩第3巻 https://amzn.to/40D5aYj
読む時間ができたので『ラマナ・マハルシとの対話第2巻』を読むことができる。アナタには感謝してます。 https://amzn.to/4gT9cSg キンドルアンリミテッドなので、無料体験をオススメします。500万冊以上がアナタを待つ! https://www.amazon.co.jp/kindle-dbs/hz/signup?tag=polydolphin-22
自我は真我から現れるのだから、その源は、ハートセンター、ラマナ・マハルシによれば、右側の心臓にあるはず。右側の心臓を探せ! ラマナ・マハルシ関連の書籍は、キンドルアンリミテッドが多い。 キンドルアンリミテッドの無料体験がオススメ!⇩ https://www.amazon.co.jp/kindle-dbs/hz/signup?tag=polydolphin-22
真我とは、福間巖さんのアートマンの訳である。 真我実現するには、➀真我探求と➁明け渡しがある。 ➁明け渡しとは、わかりやすくいえば、神(実は真我)に自我を明け渡すことで、自我をなくし、真我実現に至る、みたいな方法である。 ⇩参考文献 https://amzn.to/40tOMs0
昨日の晩まどろみの中で世界もなく心・自我もなかった。 起きたときにアレが真我かと思った。 けれども、当たり前にその真我はありつづけている。 まだ想念は浮かぶんだけど真我はありつづけている。 あのユングが序を書いた本❗️ 買っちゃった☺️ https://amzn.to/4jlUYuu
福間巖さんの訳では、サンスカーラ=心の精神的傾向、ヴァーサナー=心の潜在的傾向だったような気がするけど、昔、ブログでは異論を唱えたわけ。でも、福間巖さんの訳でいいかもね?両方なくさないと真我実現して至福になれないのだけど。 ⇩参考文献 https://amzn.to/4aqqN1o
P34. 無欲と智慧の関係は?無欲と智慧それは同じもの。無欲とは真我のみを求めること、智慧とは真我を決して離れないこと…とマハリシは言う。ただ在りてある一者、その分光たる心、彷徨う心は対象物(影)を創る。そして一者を光源と見做すのは心。だが哀しいかな光源と影に直接の繋がりは無い…
P32. 解脱を願う者にとって本を読むことは・・・本を読むあいだ解脱は成されない。何故「私は誰か」と問うか。想いと対象がある限り一者は隠され続ける。想いの源流を辿るとき、為すべきは心を静寂に保つこと。手放す恐怖が智慧で癒され、輪廻に縛られた心もろとも「沈黙」に溶け込み滅するまで…
P35. 解脱とは何でしょうか?束縛されている自我の本性に尋ね入り、その真実の本性を悟ることが解脱である…とマハリシ。光源とフィルムとスクリーン。自我はスクリーンに映る流浪の映像。映像を離れ、フィルムを捨て去り、光源とひとつに還る。一者の智慧で自我を手放す恐怖が至福となるように…