寂静から、存在(サット)意識(チット)至福(アーナンダ)=サッチダーナンダがうまれることが、よーくわかった!今はとても気持ちがいい。 あまりに面白いから買ってしまったオススメ本⇩ https://amzn.to/3WkuPT4
不二一元論は不二だから、真我・ブラフマンの性質が、存在・意識・至福=サッチダーナンダであるともないとも言えないはず。思うに、多分、あるというのは二元の世界における便法的表現で、実際には、直接知覚するしかない。 この問題を取り扱った本⇩ https://amzn.to/3WkuPT4
「サートヴィックな(私注:静止した、不動の)心はラージャシックな(私注:活動的)心の観賞者です。」「それがジーヴァン・ムクタ(生きながら解脱した人)の境地です。彼の心は死んでいるとも言われます」以上ムナガーラ・ヴェンカタラーマイア「ラマナ・マハルシとの対話第1巻」⇨これが至福?