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不二(ふに⇨仏教の非二元・ノンデュアリティ)がわかる物語。岡本直人「はじめての非二元・ノンデュアリティ」

不二(ふに⇨仏教の非二元・ノンデュアリティ)がわかる物語。岡本直人「はじめての非二元・ノンデュアリティ」

仏教での非二元・ノンデュアリティ=不二(ふに)がよくわかる物語があるんだ。

どんなストーリー?

維摩居士の沈黙、というストーリーなんだけどね。

維摩居士の沈黙。

たくさんの菩薩(大乗仏教では、悟りを求める者のこと)たちが、維摩居士(ゆいまこじ⇨在家で悟りに達した人)のもとに集まり、入不二法門(にゅうふにほうもん⇨不二を悟る仏の教え)とは何か?について意見を述べることになった。
たくさんの菩薩たちが、各々の意見を述べていく。最後に、文殊菩薩が、要約するに「言葉では表せない」みたいな意見を述べて、維摩居士の意見を求めた。
すると、維摩居士は、黙して、何も語らなかった。文殊菩薩は感嘆して、「大変素晴らしいことです」みたいに語ったという・・・。

維摩居士の沈黙ね・・・。面白い話だね!

「維摩の一黙、雷の如し」と呼ばれるくらい、有名なシーンだ。

文殊菩薩は正しいことを言った。しかし、言葉にしている。だから、本当は間違っている。黙して語らずが本当に正しい態度。

文殊菩薩は正しいことを言った。しかし、言葉にしている。だから、本当は間違っている。黙して語らずが本当に正しい態度・悟りなんだ。

仏教の入不二法門については、言葉では語れないんだね。よーくわかったよ。

ほら、言葉にしてる。維摩居士の沈黙をすっかり忘れているね(笑)。

あらら、やっちまったか?!

赤ん坊は悟っている。

だから、赤ん坊は不二を悟っているんだ。スピリチュアル界隈で言われることがある話だけどもね。

赤ん坊が悟っている?!

だって、言葉を知らないじゃん。

ああ、そういうことか。

ボクらは、「分別のついた大人」になっていく。

不二の悟りは、無分別の境地によって達成される。いわば、無分別の境地にいる赤ん坊。それに「私がママよ、この人がパパよ」と言葉を教えていく。すると、いつのまにか、分別のついた大人になっていく。

「分別のついた大人」って、世間では褒められてるわけじゃん。

でも実際は、赤ん坊のころの悟りを忘れているよね。

赤ん坊に戻れってこと??

まあ、言ってみれば、そういうこと。難しいよね(笑)。

ボクの一瞥体験は、そんな感じだった。

実は、ボクが昔体験した一瞥体験は、言葉を忘れてありのままの世界を見ることだったんだ。

ほほー。

ほんの一瞬だけど、ありのままの世界を見れたんだ。解放感でいっぱいだったよ。ほんの一瞬のはずなんだけど、ボクには数秒間に思えたな。

ふーん。ポリドルフィンさんの一瞥体験は、不二だったんだね。

その後、別の教えがキッカケで、悟りに至ったと。十分ではないにせよだ。

確か、解脱がわからないんだっけ?

解脱がわからん。誰か、ボクを導いてくれないかなぁ・・・。(この記事を書いたあとで、20世紀最大の覚者、ラマナ・マハルシの解脱の概念に従ってみようか?と思った。この点については、また記事を書くつもり。)

維摩経という御経での物語。

ちなみに、維摩居士の沈黙は、維摩経(ゆいまきょう・ゆいまぎょう)というお経に出てくるストーリーなんだ。

維摩居士は、たしか、在家で悟りに至った人、だったよね。

在家者でも出家者よりも悟れるよ、というお経なので、大乗仏教では、結構重要なお経だ。日本最古の文献(争いはあるものの)、聖徳太子のお経の注釈書、三経義疏(さんぎょうぎしょ)の三経の中の一つでもある。いかに、日本人にとって、重要なお経かわかるよね?

そんなにスゴイお経の、有名なストーリーだったのか!?

そもそも、私は悟ったと言うことは、不二性に反する。

というわけで、「私は悟った」と言うことは、そもそも不二性に反する。言葉を使っているからだ。

「私は悟った」という言葉があるから、「私は悟ってない。私も悟らねば」「私の悟りのほうが優れている・劣っている」みたいな、言葉による二元性ができ、いわゆる「探求難民」を生むよね。

そもそも、不二性についての考察も、しっかりしないとダメだということだね。

でも、ポリドルフィンさんも、さっき「別の教えがキッカケで、悟りに至った」って書いてたじゃん。

「別の教えがキッカケで」とあるように、ボクは、維摩居士とは意見が違うのだよ!・・・というのは冗談だけどね(笑)。仮に維摩居士に従えば、「黙して語らず」なんだろうね。本来は。

さて、仏教はこれくらいにして、早く、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ(ノンデュアリティ(非二元)のウパニシャッド思想⇨不二一元論(ふにいちげんろん))に入ってよ!

ちょっと待って。まずは、次回で、二元論のサーンキヤ哲学の話をもう一回してから、次々回にアドヴァイタ・ヴェーダーンタに入る予定だよ。アドヴァイタ・ヴェーダーンタの理論を知るには、まずは二元論のサーンキヤ哲学の理論をしっかりと頭に入れないとダメなんだ。次回は、主に、サーンキヤ哲学の解脱理論について書く予定。

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