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*振り返る*

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#コラム

内科医との雑談

内科医との雑談

私はメンタルだけでなく
甲状腺の病気ももっている

お薬を飲み続けているので肝機能とかの検査は必要になる

それと甲状腺とを診てもらうために
毎回、内科医の診察を受ける
この先生
診察というより雑談
自分のこともよく話す

話しながら私の反応とかを伺っているようにも感じる

もともとは外科医というこの先生こそ
メンタルの医師に向いているようにも思う
誘導がとても上手いのだ
ただの雑談なはずなのに、

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担当医との問診

担当医との問診

この時の担当医との付き合いは
たぶん3年くらい

初めに担当していてくれた医師は
旦那さんの仕事の関係で引っ越すため辞めたから

私はこの辞めてしまった女医さんのおかげで
寝たきりから解放された
そう言っても過言ではない

今でもとても感謝している

新しい先生は有名な先生らしく
とても忙しい先生で
診察という診察には感じられず
毎回お薬の確認だけ
増薬も減薬も自己申告に近い気がした

カウンセラ

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回復という出口

回復という出口

私は「双極性障害」にしても
「精神疾患」としても

知らないことが多すぎた

本来なら病院で教えてもらったり
自分で調べたりするのだろうが

これまで本当に興味を示してこれなかった

とにかく元気になれたら元通りになれると信じていた
「治らない」なんて知らなかったから

こんなに何年も病院に通っていても
病院関係者はなんのアドバイスもくれなかった

生活を送ることが辛いと言っても
仕事に行けないと

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鏡の中の私

鏡の中の私

子供のころの私

あれは私が何歳くらいの頃だろう

たぶん小学校高学年になるくらいのとき

私の心の逃げ場所は鏡の中だった

鏡の中には「私」がいた

私はいつも鏡の中の「私」に話しかける

楽しかったことも
辛かったことも
嬉しかったことも
苦しかったことも

彼女はいつも聞いてくれた
私のくだらない話を

そして必ず言葉を返してくれた

楽しかったことを伝えれば『よかったね』と

辛かったこと

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迫り来る「音」

迫り来る「音」

私はいつの頃からか

極度に「音」を受け入れなくなった

たぶんはじまりは雨

雨の「音」に心地良さを感じた
大雨ではない雨
『サーッ…』
という「音」のみで
他の「音」は雨に飲み込まれてて

すごく落ち着いた

その頃から音楽を聴かなくなった

テレビを観なくなった

「音」が煩わしいものと認識された

そのうち
聞こえてくる「音」すべてが煩わしく感じるようになってしまった

自分が起こす「音」

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閉鎖的空間の恐怖

閉鎖的空間の恐怖

私が住むところは「都会」とはいえない場所

ほどよく「田舎」の雰囲気を残しつつ
生活するには困らないくらいの発展を遂げた街

子供の頃からあまり電車に乗る機会はなかった
年に数回のその機会は
子供の私にとっては楽しい時間となるもので
乗るたびにわくわくしていたような記憶がある

楽しい時間と思えなくなる「その時」は
ゆっくりと私に近づいてきていたのか
私はそれに気づくことなく思春期を迎えた

初め

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消える駅

当時私のかかりつけのクリニックは
自宅から約2時間のところにあった

電車に乗っている時間は約1時間半

朝から出かけるのでどうしても通勤時と重なる

満員電車の中、座ることができないまま
その時間を過ごすことが苦痛でしかないので
毎回特急券みたいなものを購入し、座席を確保してから乗車する

金銭的には負担はかかるが、この電車でないと私は電車で出かけることができなくなってしまう

すぐに降りられな

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脳の代替え品

脳の代替え品

「双極性障害」と診断され
薬づけで寝たきりの状態から仕事復帰となったときに、あまりの記憶力のなさに愕然としたのを覚えている

肝心なことが記憶できないくせに
そんなことを記憶していてもね、って思うところだが

この、記憶できない症状のせいで色々な不都合が生じた

やろうと思っていたことを忘れる
話していたことを忘れる
自分がしていたことを忘れる

厳密に言えば「忘れる」というより「覚えていられない

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子供の頃の記憶

子供の頃の記憶

実は子供の頃の記憶がほとんどない

自分がもっている記憶は数えるくらいのもので、あとは写真を見てのあとから植え付けた記憶ばかり

普通の記憶は植え付けた記憶だろうと思う
相反する記憶が抹消しようとしてる記憶のように思える

そこと向き合わなければいけないような気がするのだけど、どうしても思い出せない

そんな中で覚えていること

それは「寂しい」という感情

特に虐待をされていた訳ではなく
ただ「

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求め続ける「誰か」

求め続ける「誰か」

曖昧な記憶を遡ると
いつからか「求めている誰か」がいた

私は
明るくて活発な子で
手のかからない子で
良いお姉ちゃんで
なんでもできる子で

そんな子供だった
両親が望む、そんな「私」だった

過去の私が泣いている姿を思い出そうとすると
それはいつもどこかの部屋のすみ
家具に隠れた場所であったり
押し入れの中であったり
とにかく誰かに見られないよう
注意をはらって泣いていたように思う
そんな「私

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作られた私と本当の私

作られた私と本当の私

「双極性障害」
その病名がつく前から接客業をしている

人を信じることができないのに
人と関わりたいという気持ちを持っていることが自分でも不思議で仕方ない

そしてその人たちに私は
「私」という人間を演じている

今思えばおかしいと認識できるのだけど
当時私は、職場が変わるとそこに合わせて自分のキャラを変えるものだと思っていた

当然、初日は様子を見るために
ニュートラルな「私」
その状態でひたす

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