人生に一生懸命で、何が悪い!
夢を追い始めてから、
よく言われることがある。
なんでそんなにモチベーション高いの?
なんでそんなに行動的なの?
なんか気持ち悪いぐらいモチベあるよね。
って。
僕から言わせれば、
逆になんでそんなに適当に生きてんの?!
なんでそんなにモチベないの??!
って感じだ。僕には、疑問を投げかけてくるその言葉の意味が、さっぱり分からない。
僕はただただ、自分の人生を、自分らしく生きているだけだ。一生懸命生きるとか、ゆるく生きるとか、そういうのは基準にない。一度きりの人生を無駄にせず生きようとしているだけ。
ただ、自分の人生を生きようとすると、周りからモチベーション高いねとか言われてしまうだけだ。
ああ、なんだかちょっと生きづらい。なんでこんなに他の人って、自分の人生とか、今自分のやっていることとか、周りの人間関係とかに、一生懸命じゃないのだろうか。不思議でたまらない。
学校のグループワークとか特に苦手だ。僕は毎回毎回周りよりもモチベーションが高いから、なんでもかんでも、ガッガッて、めちゃくちゃやろうとするのだが、そのスピード感についてこれた人とは、未だにあったことがない。
自分の居場所はここじゃないと、かかっこいいこと言ってみるけど、仲良くしたいという思いもあるから、我慢もしている。
でもなんか最近、疑問に思ってきた。
本当に自分がやるべきなのは、我慢することなのか?なんで我慢してんだ俺?それって自分らしい人生じゃなくない??本当に一度きりの人生、それで良いのか?
日本は、というかもしかしたら世界でどこでもだと思うのだが、一生懸命やるやつを蔑む傾向にある。もし天国があるならば、みんながみんなモチベーション高く人のために働く世の中であってほしい。
そうだ。周りにわざわざ合わせるほど、人生に時間はない。そう思って、他人からの承認欲求から抜け出した僕は、自己実現欲求に向かうようになった。
最近はインスタのストーリーで自分がやっていることを頻繁に投稿しても、共感ひとつ得られない。挙げ句の果てには遊ぶ相手すらいなくなってしまった。みんながだんだん離れていく印象だ。
人は全くついてこないが、まあ良しとしている。いつか僕と一緒に何かを全力でできる人が現れるまで、僕はこのスピード感で走り続ける。
しかも、周りのスピードに合わせる弊害もあった。自分の感情を押し殺してまで、周りに合わせようとするから、今まで自分の意見というものを持つことができなかった。
もう合わせないし、自分の意見をしっかり言うようにする。
人生に一生懸命で、何が悪い。
僕は僕なりに生きてるだけだ。文句があるならまずは自分の人生を充実させてから言ってこい!
っていう僕の現実世界での愚痴でした。
noteでは、ものすごくモチベーション高い人がたくさんいて、もう大好きっす。
これからもよろしくお願い致します。
以上!
活動費に充てさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。