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【3500字無料】 メタ的な議論(例:メタ倫理学)(ビジネス×哲学 試論 #3)
*注意:この内容はすでに販売中の「哲学者には世界がこう見えている! ビジネスで使える究極の哲学ツール【1】次元のちがい」の動画内容をもとに再編集したものです。
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*Youtubeでも冒頭5分程度をご視聴いただけます。
前回までの記事はこちら!
はじめに
このシリーズで紹介するのは、「次元の違い」についてです。次元の違いについて全4回で紹介していきます。
第3回となる、この記事では、「メタ倫理学」を例に用いながら、「メタ的な議論」について紹介します。
前もってこの話のポイントを先取りしておきます。
・1段目と2段目のような「階層の上下差を持っているような次元のちがい」がある。
(単なる横並びの次元のちがいではなく、片方がもう一方より1段上にある、そういう例を扱います。)
記事後半で登場する「メタ理学」の例に即して言えば、メタ倫理学と(通常の)倫理学との関係が「階層差のある次元の違い」となります。
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その「上」にメタ倫理学が被さります。
詳しくは記事後半で!
「メタ倫理学」の話に入る前に、まず、「メタ」という考え方について確認しておきましょう。
「メタ」とは?
①メタフィジックス
「メタ」という言葉は、そもそも「メタフィジックス(Metaphysics)」から来ています。
「メタフィジックス」は日本語では「形而上学」と訳されます。
「形而上学」というコトバは、日常的には、「机上の空論」だとか「無駄もの」を表すときにも使われますが、もともとの意味はそうではありません。
形而上学というのは、物理世界の1段上の世界を扱う学なのです。
フィジックスが物理、メタフィジックスが物理の1段上、というわけです。
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ここから転じて、「メタ」という言葉は「1段上」「1段奥」といった意味で使われるようになりました。
私たちの関心に合わせていえば、「階層の上下差がある次元のちがい」がある場合に、「上の次元」のことを「メタ」と呼ぶわけです。
ということで「メタ」という言葉は、「階層の上下差があるケースでの、上のほうの次元」という意味で考える必要があります。
②メタバース
例えば、最近「メタバース」という言葉があります。
2021年、旧Facebookが、メタバース事業を中核に据えるため、社名を「Meta」へと変えたことは話題になりましたね。
この「メタバース」は、「メタ」と「ユニバース」をくっつけた造語で、「メタな空間」という意味です。
何か1つ、私たちが普段生きている空間があって、その空間から少し離れた第2の空間「メタバース」があるというイメージ。
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ここまでの話を読むと、「なるほど、じゃあメタっていうのは抽象的なことを扱うってことね」と思われるかもしれませんが、必ずしも「抽象=メタ」というわけではありません。
「抽象」を指して「メタ」という場合もありますが、そうでない場合もたくさんあります。
③メタな構造
次に、「メタという言葉は使われていないけれど、メタな構造がある」ものの話をします。
「メタ」というコトバそのものは、あまり頻繁に耳にするものではありません。
ですが、「ある具体的なものの次元と、それより高いメタな次元がある」という構造は、身近なところにいろいろあります。
例えば、「商業施設」と「テナント」の関係を考えると、「テナント」にとって「商業施設」はメタの位置にあります。
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他にも、「夢を見ている夢」というのも、メタの関係になっていますね。
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あるいは、「次回、契約を交わしましょう」というやりとりは、約束の約束ですから、いわば「メタ約束」になっています。
このように、「メタという言葉は使われていないけれど、メタな構造がある」ものは身近にたくさんあります。
そういうわけで…
というわけで、「メタ倫理学」の「メタ」も、「メタ倫理学」が「通常の倫理学」よりも1段高いことを扱っていることを表しているのです(どのような意味で「1段高い」のかは記事後半で説明します)。
次に、「メタ的な議論はなぜ大事なのか?」という話をしていきましょう。
メタ的な議論はなぜ大事なのか?
①メタ的な議論は議論に有効
メタ的な議論はなぜ大事なのでしょうか?
1つの回答は「議論にとって有効だから」というものです。
問題を議論する際に、メタ的な視点を全く考慮しないと、議論がうまくいかないことがあるのです。
例えば、最近新聞などでもよく目にする話に、「自動運転中の車が、歩行者にぶつかりそうになったときにどう対応するのか」という話があります。
基本的には自動で歩行者を避ければ良いと思いますが、「避けることによって運転者が危険になる」ケースはどうでしょうか。
避けると、運転手の命が危ない
避けないでいると、目の前の人の命が危ない
このような2択を迫られたとき、自動運転はどのような選択をするようプログラムしておくべきなのか?
……という議論です。
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もちろん、いろいろな意見があると思いますが、ここで大事なことは次のことです。
どのような意見を持つにせよ、
「そもそもここで『このようにプログラムしておくべき』というのはどういう態度か」
「どの立場から言われているのか」
が定義されていなかったり、共有されていなかったりすると、話が噛み合わないし、議論がすれ違ってしまう、ということ。
つまり、どのような意見を持つにせよ、それより1段高い問題を考える必要があるのです。
この1段高い問題についての議論を「メタ的な議論」と呼ぶことができます。
②具体的に考えてみると
具体的に自動運転の開発のことを考えてみると、以下のような問題が、メタ的な視点から考えられます。
このようにプログラムしておく『べき』という態度の意味は?
「それが解決できなければ自動運転を絶対やめる」ということなのか?
それとも「何%なら発生しても良い」とするのか?
それを自社で決めるのか、外部委託しても良いのか?
いま決められないから将来決めるのか?
「議論は外部機関に任せて、その結果を後から実装する」という仕方での外部委託なのか?
運転手のことを考えているのか、歩行者のことを考えているのか、会社のブランドを考えているのか?
こうした問題に対して、態度決定していない場合には、「このようにプログラムすべき」という議論はすれ違ってしまうし、無駄になってしまいますね。
このように、「議論の前提をきちんと整える」ために、メタ的な視点が重要なのです。
③ここまでのまとめ
さて、ここでは、自動車運転の例を使いながら、「メタ的な議論がなぜ重要か」という話をしてきました。
ここまでメタ倫理学の話をしてきたのは、「階層の上下差がある次元のちがい」について紹介するためでした。
この「階層の上下差」が、「メタ」に相当するものでしたね。
ここからは、ビジネスにおいて「メタ的な発想」が必要である、という話をしていきます。
ビジネスでもメタ的な発想が必要
ビジネスでも、「◯◯しなければならない」という表現を使うことがありますね。
その場面では、「当然、そうあるべき」「当然、疑問なくそうだ」と思っているわけです。
「合理的」で、「強制力」があって、「権威づけ」られていて、「正当」で、「まっとう」で……と思っている。
しかし、「◯◯しなければならない」について深く考えなければうまくいかないような、深く考えなければ太刀打ちできないような問題にぶつかることもあります。
そのようなときには、「◯◯しなければならない」を1つメタ的に考える必要が出てきます。
立ち止まって、もう1度、「それはどういう意味で?」ということをメタ的に考えてみる必要が出てきます。
メタ的に考えることで、
「当然◯◯しなければならない」と思っている、この捉え方自体に問題があるのではないか?
という問題を扱えたりするのです。
つまり、態度自体を問うことができるのです。
例えば、「絶対に次のコンペでは他社に勝たないといけない」という表現があったとしましょう。
この「◯◯しなければならない」とはどういう意味か? と考えるのがメタな問いです。
このようにメタな問いを考えてみると、例えば
実際には、同時にいくつかのコンペがあったときに、予算規模の大きいコンペで勝てば良いのであって、必ずしも1つのコンペで常に他社に勝つということが必要ではない!
といった結論が出ることがあるかもしれません。
このように、立ち止まって自分たちのことを考え、
「『当然◯◯しなければならない』のいうコトバの本当の意味はなんだ?」
ということを扱うのに、メタ的な視点は役立ちます。
ここからは、「メタ倫理学」とは何なのかについて説明していきます。
「メタ倫理学」を知るための基本事項(倫理学・メタ倫理学)
①規範倫理学
まず、「倫理学」という分野は、大きく、「規範倫理学」と「応用倫理学」に分かれます。
「規範倫理学」とは何でしょうか。
「規範」というのが、少し固いコトバですね。
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