note投稿400日 継続の先にある変化と気付きまとめ
「noteの継続には『読み手』をしっかりと人として認識し、コミュニケーションする意識が大切ということか」
昨日noteを更新した際に下記のお知らせが表示されました。
昨年4月からスタートした私のnote。毎日1記事継続して書き続けていますが、400日を達成できました。私のnoteは自分の成長の軌跡を残すことが主目的ですが、その気付きや学びをシェアし、読んでいただいた方に生きる上でのヒントになれたらと思って書いております。
スキやフォロー、コメントといったレスポンスがあるから自分のモチベーションも維持できていると思います。みなさんに感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。
今回は改めて、400日継続して「継続の先にある気づき、自分の中の変化」について綴ってみたいと思います。noteで日々創作活動をされている方のヒントになればと思います。
評価に固執しない
まずはnoteの記事への向き合い方の話です。これはnoteを書き始めた昨年の自分にぜひ伝えたいことです。noteを書き始めた頃は「投稿」ボタンを押すのにめちゃくちゃ緊張していたように思います。
自分が書いた記事を「我が子」のように感じ、投稿した後も「人様に失礼はしないか?」「誰かを傷つけるようなことはないか?」と、正に子供を観るような目で不安がたくさんありました。
そして、そんな渾身の記事を投稿した後に待っているのが厳しい現実です。ビューもスキもつかない。そんな記事を毎日量産することになります。「なぜ読んでくれないの…?」「どうして評価されないの…?」と不安になったり、絶望したり。そんな経験、誰しも一度はあるのではないでしょうか?
これは考えてみれば当然のことですよね。始めたての頃はnoteという街の中では誰も知らない「無名の人」です。初めから注目を集められるはずもありません。ここを分かっておかないと、自分に原因があるのではないか、記事の内容に問題があったのではないかと自分を責め始めたりします。
ここで大切なのは「記事にはこだわる、でも記事の評価にはこだわらない」というマインドセットです。noteのユーザーは今や拡大の一途で、昨年6月時点でのアクティブユーザー数は6,300万人を超えています。1/6,300万があなたです。そんな中で「普通」なだけではやはり居場所を作れません。だから記事やアウトプットにはこだわる。これは大切です。
一方で、その記事の評価は半分目をつぶっておきましょう。街の中で生活しておれば次第に仲間が増え、いずれ「無名の人」ではなくなっていきます。ここは安心して続けていきましょう。
本当のフォロワーを大切にする
とはいえ、noteをはじめたての頃は一人でも増やしたいのが「フォロワー数」だと思います。やはり自分の記事を読んでくれる人を一人でも増やしたいのは当然の気持ちです。
しかし、本当に大切なのは「フォロワー数」という数ではありません。ちゃんと自分の記事を読んでくれる「◯◯さん」という個人です。
noteの投稿を続けているとよくスキをしてくれる人が少しづつ分かってきます。その人こそがあなたが本当に大切にすべきフォロワーさんです。
何千、何百という「数字」にはさして意味はありません。その数字を構成しているのは個人であり「人」です。さらに言えば、フォロワーさんの中でも自分の記事を継続的に読んでくれているのはほんの一部の人です。その人の顔が見えてきた時に、noteでの創作活動は俄然面白くなってきます。
私は、このフォロワーさんの顔が見えてきてから、本当の意味での「読み手の気持ちで書く」ということが分かってきたように思います。その人が「なるほど!」とか「おお~面白いね」とか言っている顔を想像しながら記事作りをすると、ただの文章が手紙に変わってきます。そんなスタンスから生まれた文章はきっと温かみをまとっていくのではないかと思います。
過去の自分から学ぶ
継続したからこそ得られるnoteの恩恵として挙げられるのが「過去の自分から学ぶ」ということ。やることはシンプルです。他人の記事のつもりで自分の記事を読み返す。これ、みなさんやってますか?
私も最近まであまり自分の過去の記事を読み返して来てませんでした。日々アウトプットすることに主軸を置いているので、意図して読み返すことはしてきませんでした。
先日、思いがけずこんな行動をしました。
1.「おしらせ」を見てると、昔の記事にスキを頂くケースがある
2.「そういえばこの記事って何書いたっけ?」と思い、改めて読み返す
3.「当時はこんな事考えてたのか」としみじみ…
4.そして「なるほどなかなか良い事書いてるな」と思った
5.思わず自分の記事にスキを押した
自分の記事にスキを押すのって、ちょっとナルシストのようで受け付けなかったのですが、自然とそんな行動をとっている自分がいました。
客観的に自分の過去の記事を読む。これは結構新鮮な感覚でした。そして、客観的に読んでいるからこそ、素直な気持ちでスキボタンを押せたのだと思います。
ポイントは「時間がたった後の記事を読み返す」所にあるように思います。「そういえばこの記事って何書いたっけ?」くらいの感じが良い頃合いな気がします。
期間が空いているからこそ、客観的に、フラットに自分の記事と向き合えます。読み返してみて「なかなか良いこと書いてるなぁ」などと改めて勉強になったりします。この感覚は素直な自分の感想だと思います。
そして、逆に「こんなレベルの低いことを書いていたのか…」という気持ちになることもあるでしょう。でも大丈夫です。それはあなたがそれだけ成長したという証です。
つまり、過去の記事を読み返すことは「記憶の定着の学び直し」か「自己成長の確認」かのどちらかに行き着きます。これ、どちらに転んでも良いですよね。何もデメリットがないのです。
こうした「過去の自分から改めて学ぶ」は継続しているからこそできることです。今まで書いたあなたの記事は、あなたのアウトプットの軌跡です。その軌跡は未来の自分に新しいヒントを与えてくれると思います。
1ヶ月前の自分と向き合う
「エビングハウスの忘却曲線」という言葉があります。記憶の定着と経過時間の関係です。時間が経てば経つほど人の記憶はどんどん忘れ去られていくというもの。
・20分後には42%忘れる
・1時間後には56%忘れる
・1日後には74%忘れる
・1週間後には77%忘れる
・1カ月後には79%忘れる
復習をしなかった場合は1ヶ月経つと約8割忘れてしまうということ。恐ろしい…。記憶の定着のためには定期的に復習を繰り返しおこなうことで忘却率が減少していきます。
これは、試験に向けた学習などでよく取り上げられる法則ですが、このnoteでも同じことが言えますね。自己成長も兼ねて日々記事と向き合っている方は特に、過去の自分の記事と向き合うことで、学びの定着につながりますね。
1カ月以上前に書いた記事は8割程度忘れていることになりますから客観的な視点で向き合えるということです。読み直し、改めてそのテーマで思考を巡らすことで自分の中にも記憶を定着させていく。これは非常に有効なのではないかと思います。その振り返ったという証として自分で自分の記事にスキをつけるというのも、有効な使い方なのかもしれません。
壁に当たってからが面白い
冒頭で「ビューもスキもつかない記事を毎日量産することになる」という厳しい現実を書いてしまいましたが、では楽しくなるのはいつからか?気になりますよね。
noteは創作活動を「続ける」フィールドです。続ける上で大切な期間が「インキュベートの法則」と呼ばれる21日間です。一般的にどんな習慣も21日続けば習慣化できると言われます。つまり、大体のことは3週間頑張って毎日続けば、習慣化し、そこからは恒常性が働き逆に続けないと気持ち悪くなるということです。この仕組みをうまく活用するのがよいです。
とはいえ21日間は結構な期間です。なかなか続かずに辞めてしまうケースも多いと思います。例えば、渾身の思いで書いた記事が注目されないことが続いた時に感じるのが「徒労感」です。
「あれだけがんばったのになぜ・・・」と落胆にも似た気持ちに押しつぶされそうになります。この徒労感に押しつぶされて、だいたいの人が創作をやめてしまいます。
でも、そこで是非踏ん張りましょう。なぜなら、面白くなってくるのはそれからだからです。
これはどんなスポーツも同じです。はじめからうまくできることには人は夢中になれません。「なぜできないんだろ?」がスタート地点。そこから「どうやったらうまく行くのかな?」と考え始めます。そこからそのスポーツの奥の深さを味わっていく。初めには見えてなかった世界が少しずつ見えていく。そこが面白いのです。
「うまくいかないな…→だからやめよ」ではなく「うまくいかないな…→ここから面白くなるぞ!」なのです。その過程で自分が成長していくのだと思います。大切なことは「工夫をする」ということ。そして「もがくプロセスを面白がる」マインドセットかなと思います。
「人との接点」をエネルギーに変える
継続して行くことで得られるのが「人との対話」の価値です。他のnoterさんとの出会いは刺激の塊です。素敵な記事だなと思ったらスキだけでなく、積極的にコメントを残していくことをおすすめします。
自分が書いた記事にコメントをもらえると嬉しくないですか?それがたった一言の短い言葉でもめちゃくちゃ嬉しいものです。自分がされて嬉しいことを、他のnoterさんにすることで、とても感謝されます。
そんなやり取りから、noteの中で「人」をとても近く感じられるようになります。noteという街の中に自分が大切にしている人が増えれば増えるほど、日々の創作活動にエネルギーが湧いてきます。
残念ながら世の中的には昨年からのコロナの危機が収束していません。密を避ける、外出自粛の環境下で、職場でも家族でもない第3の居場所としてnoteは非常に有意義な場所になってきています。
その第3の居場所で、自分を知ってくれている人がいる、誰かの役に立てていると思えることは精神衛生上非常にプラスになると思います。
この「人との接点をエネルギに変える」を一人でやるのではなく、相互のコミュニケーションの中で作って行きたいという思いから先日サークルを作りました。
こうしたコミュニティの中で交わされる会話は相手を思って届けられる体温をまとった言葉であり、互いの自己肯定感、自己効力感につながります。noteをより一層楽しむ上で、サークルという機能は使わない手はないと思います。
まとめ
今回はnote連続投稿400日をきっかけに、「継続」がもたらすものについて書きました。noteで創作活動を続けて行こうと思っている方向けの記事だったので、読む人を選ぶ内容だったかもしれません。「継続したからこそ得られたもの」ばかりですので、少しでも参考になれたらと思います。
noteを毎日書き続けて思うことは「自分は不完全である」ということ、そして「毎日常に変化する(無常)」ということです。調子の良いときもあれば悪いときもある。note事務局に紹介されることもあれば、渾身の記事がちっとも読まれないときもあります。上がったり下がったりしながら不完全な自分の人生を味わうという感覚を持てると良いのかなと思います。
そして、生きていれば毎日少なからず何か成長しているということ。世の中は日々変わっています。それに合わせて自分の心身も影響を受けて日々変わっている。常に同じではないという感覚を持ちながら、自分の小さな成長に気づいていくことが大切だと感じます。
私にとってnoteはこうした感覚を気づかせてくれる存在です。そして、そこには「人」がいるということです。たくさんのnoterさんに刺激をもらいながら日々このnoteという街で創作活動できていることに心から感謝します。
noteはオンラインのサービスです。そして目にするものは「記事」という読み物です。でもその奥には書き手という人がおり、自分の記事を読んでくれている読み手の人がいます。体温を持って人を感じられるということは、創作を続けていく上で大きなエネルギーになるのではないかと思います。
これからも、みなさんに少しでも役に立てる記事を綴って行きたいと思います。明日から401歩目を踏み出して行きますが、引き続きどうぞよろしくお願い致します。
毎日更新はつづけていきます。また明日の記事でお会いしましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
毎日1記事、コツコツ投稿しています。
スキ・コメント・フォローなど頂けますと有り難いです。
では、また明日の記事でお会いしましょう😊
【自己紹介】
noteのつづけ方のヒントまとめ(簡単な自己紹介と)
【参考記事】
「noteのつづけかた」 マガジン