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マインドフルネスを通して気づいた「記念日反応」:大切な人を亡くしたあなたに

2022年4月より成人年齢が20歳から18歳に変わって、初めての成人の日の祝日がありましたね。新成人の皆様、おめでとうございます!

この記事にお立ち寄りいただきありがとうございます。
今日のnoteには、昨年のグリーフ専門士としての学びの目線から、私個人が、今体験していることを書いています。母との死別にまつわる私の今を書いたもので、重たい内容の可能性があります。ご興味のある方のみ、お読みいただければ幸いです。

もしよければ、一般社団法人日本グリーフ専門士協会(公式)協会ブログと合わせて、ご覧ください。協会では、死別を経験された方が、お互いの気持ちをわかちあうための集まり、こころとからだが少しでも楽になれるよう安全な場として「わかちあいの会」(参加無料)をオンラインで開催されています。若い方向け/10代〜20代で死別を経験した方向けの「わかちあいの会」もあります。



今の私といえば・・・

2022という数字が、2023に置き換えられた瞬間から、年賀状、年始のご挨拶を互いに交わし、2023年という未来に向け、巷の情報では、楽観的・悲観的なもの双方含め、あらゆる側面から、新年に向けての予測、予告、予言、占いなどを目にする機会も増え、手帳もスケジュール帳も、カレンダーも日記も新しくなって、一見したら、世界中の誰もが「心機一転!」のはずなのに、

ますます厳しくなる寒さで、屋外に出るのが億劫になり、一人、家で自分の先行きを色々と思考し向き合えば、大きな明るい希望を抱けば抱くほど、まるで自分の何か古傷が痛むように、その裏返しの不安や怖れも大きくなってくる・・・。

コロナ禍とほぼ同時期にスタートした日本での生活、ここ二年、まだ新年が始まって2週間だというのに、頭から全身を鈍器で殴られたようでぼんやりして、心ここにあらず、気持ちがどんよりして、できることなら、何もせず、ただただこの一番のお気に入りのフワフワのパジャマに包まれたまま、ゴロゴロしていたい、冬眠していたい・・・。今年になったら絶対スタートしよう、隙間時間にオンライン学習しようと思って購入したUdemyコースの動画もまだ見られていない。必要最低限のメールやLINEを1日数件送るのがやっと。

平日の昼間から、ゴロゴロ~ゴロゴロ~
ずん飯尾和樹のネタ ゴロゴロ(現実逃避)シリーズ

これって何なんだろう・・・。

海外での18年間では、"国民全体が陥る"というクリスマス明けの"燃え尽き症候群"は、在留邦人の私にはやっぱりどこか他人事でした。年始1月のメディアは、New Year Resolution特集、クリスマスディナー明けの正月太り痩せ特集などの言葉で溢れ、バレンタインのハートマークとイースターの卵とヒヨコちゃんたちが店頭に並ぶ季節商戦が始まる中、1月2日から夫は出社、妻・母として、忙しい家族との目の前の日常をやりこなしていく、また、リモート・在宅で遠い日本への仕事(マーケティング職)をこなすことに必死だったのかもしれません。はたまた、長年毎年、長い冬の日照時間の短さを愚痴りながら、いつの間にか慣れていたのかもしれません。
ここまで、には感じたことなかった、この日本という土地での1月の停滞した鬱屈した気分、心の奥底の方ではどこか焦りを感じる気持ちの正体・・・。

そこから、東南アジアに引っ越しましたが、太陽暦よりも旧暦の春節のお祝いが盛んな国でもあり、それ以来、「新年、一年の始まり、新たな運気が変わるのは、カレンダーの1月ではなく、立春という、もしく春節(旧正月)とも言えるから」と、何だか先延ばしにしてしまう言い訳ができました。
日本にいる今は、新しいことだけでなく、年末普通にできていたことすら、できなくなってしまった、1月のスロースタート、低空飛行どころではなく離陸もできていません。

でも、今朝、ふと初めて気づいたのです。

これは、どうやら、昨年、日本グリーフ専門士協会のグリーフケアスクールの学びを通して、初めて知った「記念日反応」がひとつの要因ではないかと。

記念日(命日)反応とは
大切な人や身近な人が亡くなった後、故人を想起させるような特別な日を前後して、病的な原因があるわけではないのに身体や心に不調が生じてくることがあります。
命日や年末年始、クリスマス、結婚記念日や誕生日、父の日母の日など……。
疲れやすくなったり、注意力が散漫になったり、時には自分ではコントロールしがたい感情の波に襲われることがあるかもしれません。故人の痛んでいた部位が痛くなったり、アレルギーの反応が強くなるなど身体になにかしらの症状がでる場合もあるようです。
大きな出来事を経験した者、誰にでも起きうる自然な反応の一つで、死別からある程度時間が経っていても起こり得ます。

特に記念日ということでなくても、たとえば桜や紅葉など季節を象徴するものは思い出と直結しやすく、その時期になるとどうしてか気分が落ち込んでしまうなんてことも。
そしてもうすぐお盆を迎えるという地域も多いかと思いますが、亡くなった人とのつながりを意識するこの時期もまた、記念日反応が起きやすいと言えるかもしれません。

一般社団法人日本グリーフ専門士協会公式ブログより

実は、同じこの1月から、ご縁があって、元・博報堂の白井剛司 講師(人材開発・組織支援コンサルタント/講師・ファシリテーター)によるMBSR(マインドフルネスストレス低減法)8週間コースに参加し始め、毎日、その時その時の身体の感覚と静かに向き合う瞑想・ボディスキャンの練習をしている最中なのですが、今朝は朝食を取る食欲もなく、朝の45分の瞑想を終えた後、「なぜか左脇腹の溝落ちの奥を鈍器でつかれたような重い感覚を得ている」・・・と、気づきをノートに手書きしていた瞬間、急に、この場面が横並びで私の頭をよぎりました。

"30余年前、当時はまだ1月15日だった成人の日、成人式を迎えるはずだった私は、11月中旬、突如、背中の痛みを訴え体調を崩した母が、それでも、あちこちの病院や東洋医学の治療院で診てもらっても病名のわからない母が、内心気がかりで、年末年始は確かに家で一緒に過ごしたはず(記憶が消えている)だが、きっと成人式どころではなかった(のだと思う)。2月初めに、ようやく親族の紹介で入院・検査してもらった大学病院で、すでに手の施しようのない癌が発見されたが、父から、子である私達に病名・余命を告げられたのは亡くなる1ヶ月前、4月。余命を告げられたからこそ、改めて父が私たち姉弟に言った。「振袖を着てお母さんに見せに、会いに行きなさい」

弟の運転で、全ての事情を自分の心に押し込めて写真室に行き、母が私に内緒で姑である祖母に頼んで、大金をかけて仕立ててくれていた振袖に初めて袖を通し、一人で無理やりカメラマンの前で笑顔を作った記念写真を撮ったその足で、4月のぼんやりとした日差しの差し込む、母の病室へ。好奇と哀れみの視線(と当時は見えた)を受けた廊下を通り過ぎて、眠ってばかりいることも増えた母の病室の枕元に見せに行った。"

また、ちょうどこの週末、突然、弟からLINEに送られてきたのは、
”母の妹、70代後半の叔母が、昨年11月下旬にクモ膜下出血で倒れて救急車で運ばれ、長時間の手術を乗り越えたが、対コロナウィルスの病院の方針もあって、3ヶ月近く直接会えていないという、涙まじりの報せが書かれた、遠方にいる叔父からの年賀状の画像。
幸い、叔母は回復に向かっており、リハビリも経て、自分の足で歩けるまでに回復しているらしい ー 母の最期、私と一緒にずっと病院に付き添ってくれていた、生前の母に一番似ている大切な叔母。”

思い当たると、その叔母の知らせを受け取ったこの土曜日も、ボディスキャン(瞑想)の練習後、頭の中はかなりスッキリした気がしたけれど、痛みと呼ぶには到底及ばない感覚でありながら、なぜか一日中、肋骨の奥・溝落ちの左脇腹を殴られたような切ない感覚が続いて、外出の買い物の最中もボーッとしていました。

今朝になって、そういえば「溝落ちの奥の左脇腹」って何なんだろうとふと調べてみて、ハッとしました。
それは、まさに母の末期癌が発見された臓器のある場所だったのです。



人間の記憶というのは、不正確であてにならないものであると思います。

忘れてしまったこともたくさんあります。随分と長い年月、大切な人やその人に対する哀しみを忘れてしまうことも、どこか「罪」だと思っていたこともありました。

反応や認知というのは、本当に人それぞれであって(自分も含め⇨ ここ大事)そこに正しい・正しくないという『ジャッジはしない』ー そんな自分の在り方になってきました。

あの成人式の1月から30余年経った、今の私であれば、自分の身体感覚がどんな心の動きから生じているか自己発見できれば、それをどう扱うか、どうアプローチすればよいか、少しでも自分が安心感や心地よさに繋がるところまで、ようやく辿り着けたような気もします。私にとっては、マインドフルネスは、そのプロセスに繋がる時間です。
(補記:母と同じ病気になるのではないかという怖れは、今ここに書き出してみても、私の中にはありません)

私の家族、多くの友人、前述した、グリーフケアスクール 井手 敏郎講師をはじめ講師の方々やお仲間の皆様、現在、マインドフルネスやボディスキャン瞑想を伝えてくれている白井剛司師との再会に、感謝しています。

気づけば、20代から、大勢の方々、経験、心理学・精神医学・脳科学・哲学・人類学・社会学などの本で出会った言葉に助けられ、その時の私なりに思考を巡らせ、時に自分の感情に向かい合い、生きながらに自己発見とインナーチャイルドを癒す旅を続けてきました。成人としての成長というよりも、現世での魂の成長そのものではないかと思う時があります。魂の成長には終わりはなく、それはこれからも続いていきます。


私の体験を読んでくださった方、ありがとうございます🍀 
ここまで書き進めましたら、いつの間にか、左溝落ちの重苦しさが軽くなり、少しだけお腹が空いてきました。
聴いてくださり、ありがとうございました。

日常生活、私達の「身体」というのは、この世に生まれた瞬間から、昼夜問わず、五感(人によっては第六感も)を無意識にフル稼働させて、自覚を遥かに超える多くの情報を受け取り処理し、今日までの私達の命を守ってくれるために、どれだけの認知と反応と選択を繰り返してきてくれたのだろうと、つくづく思い知らされます。

自然、刻一刻と移り変わる景色の移り変わり、天候、温度・湿度の移り変わりに加え、80年以上、150年近く続いてきた、この消費・経済社会では、自分からフォーカスを合わせなくとも、それぞれの社会の文化・習慣に合わせた、年末年始、クリスマス、結婚記念日や誕生日、父の日・母の日など、それにまつわるありとあらゆる情報 ー こうした、人間が創り出した膨大な量の情報が、目を瞑っている時間以外は、常に私たちの周りを取り巻いています。日本の都市部で生活していればなおさら、起きてから眠るまでの間に、意識しなければ、人間の手のほどこしのない「自然」を一切見ることもなく、一日を終えることも多いでしょう。

苫米地英人(著)『残り97%の脳の使い方』(フォレスト出版)

何が真実で何が偽物なのかわからない情報が日々錯綜し加速する社会で、私達は、これまで以上に、一人一人が自分自身に対して意図的にもっともっと優しく向き合うことしか、幸せに生きる術はないのではないかと、そして、ひいてはそれこそが、周りの人々への優しさや平和な社会につながっていくのではないかと思うこの2023年1月です。

これまでは、自分の外側に見えている現実 ー 問題、人の感情、情報ー をスポンジのように吸収し、自分のストレスはなおざりにしつつ、最速で思考を巡らせて生きることの方が強く正しいとされてきた時代だったのかもしれないけれど、

そして、問題解決の姿勢や、不安や怖れというのは、きっとその時代で日々を生き抜くためのサバイバル・生存には欠かせない、私たちを守ってくれてきたものなのかもしれないけれど、

今ここからは、その瞬間瞬間、自分にもっと優しい自分を。

年末年始は楽しいイベントも増え、通常の月以上に忙しく誰かのために忙しくなく動いていた方、働いていた方、お疲れの出ている方もたくさんいらっしゃると思います。

受験シーズンで、4月からの新生活の未来がかかっていると、ずっと分刻みのスケジュール、臨戦体制でご自分を律してきた学生の皆さん、新成人の皆様もたくさんいらっしゃると思います。

1日5分でも、どうかご自分に優しい眼差しを。
お身体をあたためてお過ごしください。ご自愛ください。
進む方向の羅針盤はいつも、私たち自身の中にあるから。



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