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2024年2月の記事一覧
わける、はかる、わかる
本記事に収録した「同一視する「自由」、同一視する「不自由」」と「「鏡・時計・文字」という迷路」は、それぞれ加筆をして「鏡、時計、文字」というタイトルで新たな記事にしました。この二つの文章は以下のリンク先でお読みください。ご面倒をおかけします。申し訳ありません。(2024/02/27記)
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今回の記事は、十部構成です。それぞれの文章は独立したものです。
どの文章も愛着のあるも
長いトンネルを抜けると記号の国であった。(連想で読む・02)
「「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」(連想で読む・01)」の続きです。
連想を綴る この三文は私にいろいろな連想をさせ、さまざまな記憶を呼びさましてくれます。
・「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
約物である句点も入れると二十一文字のセンテンスをめぐっての連想を、前回は書き綴りました。
今回は、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号
音の名前、文字の名前、捨てられた名前たち
今回は、名前を付ける行為について、私の思うことをお話しします。最後に掌編小説も載せます。
◆音の名前
ウラジーミル・ナボコフは、Lに誘惑され取り憑かれた人のように感じられます。Lolita という名前より、Lに取り憑かれている気がします。あの小説の冒頭のように、 l をばらばらしているからです。
つまり、Lolita を解(ほど)き、ばらばらにするのです。名前を身体の比喩と見なすとすれば
VRで自分に会いにいったその帰りに
写真機では長いあいだ自分を撮ることができなかったそうです。簡単に撮れなかったというべきかもしれません。それがいまではできます。スマホのカメラで可能ですが、簡単というわけではないでしょう。誰もがけっこう苦労して撮っています。
いろいろテクニカルな問題があって苦労なさるのでしょうが、「こんなはずじゃない」とか「私はこんなふうじゃない」という不満が根っこにあって、スマホに付いているレンズを恨みつつ