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私の推しが解散を迎える時
今日、1組のK-POPアイドルグループが解散をする。
彼らのグループ名は「NU’EST」(ニューイースト)
BTSが旋風を巻き起こす中、日本で彼らの名前を知っている人はK-POPファンでも一部かもしれない。
しかし、彼らは今をときめくK-POP界において唯一無二のストーリーを描き、大きな爪痕を残したグループなのである。
そのNU’ESTの解散を受け改めてK-POPアイドルを推すことについて
家事・育児・ワーママ・妻…14年何とか頑張ってきた先に待ち受けていたコロナ禍―不安と孤独を感じた時に私に必要だったもの―【私と気軽に話しませんか?】
母になって14年。2人の子供を育てながらのワーママ歴13年。
妊娠をしたその時から、死に物狂いで手に入れたたくさんのことを諦め、当初私ができたのは「母」と「会社員」の名札を守ることだけ。
大恋愛の末結婚した初恋の夫とは子供が生まれた瞬間からすれ違い、今では会話すらままならない。
母になって失ったものは多い。
それでも必死に子供を育て、多少子供に手がかからなくなった社会人15年目で挑戦した人
同じ町で助け合っていくことの大切さを教えてくれたおばちゃんとの出会い
東京の大学を卒業し、25歳で結婚した私。
翌年には子宝にも恵まれ、結婚生活と子育ての新生活が始まった。
出産ギリギリまで働いていた私は、プレママ期にママ友を作ることもその時間もチャンスもなかった。育児書を読めば大丈夫だろうと母親学級すらすっぽかしたと記憶している。
さらに初産で里帰り出産。おまけに長女は肺気胸で生まれてきたためNICUに入院。
私の入院生活は産科ではなく、帝王切開待ちの妊婦さん
人事異動で通勤時間が20分長くなったので15年勤めた会社を転職した話
私は3学年差の姉妹の母親です。
下の娘が小学校にあがる直前、急な人事異動を言い渡されました。
異動先は、現配属先より通勤時間が20~30分程多くかかる事業所。
いわゆる「小1の壁」は長女で経験済&なんとか克服し、下の子の進級時は小4になる長女の力も借りてなんとかなるとふんでいました。
なので「下の子も小学校にあがり、ようやくゆとりが出来きそう」といったところでの辞令。まさに青天の霹靂でした。
育児から学んだ女性チームのマネジメントとそれを崩壊させたセクハラの話
最初に、これはセクハラの話ですが楽しく読んでいただけると幸いです。
相方みわさんの前回note
味がしない中華丼と、少しだけ成長した自分の話
の中にあった
「一生懸命取り組んでも、うまくいかないことは往々にしてある。」
という一文で私にも思い起こしたことがあった。
私は、前職では社歴も長かったため、ワーママになってからもチームリーダーを任されることが多かった。
こんなメンバーでチームだった
私の働き方と生き方は誰がどうやって決めたんだろう
先日、会社のディスカッションでインターン生から
「40歳、50歳ってなると女性は転職諦めたり新しいことを始めるの難しかったりするじゃないですか」
という意見が出て、かなり衝撃だった。
30代後半の私でも、「今の時代やりたいことはいくつからでも始められる!」というセオリーはなんとなくあって、下の世代はもっとそうなんだとばかり思っていたら、今この時点から社会に出ようとする学生さんにそういうものが染み
良妻賢母の私が爆音を浴びてクラブ遊びしている話。
私は30代後半の女性で13年お母さんをやっています。
私にはずっと感じてきたことがあります。
「お母さんは、子供をほったらかして遊んではならない」
という日本に蔓延している空気です。
私は子供を愛しているし、母親業をかなりまじめにやってきました。
基本的な衣食住はもちろん、体調を崩さないためのプラスαのケアや、思い出作りまで、常に子供の健康と幸せを願って子供優先の生活をしています。
復職し
結婚してもいくつになっても恋は始められるもの?
25歳で結婚した私はすでに結婚生活を10年以上続けているわけだが、数年前から恋がしたくてたまらない。
小1の時、隣の席になった子を好きになった初恋を皮切りに、クラス替えの度に好きな子が出来た。5年生で先輩を好きになるという甘酸っぱい恋も経験したし、中学校では死ぬほど好きになった男の子が自分の親友といい感じに距離を詰めていくのを双方から聞き、そんな中でも自分と結ばれなくても彼の幸せを一番に願い2人
産後うつなんて便利な言葉があったのか
私が「産後うつ」という言葉を知ったのは、初産から4年後、すでに2人目を出産し1年以上が経ってからでした。
産後うつ病とは、分娩後の数週間、ときに数カ月後まで続く極度の悲しみや、それに伴う心理的障害が起きている状態をいいます。
https://www.shinsei-kouseikai.com/column/sango_utsu.html
振り返れば私は完全に初産のあと「産後うつ」でした。自信を
30代後半になるのが怖くて眠れない日々を過ごした34歳の頃の話。
34歳の時、眠れない夜が続いたことがありました。
理由は、35歳まであと1年だと思ったから。
その時の私は、35を超えることは女盛りが終わり、いよいよ中年世代へ足を踏み入れ、そのうち誰も相手にしてくれなくなる気さえしていたのです。
それまでそんな事を考えたことは一切なく、それは突然襲われた感情でした。年齢の数字が増えることが、どういうマイナスになるのかはハッキリとは分からないけど、急にそんな思