私の推しが解散を迎える時
今日、1組のK-POPアイドルグループが解散をする。
彼らのグループ名は「NU’EST」(ニューイースト)
BTSが旋風を巻き起こす中、日本で彼らの名前を知っている人はK-POPファンでも一部かもしれない。
しかし、彼らは今をときめくK-POP界において唯一無二のストーリーを描き、大きな爪痕を残したグループなのである。
そのNU’ESTの解散を受け改めてK-POPアイドルを推すことについて考えた。
引用:https://twitter.com/unspoken_love_
彼らは2012年にデビューし、K-POPでは鬼門と言われる7年目の契約更新の壁を乗り越え、今年10年目にしてピリオドを迎える。
彼らが陽の目を見るまでにかかった時間は7年。
7年といえば、小1が中1になる時間だし、彼らにしてみれば10代~20代にかけて青春時代の7年である。人生の大半と言って良いだろう。
これはK-POPにおいて歴代最長と言われている。
彼らの転機となったのはNU’ESTデビュー6年目の2017年。
グループの再起をかけ「プロデュース101シーズン2」にアロンを除く4人で出演し、再デビューを目指した。
(※韓国のサバイバルオーディション番組「プロデュース101シーズン」についてはウィキを。この番組から誕生する期間限定アイドルは世界的人気を博し、まさに彼らが参加したシーズン2から誕生したWannaOne(ワナワン)は当時BTSと双璧をなすスターグループとなりました。)
本人達にとっては最後のチャンスだったこの番組を通じて、彼らを知った人は多かったと思う。
さらに、当初(ルール上問題はないが番組のコンセプトのために)デビュー済アイドルの挑戦は非難を浴びた。
しかし、結果的に4人の人柄を含む魅力は視聴者から大きく支持を得て、その後の「サバイバル番組=陽の目を見ないアイドルの再デビューのチャンスにもなる」という基盤を作り上げた。
放送後は、見事ワナワンメンバーとなり再デビューを果たしたミニョンはもちろん、残った4人が期間限定でNU'EST W (Wは“ミニョンを待つ”のWをつけ足している) を名乗り発表した楽曲は全て絶大な人気を集めた。
彼らは2つのルートで華々しくリスタートできたのである。
※↓詳細はKstyleさんが最近記事出してたので貼っときます※
1年半後のワナワン解散後、ミニョンがNU’EST戻り完全体となった後も、美しいビジュアルとあたたかな人柄、それまで知られていなかった圧倒的かつ唯一無二の作曲スキルで、NU’ESTはナムドルながら安定した音源成績で人気グループとして君臨することになる。
※このBETBETのMV。曲が終わった後に、長い時間(ワナワンの活動)から目覚めたミニョンが4人のもとへ戻っていくというストーリーがバカエモい映像で表現されています。ぜひ見てください。
その長い下積みと苦しい経験からか、彼らは小さな幸せを見つけるのが得意だ。
例えば番組の企画であっても、一緒に過ごせること、一緒に同じ景色を見れること、誰もいない路地裏をフラフラと歩く時間さえ5人なら幸せだとにこやかに呟く。
そして、彼らは"無名時期""暗い時期"と言われたその時間さえ『5人で悲しめることすら幸せだ』と言っていたグループなのだ。
何より、厳しい競争社会に身を置きながら、全員が驚くほど優しく穏やかな性格である。
JRはサバイバル番組でありながらその利他の精神と聖人ぶりでプデュでは長く国民投票1位の練習生に君臨した。ベクホはプデュ出演に際し「誰かと争おうと思ったことがないんです。」といって涙ぐんだ。
ミニョンも美麗でクールなビジュアルに反して、控えめで真面目で礼儀正しい青年だ。
アロンはLA育ちの秀才で、気立てがよく優しくスマート。
レンも愛らしいキャラだが穏やかな性格で知られている。
彼らほど仲の良さがあたたかく、大らかで平和なグループはいないだろう。
しかも米国国籍のアーロン(28歳)を除けば4人はまだ26歳。
プデュ出演という茨の道を経て今手にした人気、韓国で活動継続の砦となる音源の実績も残しており、作詞作曲もこなす彼らの曲は、似たような音楽が溢れるK-POP界でも唯一無二の彩を持つ。
また、私は彼らに魅力され、バンコクまでステージを見にいったことがあるのだが、
4組の男性グループによる合同コンサートで彼らが受ける声援は桁違いだったし、ステージでの姿は堂々としておりどのグループよりも圧巻で輝きを放っていた。
プデュ、ワナワンの活動を経てイロモノではなく彼らがすでに世界的スターダムを駆け上がったことを証明するには十分な空気がそこにはあった。
このように、多方面で考えてもまだまだ第一線で活躍できるグループであることは間違いないと言えるだろう。
それでも今解散する理由は何だろうか。
彼らは16(18)歳の若さでデビューしている。イル活(日本での活動)時期も長いため日本語も完璧、日本でドラマも制作したりと、当初の活動を考えただけでも彼らがアイドル活動のために費やした時間と努力は膨大だろう。
K-POPに限らず10代半ばで芸能界に入るということは、練習時代も含めると自分が何者で何ができるのか自我を確立する前から世間に評価され批判される世界で生きてきたということ。
彼らも私たちと同じように人生の歩みの中で、自分のアイデンティティと未来像に向き合うはず。
そして、自分という人間の価値を総体的に見るチャンスを得ずにアイドルだけをしてきたのであれば、逆にデビューが早いほど、無限の未来が待つ青年たちが違う道を模索するのは当然のことだ。
私は少し前まで、短命と言われるK-POPであっても、若くデビューすればその分兵役までの時間があるわけだし、より長く活動できるものだと思っていた。
私はただの素人だが、昨今のK-POPのデビュー組を見ても、業界全体にその流れがあることも否めない。
しかし今回のNU’ESTの解散で、きっとそれは違うのだと気付かされた。
彼らを彼らの人生グラフの視点から見れば、あの国で10年アイドルをやったことは次のステップを考えるには十分なキャリアなのかもしれないと。
さらに、K-POPアイドルにとって一番の問題「契約」も大きく関わっていると思われる。
今K-POP界はデビュー年齢の低年齢化が爆進中だ。
コロナ前、01、02lineに驚愕していたが、今や04、05lineメンバーも主流になりつつある。
その背景には、BTSの活躍とサバイバル番組のさらなる台頭、コロナ禍を経てK-POPの世界人気が全体的に加速したことがあると思われるが、
その人気に乗じてか、これまでいくらグループが育っても兵役で遮断されてしまってきた人気基盤をデビューを早めることで少しでも長く収益化しようという各事務所の戦略が大いに見え隠れする。
兵役がネックとなってきた韓国のアイドル産業にとっては、とって然るべき戦略である。
しかし、前述の通り、人の心はそうシンプルではない。憧れのアイドルという職業になったとしても、人が成長や経験の過程で、自分のアイデンティティと未来像に向き合わないということは絶対にないのだ。
我々に置き換えてみれば、入社の際に「どんなに辛くても嫌な仕事でも7年間は辞められません。辞めたら莫大な違約金を支払ってもらいます。」
と突き付けられたらどうだろうか。そんな会社には恐ろしくて入れないし、生きていること自体に疑問を持って病んでしまう気しかしない。
また、韓国特有のプライドの問題もあると思う。(一度スターになった後に一般人として生きるのは日本よりも辛い道だろうとは想像がつく。今の韓国の就職・就労環境を考えたら、足場を失えば収入ゼロにもなりかねない若い芸能人が数年に及ぶ年数縛りの契約に慎重になるのは理解できる。)
アイドルの将来像が日本よりも遥かに不確かな韓国で、将来を見据えて軌道修正するのは当たり前のことなのかもしれない。
引用:https://www.nuestjapan.com/
NU’ESTは10年のキャリアだが、年齢的にはまだ十分若い。
しかも、唯一無二のストーリーでK-POPアイドルの生きる道を示してくれたただ一つのグループだ。
そんなNU’ESTだからこそ、今回彼らが選んだ選択は、K-POP界が単純に早いうちからデビューさせればいいというわけではないこと、今のしくみではそう簡単にいく話ではないことを逆に知らしめたように思うのだ。
突然だが、私はK-POPアイドルがどうしようもないくらい好きである。
16年前、この世界を知ってから、彼・彼女らが思うままにステージに立ち、長い下積みの努力がステージで輝きとなって報われててほしいといつも心から願ってきた。
さらに願わくば、ファン達の安心する姿と活動で、ずっと同じようにステージやイベントで会えることを望んでいる。
しかし、いつの頃からかそれに「永遠」という言葉を付けるのは憚れるようになっていた。
長くK-POPアイドルでいることは難しい。
幾度も別れを経験し、そのたび胸を痛めてきたが、逆に彼らにとって韓国という国でずっとアイドルでいることが幸せなのかは16年K-POPを追い続けてきてもなお、私にはわからない。
当然、彼らの本音を私には知る由もないし、また事務所や本人が積極的にそれを語ることもないからだ。
突然の脱退や解散に直面するにつけ、なんとなく理解できているようで、実際は日本人ではわからない特有の何かが多々あるのだろうと、毎回言い聞かせることしかできなかった。
今はその衝撃にだいぶ慣れてしまったが、私が日本のファンである限り、彼らは似ているようで全く文化の異なる「私たちとは違う国でアイドルと言う職業を選んだ人たち」ということを忘れてはならないということだけは常に心に留めている。
引用:https://twitter.com/unspoken_love_
K-POPアイドルは儚い。
しかし、その儚さゆえ人々が熱狂するのもまた事実だ。
彼らは長い間鍛錬を重ね、世界でも類を見ない高度なパフォーマンスを私たちに見せてくれる。
その刹那の輝きに魅せられたいがために、世界中のファンが彼らのステージを追い求めて集まってくる。
磨きがかかった完成度の高いパフォーマンスは、まるで花火のようにうたかたのごとく、陽炎のごとく、一瞬の煌めきを私たちの心に残す。
引用:https://www.youtube.com/watch?v=4Lm9u-iXrDc
私たちは、彼らの選択を責めてはいけない。
彼らは、幼い頃から十分すぎる努力と膨大な時間をかけ、私たちに夢のような時間をプレゼントしてくれた。
だから、彼らがアイドルという職業を駆け抜け、走り切ったと感じたその終わりの時を、きっと私たちは拍手で共に喜ぶべきなのだ。
拍手のあとはとてつもない寂しさと切なさに襲われてしまうだろう。
その時間は長くて辛いだろう。
愛が大きいあまり、別れから立ち直れないまま、推しとの思い出が辛いものになってしまうファンも多い。
ただそれは、K-POPを長く追っていると慣れてしまうのも事実だ。
この瞬間は永遠ではないし、いずれ終わりが来ることもわかってくる。
それでも、K-POPを愛し推すことを辞められないからこそ、
私たちはその一瞬の煌めきを見逃さないように、彼らと伴奏してともに駆け抜けるしかないのだ。
今回のNU’ESTの解散は、16年間K-POPを追ってきた私に、ある意味新しい気付きを与えてくれた。
デビューした年齢や、入隊だけがタイムリミットではないこと、彼らも私たちと同じように自分の人生を迷いながら進むいち青年であり、それは当然だという当たり前のことを改めて教えてくれた。
前述でも少し触れたとおり、コロナ前、私は当時日本での活動が難しかったNU’ESTにどうしても会いたくて、生のパフォーマンスをどうしてもこの目で見たくて、タイのバンコクまで行った。
※こちらはわたくしがマジで撮影している動画です。
初めて見たNU’ESTのステージは、あまりにもキラキラしていて、なのになぜかそれがどうしようもなく切なくて、震えながら彼らのステージを見ていた。
また、コロナ前は年間100ステージくらいK-POPのステージを見ていたが、その中で一番心に残っているのがNU’ESTのこのステージだ。
これはサブステだったため、私はバックから見ることになったが、それでも一番心に残っている。
彼らのステージは、派手さはないけど美しい。
それは、彼らがプデュでどれだけこのステージを切望していたか、
このためにプライドを捨て、恥を晒し、さらには世界中から受けるバッシングを覚悟しながらそれでも切望していたステージだからだ。
パフォーマンスの完成度はもとより、ここには彼らの十数年に及ぶ切実な思いがある。だから私の心は震える。その美しさを忘れられないのだ。
それに異国のファン達の掛け声が驚くほど揃っていて、とにかく大きくて、世界中のファンがNU’ESTを愛してるのが伝わってきた。本当に愛されているグループだとこの動画を見返す度に実感する。
また、そのタイではコンサートのほかハイタッチ会に参加したのだが、(ハイタッチの相手を4グループから選べた。当時たまたま他の本命のグループがいたがそれを蹴ってNU’ESTを選んだぐらいです)
私が日本人だと分かると、日本語で対応してくれたベクホにミニョン。
あの時の流暢な日本語に、プデュで人気が出る前の彼らの積み重なる努力が見え隠れして、大きな感動と感謝が溢れ出したと同時に、少し胸が痛んだ。
K-POPアイドルは刹那の瞬間のために、あまりにも膨大な時間をかけて地道な努力を重ねるのだと。
だから、そんな彼らの将来への選択が適当であるはずがない。
正直、これに関しても本当のことはどうでもいい。
どうでもいいというと語弊があるが、彼らが魅せてくれたK-POPアイドルへの真摯な姿が私にとっての彼らの全てだから。
これは決して盲目ということではなく、その姿でしか私たちは彼らを推しはかることしかできないではないか。
厳しい世界で切実に生きてきた彼らの選択は、どういう形であれ受け入れるしかないのだ。
私は今、とてつもない寂しさと切なさに襲われている。
全世界のラブ達(NU’ESTのファン名)もそうであろう。
しかし、これだけは言いたい。
特に推しの解散や別れで傷付いた人に声を大にして言いたい。
16年K-POPをニュートラルに愛してきた私だからこそ言いたいことなのでどうか聞いてください。
NU’ESTは、私たちに一生忘れられない思い出と、いつでも思い出せる「彼らを好きだった時のあの特別で尊い感情」で間違いなく私たちの人生を豊かにしてくれるはず。
彼らを追っていた時間を思い出す時、またいつでもその頃と同じように大きな感動とときめきに包まれることができる。
その時一緒に追っていた仲間がいれば、その仲間との時間だって思い出せる。私の人生には一緒に感動や感情を分かち合った友がいたということを。
彼らを思い出す時、それは私の人生が美しかったことの証拠なのだ。
現時点で、私はすでに何十人、何グループもの推しとの別れや解散を経験している。
それでも、今どの推しのことを考えても、彼らを好きになってよかったとしか思わないし、思い出す度に幸せも悲しさも、当時感じた色んな感情に包まれて私の人生は間違いなく色めき立つ。
彼らが私の人生に彩を与えてくれていることを実感する。
NU’ESTの歴史は今日幕を閉じる。
だけど、私たちファンは一生彼らとの大切な時間を抱えて生きていけるのだ。
だから私はNU’ESTと出会えたことにずっとずっと感謝したい。
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