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北村紗衣の「そっくりさん」案件 : 『映画秘宝』DM事件を検討する。

武蔵大学の教授」で「映画評論家」である北村紗衣の周辺を洗っていたところ(というのは、刑事ドラマ的な言い回し)、「Wikipedia」の「映画秘宝」の項目に、興味深い記述を見つけた。

『映画秘宝』とは、個性派映画雑誌のことで、私もその存在は知っていたが、いささか「おチャラけた」その感じが私の好みではなかったので、読んだことはなかった。と言うか、興味がなかった。
やはり、私の好みは「硬派」で、真正面からガンガンいく方が、歯応えがあって面白い。まあ、そういう批評というのは、どんなジャンルでもどんどん減っているので、日頃から「ここもダメ、あそこもダメ」と「愛のあるダメ出し」ばかりしているのだが、こうした「偽善的ぬるま湯化」の流れが変わることはなさそうだ。

ま、それはさておき、どちらかと言えば「軟派」で、おチャラけた感じがウリの『映画秘宝』誌とは、次のような雑誌である。

『映画秘宝』(えいがひほう)は、秘宝新社が発行する映画雑誌。毎月21日発売。本誌は1995年に洋泉社で発行するムックでスタート、1999年に隔月刊の映画雑誌となり、2002年に月刊誌となった。

同誌は「映画を見るよりも、ライターたちのその映画についての文章のほうが面白い」と、継続的に映画マニアの人気を集めている。 また、創刊者の一人である町山智浩が携わった『映画宝島』(宝島社)から流れて来たライターも多く、他の映画雑誌にはない切り口でB級映画やお色気映画、ハリウッドの失敗大作などを紹介しており、「中学生男子」感覚を爆発させた編集方針が売りである。

さらに、上映イベント(東京国際ファンタスティック映画祭内の一企画として毎年企画された「映画秘宝まつり」など)や、新宿ロフトプラスワンでのトークイベントなどを行っている。』

私が「おチャラけた」感じというのは、ここで言う『「中学生男子」感覚』というやつのことだ。
まあ、私の場合は、子供の頃から、あんまり「おチャラける」方ではなかったが、高校生の頃にはすでに、一見ふざけているかのような時は、基本「内心で腹を立て、挑発している」という感じになってしまった。まったく困ったものである。

さて、私のおチャラけはこのくらいにして、本題に入ろう。

問題は、「Wikipedia」の「映画秘宝」の「歴史」の項目にある、次の「編集長・岩田和明の恫喝DM問題」の部分だ。

編集長・岩田和明の恫喝DM問題
2021年、編集長(当時)の岩田和明が公式Twitterアカウントを通じて、批判的な発言をした一部のアカウントに対し恫喝的なダイレクトメッセージ(DM)を送っていた事が判明した[8][9][10]

発端は2021年1月5日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』に岩田と編集部の岡本敦史が出演し、別冊号「決定版 韓国映画究極ガイド」や韓国映画について語ったところ、女性リスナーが17日に(その女性リスナーの勘違いで)「女性ゲストが出ると思ったら男性しかいなかった」、同誌にホモソーシャル的なノリがある「あの雑誌まわりが全部苦手で、勝手に幻滅している」「アトロク(うたまるさん)とか映画秘宝とかは“俺たちのー!”とか“ポンコツ”とかそう言うノリがしんどーい」「私は映画秘宝全然読んでなくてあんまりいいイメージなくて」「男性執筆陣ばっかの本も買いたくねーな」「純粋な悪口です」と批判するツイートを行ったもので、この女性に対しDMで「私は、『俺たちの〜』も『ポンコツ』も、いちども言ったことがありません。」「胸が締め付けられるほど苦しい」「死にたい」等の内容の文章を送った物である[8]

受け取った女性がこのDMの内容を「死にたくなるってこっちに訴えてくるの驚きのセンシティブさで、これわざわざ検索して見てその相手にDMしてくんのヤバくないですか??!!!!」というツイートと共に公開したことで問題が発覚、25日に公式アカウント上で一連の経緯を説明するとともに、公式アカウントが岩田の管理で運用されていたこと、また「過労の中で一方的に頭に血がのぼってしまい、憤りを感じてしまったため」単独行動で当該DMを送付したと説明、岩田に全責任があるとして、謝罪とともにアカウントの管理業務から外す措置を執った[9]

翌26日には同じく公式アカウントにてオフィス秘宝執行社員の田野辺尚人、相談役の町山智浩柳下毅一郎、そして編集部一同の連名で謝罪文を公表、「雑誌という公共性を持ったメディアが個人に対して攻撃を加える行為を、断じて許せない行為だと考える」として改めて謝罪、岩田については謝罪文を送る前に女性に電話で直接連絡していたことも明らかにするとともに、「看過することができない、本誌の心情と真っ向から対立する、許しようのない行為」と断じ、「断固たる処分を行う」と明言もしている[8][10]。また、「この件に関しては発行元である株式会社双葉社は一切関与していません」と説明している[10]

一方で、岩田が当該女性の連絡先を入手した経緯について、「抗議の電話を受けた双葉社がオフィス秘宝に共有した」という指摘が出ていることから、追加の説明を求める声も出ている[10]。こうした一連の事態を受けて双葉社も公式サイトにおいて謝罪文を掲載、「当該事案についての個人情報を含めた情報共有の過程においても、その取扱いについて弊社としても慎重さを欠いた対応となってしまった」と謝罪している[11][12]

一連の騒動を受けて、起点となった『アフター6ジャンクション』パーソナリティの宇多丸は26日の放送でこのことに触れ、岩田の行動について「一見、下に出ているようで、一種の脅し。アウト中のアウトを重ねてしまった」と断じ、火曜パートナーの宇垣美里も「まごうことなき脅迫」と非難した。また、被害女性に対し気遣いを見せるとともに、番組自体も改善を図る方針であると語っている[13]。同年2月2日、オフィス秘宝は岩田が編集長職を辞任するとともに自主退社したことを発表した[14]

2021年12月2日、「映画秘宝」およびオフィス秘宝が、紙面上・SNS上での経緯説明と正式な謝罪文の掲載を見送り続けていることをうけ、現編集部員ら6名のうち、編集長を含む5名が連名で翌月号(2022年2月号)以降の編集業務から自主的に外れることを発表した[15]。なお、その前日の2021年12月1日、有限会社スタジオ・ハードの創業者で、出版プロデューサーの高橋信之が、新編集長に就任することをFacebook上で発表した[16]。その一方で2022年1月19日には町山智浩が本件被害者との同意を得て編集業務に復帰することを表明するとともに、被害者とオフィス秘宝、双葉社の三者の間で既に和解が成立していること、和解に関しての誌面への掲載が双葉社の方針で差し止められていることを明かしている[17][18]

その後2022年2月21日に双葉社が同年3月19日発行の2022年5月号をもって同社の刊行物としては休刊すると発表した。営業上の経営判断が理由だとしており、今後については5月号誌面及び3月末開設予定のオフィス秘宝公式サイトで発表するとしている[19][20][21]

オフィス秘宝での展開
オフィス秘宝は、自身の公式サイトにおいて、自社は2021年8月、双葉社は2022年1月に、DM被害者との法的和解を行ったと表明している[22]。また、同じサイトにおいて、2022年に、事件の再発防止策や、被害者からの質問への回答を掲載している[23]

オフィス秘宝は「映画秘宝公式note」を開設して、町山智浩の評論などを、有料で配信する業務を行っている。

再々創刊
2023年12月19日、新たに設立された合同会社秘宝新社が雑誌の権利を取得し2024年1月19日発売の3月号から月刊誌として改めて創刊されることが発表された[24]。』

(Wikipedia「映画秘宝」

ごく簡単にまとめると、次のようになる。

当時『映画秘宝』誌の編集長だった岩田和明が、北村紗衣の著書『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』(書肆侃侃房)に推薦文も寄せている、ラッパーのライムスター宇多丸がパーソナリティを務めているラジオ番組『アフター6ジャンクション』の、2021年1月5日放送分に出演した。

その後、この番組のリスナーの(このWikipediaでは匿名になっている)が、Twitter(現「X」)で、

『(その女性リスナーの勘違いで)「女性ゲストが出ると思ったら男性しかいなかった」、同誌にホモソーシャル的なノリがある「あの雑誌まわりが全部苦手で、勝手に幻滅している」「アトロク(うたまるさん)とか映画秘宝とかは“俺たちのー!”とか“ポンコツ”とかそう言うノリがしんどーい」「私は映画秘宝全然読んでなくてあんまりいいイメージなくて」「男性執筆陣ばっかの本も買いたくねーな」「純粋な悪口です」と批判するツイート』

を行った。
そして、これを知った岩田和明が、「映画秘宝」の公式Twitterアカウントで、この女のTwitterアカウントをフォローし、女がそのアカウントをフォローバックしたところ、岩田がこの「映画秘宝」の公式Twitterアカウントから、

『突然、たいへん失礼いたします。
今、心の底から深く深く心 が傷付き、胸が張り裂けそ うなほど大きなショックを受けて、死にたいです。

私は、「俺たちの~」も 「ポンコツ」も、いちども 言ったこととがありません。

純粋な悪口ということでし たら、これは誹謗中傷でしようか。

いま、胸が締め付けられる ほど苦しくて、呼吸が乱れ ており、壊れそうなほど深く心が傷付き、あまりのシ ヨックの大きさから、何も 手が付けられない状態にいます。死にたい。

2021/01/17午後0:58』

ねとらぼ「『映画秘宝』Twitterアカウントが個人宛に「死にたい」とDM 送り主は編集長、“恫喝”と認め謝罪文を掲載」2021年01月26日より)

というDM(ダイレクトメッセージ)を送った。

それで、が『映画秘宝』の編集部に、あのメールは何だと問い合わせの電話をしたところ、そのことがDMを送った当の岩田和明の方に回され、岩田から直接に電話があったため、女は、そんなDM男に電話番号まで知られてしまって「怖い」と言いつつ、「どうなってるんだよ!」と、さらに話が大ごとになってしまった、というような経緯である。

このトラブルは、その後いろいろあったものの、結局は、当事者の岩田和明が責任をとって辞職し、同編集部関係者も、あれこれの管理責任や事後の対応のまずさなどの点から、うち揃って、女に謝罪。
女からの質問状への回答の公開などがあった後に、和解が成立した。

例えば、この「質問状への回答」の一部を紹介すると、こんな感じだ。

『6.映画秘宝廃刊と私を結び付けていた町山智浩氏の発言(現在は削除)についてどう思われますか?

(※ 回答)「このままでは「映画秘宝」が廃刊になってしまうため、被害に遭われた方への攻撃はやめてほしい」という町山氏のツイートは、貴方様への攻撃を止める目的ですが、「廃刊」という強い言葉を使うことで、貴方様に結果としてさらなる多大な精神的圧力をかけるということへの配慮に欠けていました。
 前項の回答とも重なりますが、誹謗中傷発言を防止する明確な指針を、弊社が速やかに示すべきでした。』

(オフィス秘宝「2021年1月の弊社元代表によるDM送付受信者の方のご質問に対するご返答」より)

「結びつけた」も何も、そうなるおそれは十分にあったというのは事実だろうし、結果としても、事実そうなった。
そもそも、この「失礼な女」がいなければ、こんな問題は、発生し得なかったとも言えよう。
それとも何か、自分は「一切無関係」だとでも、アピールしたいのか?
一一というツッコミだけに、ここは止めておこう。

ともあれ、『映画秘宝』Twitterアカウントを使って、女にDMを送った岩田に、言い訳の余地はない。
女は、『映画秘宝』のTwitterアカウントだと思えばこそ「フォローバック」したのだろうし、そのせいでDMを許すことになってしまったのであり、岩田個人にそれを許したのではないのだから、言うなれば、騙されてメールアドレスを盗まれたようなものだからだ。

もちろん、結果として、問題の当事者である岩田に、女の電話番号を知らせてしまったという不用意さにおいて、『映画秘宝』編集部も、個人情報の管理という点で、その責任を問われるのはやむを得ないところだし、事後対応の不十分さということもある。
だが、しかしここでは、そこまでは扱わない。

なぜ扱わないと言えば、「責任が有るか無いか」と言えば、もちろん有るし、その責任を問われれば、謝罪せざるを得ないだろうが、実際のところ、そこまで管理し切れるかと言えば、現実問題として難しいところがあるからだ。

例えば、北村紗衣の勤め先である「武蔵大学」も、北村の私行上の(ネット上の)問題まではあずかり知らぬと、問い合わせ電話に回答したそうだが、例えば、ある女性社会学者の場合は、ネット上のトラブルに関して、大学側から、ネット利用法についての注意指導が入ったという話もあるのだから、「本学としては、本学教授の私行上の問題は、一切あずかり知らぬ」で済むのかどうかは、かなり疑問である。
実際、これまで長らく、私行上の問題で、会社などの勤め先をクビになった人は多く、それは「会社の信用を傷つけた(泥を塗った)」というようなこともあるからだろう。

もちろん、岩田の場合は、完全な「私行上の問題」ではなく、職場のアカウントを使っているし、職場の方も、岩田に女の電話番号を教えたりしているわけだが、しかし、岩田の行動を、職場として予想し得たかと言えば、それはまず不可能なのだ。
「不可能だ、では済まないだろ」と言っても、実際には不可能と言ってよい、これはそんな事例なのである。
私だって「能力のない評論家に、優れた評論を書け」とまでは求めない。単に「評論家を辞めちまえ」と「言うだけ」なのである。

実際、誰だって、まさか編集長自身(まさか教授が、まさか警察官が、まさか…)が、こんなことをやらかすとは想像もできなかっただろうし、岩田DMのあの文面だって、ハッキリ言って「マトモではない」。
言い換えれば、あんなものを書いて送るなどということは、ほとんど想定不可能なのだ。
つまり、すべての社員について、いつ発狂しても大丈夫なように、その行動を100パーセントの監視下において制御すべきだなどと要求しても、それは、不可能事でもあれば、人権問題としても無理な要求だからだ。

したがって、私が本稿で問いたいのは、単純に、女の「ツイートの中身」と岩田和明の「DMの中身」の「適切性」と、その「合理的な事実認定」である。

なぜ、そこに話を限定するのかといえば、岩田和明と『映画秘宝』編集部については、すでに謝罪し、責任を取り、女との和解も済ませており、一定の「社会的制裁」を受けていると評価できるからである。

つまり、ここでは、「社会的に」どうこうではなく、「発言内容」そのものを、「文芸批評」的に問いたいのである。

 ○ ○ ○

さて、上の「Wikipedia」からの引用文にもあるように、岩田和明から女に当てられたDMについては、

『宇多丸は26日の放送でこのことに触れ、岩田の行動について「一見、下に出ているようで、一種の脅し。アウト中のアウトを重ねてしまった」と断じ、火曜パートナーの宇垣美里も「まごうことなき脅迫」と非難した。』

とあるように、一見したところは、自身が「傷つけられた」という被害アピールだが、その狙いまで考えれば、要は「被害者ヅラ」した「脅し」または「脅迫」的な性格のものだと、そう言っても良いだろう。
「あなたが、私をこんなに傷つけた」と「批判攻撃」しているのであり、これは、昨今流行りの、「被害者アピール」による一種の「マウンティング」であり、北村紗衣などが、しばしば、「女性」で「いじめられ経験」があり「発達障害」であり「死にたいと思ったことがある」などと、各種取り揃えて、自身の「被害者性=傷つけられやすさ」をアピールすることで、北村紗衣批判者を「悪魔化」し、論敵からの「攻撃」を「ヘイト」であり「いじめ」だとすり替えることで、その口を封じようとするのと、基本構造は、まったく同じなのである。

岩田和明は、このDMの内容について「過労」から来た情緒不安定によるもの(ここが北村紗衣風)で、「脅し」の意図は無かったという趣旨の説明をしたが、無論、その真相はわからない。
だから、真相はどうあれ、「脅し」の効力を持つものであったという事実は揺るがないので、その点は責められて当然だし、責任を取るのも当然だろう。

したがって、責任を取って辞職したのなら、それで当人の責任は、いちおう果たしたとも言えよう。

岩田は、その不適切なDM一本で、完全に「キャンセル」されたのである。

つまり、岩田の場合も「社会的制裁」を受けたのだから、これ以上の「刑事罰」や「民事賠償」云々というほどの問題ではない、ということである。
『法的和解』ということのようでもあるのは、両者の間で、そこまでの検討がなされた上での「和解」だったという意味なのであろう。

だが、まだ問題として残っているのは、事の発端となった、女のツイートの「社会的な(道義的)責任」である。

これは、当人もはっきりと書いているとおりで、いかにも品のない、露骨な「悪口」である。
無論、これも「言論・表現の自由」の範囲内ではあろうが、公に発せられた言葉として、その内容の是非は問われるべきだし、必要な批評・批判もなされるべきだ。
こんなものが「好ましい」とは、誰も思わない類いのものだからである。

だが、私はこれを読んだ時に、すぐに北村紗衣のことを思い出して、「こいつ、北村紗衣だろう?」と、そう疑ったのだ。

北村紗衣のことをよく知らない人は、仮にもこの時にはすでに「映画評論」の著作だってあった「大学教授」が「こんな酷いことを言うだろうか?」と、そう疑問に思うだろう。
至極もっともな疑問だと、私も思う。

しかし、言い換えるならば、北村紗衣のネット上での発言は、この「馬鹿女」同等にレベルの低いものが多いというのが現実なのだし、それが仮にも「武蔵大学の教授」という「教育者」の端くれであり、著作も5冊ほど持つ「言論人」の端くれのものであるならば、その社会的な道義的責任は、問われて然るべきものなのだ。
また、この女のツイートは、(この記事では、この女の社会的な立場は不明ではあれ)北村紗衣のそれと「同レベル」なのだから、公人・北村紗衣に対するほどではなくとも、それ相応に、適切に批判されて然るべきものなのである。

なお、私が、この女を「北村紗衣ではないのか?」と疑ったのは、次のような諸点からである。

(1)番組のパーソナリティが「ライムスター宇多丸」

(2)批判の相手が「映画関係者」

(3)『勘違い』で番組に、ケチをつけるツイートをしておきながら、その点について、自身の非は認めた様子が無い。

(4)「女性ゲストが出ると思ったら男性しかいなかった」と、やたら女性に価値を置いている点。

(5)自身は「女のホモソーシャル」が好きなくせに、「男のホモソーシャル」だけが「ホモソーシャルであり、よろしくない」とでも言わんばかりの、一方的な「紋切り型フェミニスト」ぶり。

(6)『“俺たちのー!”とか“ポンコツ”とかそう言うノリがしんどーい」』という、妙に「女の子」ぶった物言い。そして、岩田のDMからわかるように、「ポンコツ」という表現は、この女のものであり、北村紗衣も「ポンコツ」という言葉を好んで使うという事実( こちらを参照)。

(7)「私は映画秘宝全然読んでなくてあんまりいいイメージなくて」と、自身に対しては「イメージだけで、他者を酷評する」ことを許しているような、いかにも開き直った態度。

(8)「男性執筆陣ばっかの本も買いたくねーな」と、それはこの女に勝手だが、語尾の「ねーな」が、北村紗衣的に露悪的で「下品」。もちろん、趣味なのだろうかから、勝手にすればいいが、「下品」というのも「私の評価」である。

(9)「純粋な悪口です」というのも、北村紗衣的。私なら、「根拠を示して、批判酷評する」が、北村紗衣的な馬鹿は、馬鹿だから、そういう社会的な手続きが採れない「可哀想な人」だと、そういうことなのだろう。だが、それはそれで適切に批判されるべき、不適切なものである。

とまあ、こんなところだろうか。

もちろん、私はもう、この馬鹿女が「北村紗衣であろう」と、ほとんど確信しかけているが、今のところ、私はその直接証拠を持たないので、断定はしないし、できない。

だが、こんな「女は」ではなく「こんな人間は」、北村紗衣一人で「たくさんだ」と思っているので、その意味では「同一人物であった方がマシ」だとは思っている。こんな馬鹿は、2人いるよりは、1人の方が「マシ」だからだ。
だがまあ、これは所詮、はかない願いではあろう。

ところで、私はこの記事を最初に読んだ際、そこに「ライムスター宇多丸」が出てきたことから、宇多丸が北村紗衣の著書『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』に推薦文を書いたのは、これがあったからだと、そう考えた。
だから、あんな「クズ本」に、推薦文が書けたのだろうと、そう思ったのだ。

すなわち、この事件があって、『映画秘宝』関係者が、土下座的な謝罪をさせられるのを間近で見て、「金玉が縮み上がるような思い」になったので、「この種の馬鹿女には逆らわないでおこう」と考えて、同種の北村紗衣のご機嫌をとるようになり、求められるままに、北村紗衣の著作への推薦文を書いたのだろうと、そう思ったのだ。
そうでなければ、あんな「クズ本」に、推薦文なんか「本気で書けるわけがない」と、そう思っていたからである。

で、そのことを、昨日(2024年11月9日)アップした「note」記事「北村紗衣『女の子が死にたくなる前に見ておくべきサバイバルのためのガールズ洋画100選』:「死」というバズワードの濫用」に書いたのだが、今日になって、本件の「前後関係」を確認したところ、『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』の刊行は「2019年6月」であり、「『映画秘宝』DM事件」は「2021年1月」なので、「ライムスター宇多丸」が、この事件を目の当たりにしたために「推薦文を書いた」というのはあり得ないと判明したので、その点については、その記事に「お詫びと訂正」を書き加えておいた。

下が、それである。

(※ 【お詫びと訂正】 昨日(2024年11月9日)は上のように書きましたが、確認してみると、北村紗衣の『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』の刊行は「2019年6月」で、「『映画批評』DM」問題の発生「2021年1月」なので、ライムスター宇多丸氏は、この事件以前から北村紗衣を評価していたのであろうことが確認できました。この事実誤認について、ライムスター宇多丸氏および関係各位に対し、記してお詫びします。
したがって、結論としては、ライムスター宇多丸氏は、単に、最初から「読めない人」だったという蓋然性が大ということになります。事実誤認があれば、いつでもご指摘ください。喜んで対応させていただきます。〔2024年11月10日〕)

そんなわけで、この「DM事件」で「ひとつの謎」が解けたと思ったのは、私の早とちりであった。

だが、この「馬鹿女」が、北村紗衣と同一人物であると「仮定」するならば、岩田和明元編集長のDMがあのような「脅迫的」なものになった理由の一端を、推察することはできる。

すなわち、「疲労」による、言うなれば心神耗弱状態によって、ああいう「トチ狂った」ようなことを書いたのではなく、あるいは、それに加えて、北村紗衣への当てつけとして、

「お前がいつもやっている、被害者アピールによる逆捩じだよ」

と、そういう意識が、岩田の頭の隅にはあったのではないか、ということ(推測)だ。

「お前がいつもやっていることなんだから、こんな被害者に対しては、文句はつけられまい」

という意識が、どこかにあったのかもしれない。

だが、そうした批判をむけた相手が、北村紗衣であったのだとしたら、そんな「ナイーブ」なやり口は、通用しない。

なぜなら、北村紗衣の考え方とは「私には許されても、お前らには許されないんだよ」といった類いのものだからである。

つまり、岩田は、まだまだ「北村紗衣の悪質性」を十分には理解していない状態、言うなれば「甘く見ているところがあった」のではないか、ということである。

北村紗衣の場合は、そんな「お互い様だろ」みたいな、「常識的な理屈」は通用せず、「俺のものは俺のもの。お前のものも俺のもの」というジャイアンの論理」に立っているのだから、そのことを正しく理解した上で、対処しなければならないのだ。

言い換えれば、北村紗衣に対しては、ほんの少しであろうとも、「フェアプレイ」を期待してはならないし、こっちも「やる時にはやるぜ」という覚悟を持ってやらなければ、その覚悟の半端さに、つけ込まれてしまう、ということである。

北村紗衣「ファンネル・オフェンス」使いとして有名。上は「須藤にわかvs北村紗衣」のTwitter対論の際、北村紗衣側から湧いて出た有象無象。北村紗衣はこれらを「黙認」というかたちで「ファンネル・オフェンス」として利用しているのである)

無論、この「馬鹿女」が、北村紗衣かどうかはわからないし、仮に別人だとしても、どっちにしろ「似たような人間」なのだから、同じように考えて対処しなければならない、ということだ。

あと、この「馬鹿女」を、北村紗衣だと「仮定」するならば、解ける謎が「もうひとつ」ある。

それは、須藤にわか氏と北村紗衣の「アメリカン・ニューシネマ」論争が勃発した際に、どういう経緯だか、著名な映画評論家である町山智浩が、この問題について、北村紗衣の見解に否定的な見解を明らかにした際に、北村紗衣はこれに、メンツを潰されたと言わんばかりに、町山にしつこく食い下がり、ご当人の曰く、町山を『詰めて』、町山から自分に都合の良い回答を引き出した「かのような」ことを、Twitterでアピールしていたのだが、このことに対しで、私は「小さな違和感=ささやかな謎」を感じたのである。
「三流(ポンコツ)映画評論家」北村紗衣ごときが、町山智浩に妙になれなれしく接している点に、かすかな違和感を感じたのだ。

(これが、私と北村紗衣のファースト・コンタクトである。
この、露骨に上から目線の物言いはどうだろう)
(「著名なベテラン映画評論家である町山智浩が〜「北村紗衣」氏は、反論していないのである」と書いたのは私。これに対して、北村紗衣は、私のTwitter(現X)アカウントが凍結されているのを知っていながら、名指しせずにTwitterで反論。これを見つけた私に、下のレビューで反論されて沈黙。勝てないとなると、沈黙するのが北村紗衣の十八番。下のレビューの後半を参照)

まあ、私の場合だって、別に相手が何様であろうと、必要があれば遠慮なく声をかけるが、それにしても、少なくとも「世間並みの礼儀」の形式くらいは整える。
ところが、北村紗衣の、町山智浩に対する態度が、年齢差も無視した、どこか「旧知の仲」的ななれなれしさを感じさせたので、「うん?」と引っ掛かる感じがあったのだ。

だが、今回「『映画秘宝』DM事件」を知って、もしもこの「馬鹿女」が北村紗衣だったのであれば、この事件では、北村紗衣が、『映画秘宝』の関係者の一人である町山智浩にも「謝罪させた立場」ということになるから、それをいまだに「嵩に着て」、アメリカン・ニューシネマ論争においても、半ば無理やりに、町山智浩に自分に都合の良い見解を語らせようとしたのではないかと、そう理解することが可能だったのだ。

もちろん、町山智浩にすれば「それとこれとは話が別」だから、北村紗衣の意向に迎合するようなことはなかったようだが、北村紗衣の町山に対する、妙ななれなれしさは、こう考えるならば、完全な腑に落ちるところだったのである。

一一無論、以上はすべて、件の「馬鹿女」が、北村紗衣であれば、という「仮定」の上で話であって、決めつけているわけではない。

そもそも私は、北村紗衣を、私のことを事実無根の「誣告によって管理者通報」し、黙らせようとした「嘘つきの卑怯者」だと評価している。
しかも、いまだ謝罪すらないのだから、今更、こんな「馬鹿女」と結びつけてまで、北村紗衣を誹る必要などないのだ。

私が本稿を書いたのは、本件の「馬鹿女」が、そもそもあのような「失礼きわなりないツイート」をしておいて、「脅されましたァ」「怖かったですゥ」みたいな「被害者ヅラ」しているのが、許せなかったためである。

だからこそ、北村紗衣にこの「馬鹿女」を結びつけたのではなく、この「馬鹿女」に、北村紗衣を結びつけてやったのだ。
「お前は、すでに北村紗衣同然だ」と。

そもそも、DMの当事者である岩田や『映画秘宝』関係者が「謝罪」しなければならなかったのは、この「馬鹿女」が「同情されるべき被害者」だったからと言うよりは、言うなれば、岩田和明元編集長の「オウンゴール」みたいなものなのだ。

だから、その相手のミスに乗っかって、一方的に「可哀想な被害者づら」なんかさせてはおかないぞ、というのが、本稿の趣旨なのである。

この「『映画秘宝』DM事件」の本質とは、単なる「被害者と加害者」ということではなく、「小さな加害者と大きな加害者」の問題なのだ。
つまり、岩田が「過剰防衛」的に「やりすぎた」という問題だったのである。

わかったか「馬鹿女」。
名乗って出てきたら、相手になってやるし、言い分も、直接聞いてやろう。話はそれからだ。


(2024年11月11日)


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