“メンヘラ”が痛いほど分かってしまう話。過去エピソード
精神面の翳りが連れてくるメンヘラモードは、今では本当に少しになってけれど、過去満たされなさが爆発していた時期はほぼ毎日の大半をそういった気分で過ごしていた。女の方が感情を多く知っているため、繊細な表現や少しのことにも敏感に気付けたり、それは子育てをするようになると子どもが何を求めて泣いているのか?泣き方の違いなどを汲み取れるといったようなところでどんな特有の感性を活かせたり、心の底から楽しさを表現できたりする豊かさにつながっていると思う。だが、このプラスの反面おなじくらいに反対の性質も含んでいて、恐ろしいくらいのマイナス感情をも感じることができてしまう。
男の人には、到底理解されないような内容や歌詞がどうしても刺さり、その感情を言葉として変換されていることと大共感の嵐で、感動を抱くことすらある。
そのひとつだった、昔何度かライブハウスを観に行くほど好きだった“アカシック”というバンドの歌がとても好きだった。
今人気なアーティストの歌でいうなら、あいみょんの『貴方解剖純愛歌 〜死ね〜』を聴いた時の感情に近しい温度感がある。
あいみょんのこの歌は、メンヘラな女の子の心情を描いた歌で有名だが「死ね」からはじまるサビの歌詞をみると“私だけのものにしたい”“重い女”が恋愛を燻らせた時に抱く、だけどどこかぶっちゃけ“分からなくもない”感情が綴られていて、昔ほどではないがその感情は自分の内側にもいまだ存在するなと思った。
アカシックの歌詞は、恋愛で傷ついた女の子がただ打ちのめされるだけでなく、その中でもどうにか“強くいよう”という姿勢が垣間見られる。表面的に眺めると「強がって」いるように見えるが、どこか自分の醜い内面を理解した上で、「それでも」と抱く感情をぶちまけて来る。決して周囲から「こう見られたい」といった「〇〇すべき」だとかいった視線がなく、どの歌の主人公も自らの「欲望」に愚直なイメージがある。恋愛に狂った不健康な感情に共感してしまう部分や、こういったワードを使ってあの感情が言語化できるのか…!と驚きすら感じる。
過去の私はこの歌たちから、メンヘラに浸りつつ、そこからほんの僅かな少しの勇気を汲み出してしていた。(4年ぶりくらいで懐かしい)
そんな感情を思い出しながら、おススメの弱った心に“刺さる歌詞”をいくつか、かいつまんで紹介をしてみたいと思う。
※以下、アカシック『エロティシズム』に収録されている楽曲の歌詞を紹介しています。
1.パスポートひとつで飛ぶのよ全部すてな 『ブラック』
一生分の名前呼んで 脱いで汗まで離さないで
首の後ろ寝息が熱くて 一生そうやっていなさい
どうせどうせ変わり映えない女、日常、思い出になんだから いつか棄てられるならあたしの方だ
「一生分の名前呼んで脱いで汗まで離さないで」に、離れたくない心情と全部を愛してほしい気持ちが表れていて、だけどもうすぐに振られるのは自分の方なんだと、自分が選ばれないことや終わり方までが分かっていても「それでも好き」な気持ちだけをただ武器に振りかざして、正義の拳みたいな勢いを貫いている。どんな人と恋愛をしたって、けっきょく別れたら“変わらない日常”の中で“昔の女”といったカテゴリーに属されていくことは、誰と付き合ったって同じじゃんね。といった投げやりかつ諦めが含まれた思いと、「報われない恋」のゆくえが見え透いていようと、“今”の時間が譲れなく好きなことが鋭く伝わって来て、切ない状況ながらも虚しさだけじゃない感じが背景の音楽と合っていて好きだった。「汗まで離さないで欲しい」=「私の汗まで愛して欲しい」なのかというところに、求める愛の重さが“アカシック”だなと思った。
こんな敵だらけの世界から狂いそうなベットまでパスポートひとつで飛ぶのよ 全部棄てな
“自分の好きな人の好きな人は好きになれない”とはよく言うが、想いが自分以外の女の子に向いているのが分かっていながらも、やめられない恋愛感情。周りの女が皆んな敵に見える。私は全部捨ててでもあなたを選ぶんだから、あなたにも「全部棄て」て欲しいといった望み。自分だけが執着してしまっていることが嫌で、あなたも「私に執着してほしい」。どんなに無様だっていいから、愛して欲しいといった想いが読める。それでも敵わないんなら「あたしは好きにやるわ」そして、最後の「こっち来なさい」に繋がる。だって、私が誰よりもあなたを「愛してる」んだから、と。
2.髪、乾かして 梳いて 『憂い切る身』
憂い切る身の早さ今知った これが一途か気が狂いそうだ 死ぬまでどうやって続けるんだ
「これが一途か気が狂いそうだ」これから先、あなたなしに、どうやってこの気持ちを持って生きていけばいいんだ?といったことが伝わって来る。失恋した時に「この感情のやり場はどこへ向ければいいのだろう」と、同じようなことを一度は感じた人が多いのではないだろうか。
幸せだった日々を思い出として、もう戻らない恋愛の記憶を大切に生きていこうと決めた歌。また歌詞の中に「青」と「赤」が出てくるのも特徴的だ。
「朝の最初の青」をずっと見ていたかったのに、これからは「赤い海を育てて」思い出を愛でる「宝物を守るゲーム」をしていくしかないと思った。その感情に自分がやられてしまわないように二度と出て来ない「鍵付きドル箱」に入れておきたい。もう離れていくと分かっている、好きな人の「楽しそうにしてる全部は愛せない」し、だけど「哀しそうにしてる姿には目をあてられない」
これが世界 それが世界
綺麗にするのは 何も知らない人ばかり
守りたい頭の中の物語 深呼吸して微笑めばいい
人を愛することや思い出を“綺麗なこと”として語れるのはいつだって他人(または、そう思えるようになった先の自分)で、その時のリアルな当事者ではない。
恋愛をしている時の心情を、ありそうで未だ存在していない言葉の組み合わせと、綺麗なだけの感情で恋愛はできないことをこうやって表現できるのは凄いと思った。
3.一張羅で泥を泳いだって平気よ 『愛×happy×クレイジー』
くだらないもの大事に愛してる
抱きしめ合ったって気づけば
愛の無い誰かのゴミクズと 日陰を探して
落ち合っている 絶望なんて暇だから
このアルバムの中でいちばん好きだった歌。
失恋したことが分かるのだが、「一張羅で泥を泳いだって平気」とか「傷つけてやろうとしてた アホらしくなってやめた」とか、弱さだけに身を任せていないところに力強さを感じる。自分が好きに生きる姿勢と、“幸せなら、クレイジーだって思われたっていいよね”っていうニュアンスが伝わって来て、上手くいかない恋愛のもどかしさすら全部ひっくるめて『愛』『幸せ』そして『狂ってる』その感情ぜんぶ抱いていくんだよ。って言ってるみたいでやっぱり欲望を認めちゃってる感じがいい。この女の子には“全部を愛してやる”覚悟があるのかもしれない。強がっているのか?と思わせたりもするが、最後は「絶望だって許さないよ」と、締めくくる。「愛のない誰かのゴミくず」のワードには、収納される感情の記憶が自分にもあって、思い出すと懐かし痛い。
邪魔になった正義を
掻き撫でて 噛み切って 海に沈めば
冷たい土に 刺さっていく睫毛
それだけ 永久だろう 絶望だって許さないよ
“私は、幸せ。そして狂っている”というタイトルに沿ったとおり、どこまでもただ塞ぎ込むという姿勢をとらないところに強さを感じていた。失恋をするたびに、こうやって「邪魔になった正義」とやらの感情を物理化して、投げ捨て海に沈めるといったことができれば、失恋後の長引く「絶望」とは簡単にサヨナラできたのかもしれない。
「絶望」の成分である暗さの翳りと「許さない」に含まれる黒い粘着性が合わさると、強烈なワードのかけ合わせなのに、なぜか明るい印象の言葉になるところも面白いなと思った。
4.必死に恋するの自嘲しいちに天麩羅なん本食べたっけさんし 『いちかばちかちゃん』
高い苺冷蔵庫の中
風邪ひかないで あたためて食べてね
ダントツのメンヘラ曲。「眼舐めて」「死んだ目が好きだよ」「爪立てて傷つけたい」「すげークズ紅ひいてキスしなきゃ」などと勢いのあるメンヘラなワードが並ぶ中、とくにこの歌詞が凄いと思った。
「高い苺」=私のあなたへの愛が「冷蔵庫」に保存されている。
「風邪ひかないでね」「あたためて食べてね」は単品で使うと、相手を思いやってこそ生まれる言葉たちなのだが、これを自分の歪んだ欲にかまけてぶつけると、こうなるのか。と「独りよがりな依存にすり替わった愛」を投げつける女の子が浮かび、「あたためた苺」のような感情が読める。
5.愛され喰い荒らす馬鹿をみせるよ 『マイラグジュアリーナイト』
欲望に従い 贅沢に悩み
あたしの生き様をさ 行け
この歌詞が凄いのは、「憧れなんて首しめてしかくれない」ことや「自分が危うくて馬鹿なこと」を自覚した上で、求めていることである。「待ってたって褒美はない」ことも「神さまなんていない」ことも痛いほどよく分かっている。そして「危うくて狂った頭」の自分が抱く感情が「綺麗」とは程遠いことも。
憂鬱なら憂鬱しかないから
一日喪に服した構えでも
目だけは見てるよ 息だけしてろよ
冷たい刃は自分を刺す 痛て
自分の憂鬱は自分を憂鬱にしかしないこと。そんな日でも「目だけは見て」「息だけは続けろよ」と、絶望に伏してしまわないことを歌っている。
それは自分を「刺す」ことだと分かっていてもこういった生き方しかできないなら、そんな自分の「痛み」も抱きながら「欲望」に従い、自分なりに全ての感情を抱く「贅沢」さに悩んでいく、そんな這いつくばってでも「私の生き様」を見せつけるが如く生きてやれと、体あたりで傷だらけになっても欲望丸出しで生きる覚悟が見える。
4.大人が裸になるのどうして駄目なの 『裸』-nude-
打算ばかり叩き出す 爪は赤く血が滲み
はみだした裾はひっぱって踏み
日々は異常にも勇敢に巡るわけ
「恋愛の駆け引き」「男を落とすモテテク」など計算ばかりに縋ってしまう安さといった「打算的な恋」に嫌気が差しながらも、ヨレてはみ出した裾を踏むような不安定さで歩き続ける、今にも転びそうな感覚が読める。そんな叶わないと分かっている日常を抱えて、強がってどこか勇敢さを無理に纏ってでも、続けたい恋の意志。
愛してるのに 嫌いになって
息止めて逃げるのお仕舞い
ケバさは強さじゃないの護って
愛してるってどうしてこんなにしんどい感情も伴うのだろう?好きと嫌いは、常に表裏一体の位置づけで「好き」が濃くなれば、必然的に裏返った時の「嫌い」も濃くなり、やがて憎しみなどの感情に泥飲まれていく。特定の他人へ抱く「好きと嫌い」は、おなじだけの濃さや重力を持ち合わせている気がする。
「ケバさ」の歌詞部分は、濃いメイクをしている人を指すことが第一に浮かぶ。メイクが濃い人ほど印象がキツく見えるが、そんな人ほど本当は弱さを隠すために化粧が濃くなってしまっているという、そんな現状は、実際あちこちにあるのだろうと思った。また化粧に限らず、「愛想笑い」や「八方美人」のような他人に見せるためだけに用意した“偽、仮面”の顔なども示すように思える。
弱いからこそ、表面だけでも「強く見せたい」女の心情が分かる。どこでも誰にでも素顔をさらけ出せるほど、強くないのだ。
「芯から強い女」は無駄に着飾らないから。
もう賞味期限が切れた恋だと分かっていながらも、そんなことには気づかないフリをして、「縋って痛い」思いをしている恋愛描写。自分の馬鹿さを承知しながらも、やめられないどうしようもなさ「退屈」や「雑草すら守る姿勢」が、自分を幸せにはしない、価値がないはずの時間の中にもわずかに存在する「自身の本心」みたいなものにしがみついて相手を求めてしまう恋心が読める。
🍓どの楽曲も全歌詞を検索すると、どんな恋愛なのかが大まかに分かると思うのだが、どうもそんな恋愛をしていた時期や、メンタルがくすんでいる時ほど、この歌詞には共感してしまう。どれもこれも、健康的ではない精神衛生状態が不安定な恋愛ばかりであることは間違いないのだが、メロディの曲調やテンポ感といったそれぞれの情緒にあった音楽が素敵で鮮明に情景がイメージされ簡単に“この女の子たち”と同じ気持ちになれる。そんな「疲れた恋愛をやめられない」想いを疑似的に体験してしまえるためか、一度聴き出すと、ついリピートしてしまう。かなり“依存性”のある歌に、かつての自分は、自らのリアルタイムな恋愛記憶を重ねては、どっぷりと依存していたことをここで思い出した。ここまで読んで、どんなものかと興味を持って頂けた人はぜひ一度、歌詞や歌を検索し、再生してみてほしい。
🌿そして、ここまで綴り読んでみて思った。やばい、これまで読み解けてしまうほど、私にもそういった面があるのか、と。それはどうして?と尋ねられても「分かってしまう」ものではある。女特有の、というか情緒の可動域が広がりすぎて、「色んな感情」が分かってしまう。女に限らず、きっと奥底の誰にも見せないような部分に潜む人間の感情ってこんな感じで到底綺麗ではなく、どうしようもなく、自分の足枷になったりしながらも、自分の内側に息づいているものなのかもしれない。こんな気分になったのはけっこう久しぶりだったけど、やっぱり引き出される記憶があるとまだ感情の方も揺れるのだなと思った。
感情(心)が動くことを楽しめるのが恋愛の醍醐味だと思えば、ここまでの深さではなくとも、一概にこういった女に潜みやすい「メンヘラ的な心情」の要素も、否定はできない。
ただそんな割合が高まってしまうと、自分のバランスが崩れて、生きることが辛くなってしまったり、そういった自分自身に疲れてしまう。
「メンヘラ」は治らないのか?といった話題を友だちと話したことかあるが、意志を持って挑まなければ、勝手に変わっていくものではないと思った。「好き」は求めすぎると「重荷」になってしまう。自分で自分を満たすことの姿勢がある程度築けていると、その辺りは少し楽になっていく気がする。
恋愛をする時、相手に体重の全てを預けてしまうと、こういったバランスがとれなくなった時に相手をなじったり自分を知らずのうちに追い込んでしまうといった状況を起こしやすくなるのかなと思う。そしてこういった感情に行き着くのだろう。だが、そう分かっていても飲まれてしまう人が多いことも知っているし、だからこそ、そこを言語化したり代弁してくれるものは心に刺さって感動してしまう。分かるからこそ、あまりにひつこくリピートし過ぎると、自分の心が完全に染まってしまうのでほどほどに。(決して、過去の私みたいに、眠れない夜な夜な三角座りをして聴いたりしないこと。)
汚い情緒や弱った面の言語化はこうして分析すると、また違った角度から“これまでの自分”のことが見えて、学べることがあるなぁと今回文章を紡ぎながら思った。まとまりがないが今回はこの辺りにしておこうと思う。
🔽あの頃のメンヘラな感情がなくなって来た話。
🔽過去の恋愛の失敗から見えたこと。
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