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【祖国を憂う全ての諸君へ!】政治哲学考究 Ⅱ ジョン・ロック『統治二論(市民政府論)』と暴走する天賦人権説

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政治哲学考究せいじてつがくこうきゅうシリーズまとめ

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「政治哲学考究 Ⅰ トーマス・ホッブズ『リヴァイアサン』と権利及び国家への憂い」に始まった『政治せいじ哲学てつがく考究こうきゅう』シリーズ。

第二弾では、ジョン・ロックにる『Two Treatises of Government(統治二論または市民政府論等と呼ばれる)』を扱おうと思う。

『Two Treatises of Government』は様々なやくが出版されているが、今回は「政治哲学考究 Ⅰ トーマス・ホッブズ『リヴァイアサン』と権利及び国家への憂い」(以下「前稿」)にいて扱った『リヴァイアサン』と同じく、加藤節氏のやくを選んだ。

加藤節氏のやくを選んだ事に、特に深い意味は無い。

政治哲学考究せいじてつがくこうきゅう』シリーズについての御説明を以下に記しておくが、前稿と全く同じ文であるから、必要に応じて読み飛ばしてもらって問題無い。

現代の政治を語る上で欠かす事のできないものは、「人権」や「自由」といった「リベラル・イデオロギー(リベラリズム)」であると言える。

本シリーズでは、の「リベラリズム」について考えたい。

皆様御承知の通り近年のリベラリズムは暴走はなはだしく、私は、我が国の永続は、過激化したラディカル・リベラリズムの克服こくふく無しには有り得ないと考える。

ゆえにラディカル・リベラリズムを克服こくふくし、本来の意味での「自由」と「多様性」を自然に内包した在るべき大和の国へ戻るための試論を問う事が、本シリーズの目的だ。

過去を検証し、今を検証し、「自由」を再定義し、「人権」を再定義し、「デモクラシー」を再定義し、世界をみ込もうとする「グローバリズム」と失ってはならない「ナショナリズム」とを調整し、ゆがんだ外来イデオロギーの支配を脱し、固有の美しい国柄と『日本人』としての共同体を護るのである。

無論、私は若く、そして未熟である。

しかし、若く未熟だからこその視点、気付く事のできる内容も有るものと信ずる。

そして、若く未熟だからという事は、我が国未曾有みぞうの危機にあって、「義勇公ニ奉」ず事無く、の現実から逃げる事の言い訳になりはしない。

我が国の歴史と国柄、古来我が国にいて育まれてきた民主主義の精神を表し、明治憲法制定の出発点となった五箇条の御誓文には、次のようにある。


一、廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スヘシ
一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フヘシ
一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
一、舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ


私は日本人として、「万機ばんき公論こうろんに決す(あらゆる重要な事柄を公の議論にって決める)」べく筆を握る。

十七条の憲法にも「一に曰く、もったっとしとし、さかふること無きをむねとせよ」に続いて「かみやわらしもむつびて、事をあげつらうにかなうときは、すなわち事理ことのことわりおのずからつうず。何事か成らざらん」とある通り、我が国にいて「上下が心を一にして議論し、道理にかなった結論を得る」というのは根本・根底の精神なのである。

私は日本人として、「上下心を一にして盛んに経綸を行う(身分に関わらず心を一つにして国家を治める)」べく、若く未熟な「下」の立場から国家論を提起する。

私は日本人として、「庶民」でありながらも、「強く美しく背骨が通り、幸せを感じ愛せる日本を再興する」という「の志を遂げ」るべく公論を興おこす。

私は日本人として、近代ヨーロッパに始まる「旧来の陋習悪い習慣を破り」、「天地の公道に基づく」国家を取り戻すべく言葉をつむぐ。

私は日本人として、我が国のみならず「世界」にも「智識ちしき」を求め、『天皇』を戴く我が国の基礎を「大いに」「振起しんき」すべく学び、そして綴る。

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前稿の公開が先月の18日であり、の後数日、他の書籍をたのしんで過ごした後、私はぐに『完訳 統治二論 ジョン・ロック 著 加藤節 訳』を開いた。

私はジョン・ロックにあまり良い印象を持っておらず、自分のデスクで読んでばかりいると息が詰まるものであるから、先月と同様にとはいかないが、時偶ときたま例の喫茶店に御邪魔させていただいた。

地元の、歴史ある、しかし小ぢんまりとした喫茶店きっさてんいて、珈琲コーヒー煙草タバコたのしみながら読書にふけ  

やはり贅沢ぜいたくであり、優雅ゆうがな気分である。

皆様にも是非ぜひすすめしたい。

政治、教育、宗教等々、様々な分野を研究していたジョン・ロック(一六三二~一七〇四)の『Two Treatises of Government』すなわち『統治二論』(以下『統治二論』)は、1689年に出版され、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言に大きな影響を与えたとされる政治哲学書であり、王権神授説への反論である前篇(第一論)と、社会契約について論じた後篇(第二論)から成る統治「二論」の構成となっている。

ロックの社会契約論は現在にいても好意的に受け止められており、「近代」を築いた思想家の代表的な一人として扱われている、と言って差し支え無いだろう。

『完訳 統治二論 ジョン・ロック 著 加藤節 訳』の表紙(ブックカバー)には、次のように書かれている。

イギリス社会が新興の中産階層の力で近代社会へと脱皮してゆくとき、その政治思想を代表したのがロック(1632-1704)であった。王権神授説を否定し、政治権力の起源を人びとの合意=社会契約によるとした本書は、アメリカ独立宣言の原理的核心となり、フランス革命にも影響を与えた。政治学至上屈指の古典の全訳。

2010年11月16日『完訳 統治二論』
ジョン・ロック 著 加藤節 訳 岩波文庫

前稿いて述べた通りホッブズは中学校の公民教科書から排除されているそうだが、ジョン・ロックは現在に至っても、代表的な啓蒙けいもう思想家の一人として教科書に鎮座ちんざしている。

ホッブズが教科書に記載されていなかったかについては昔の事であるから正確に覚えていないが、少なくとも、授業ノートにもとづいて暗記した啓蒙けいもう思想家が「ロック、ルソー、モンテスキュー」の組み合わせであった事は未だに覚えているものだ。

前稿いて「私が『リヴァイアサン』の存在を明確に意識したのは、総合安全保障シンクタンク・日本平和学研究所の機関誌『湊合』創刊号、"政治哲学論考 Ⅰ 近代政治学という「神学」ーー人権神授説はいかに誕生したか" の特集に触れた際であった」と述べたが、ロックの『統治二論』についても同様にである。

小川榮太郎氏は「政治哲学論考 Ⅰ」にいて「ヨーロッパの知識人が、ホッブズのリアリズムではなくロックの神学を選んだ時、近代政治理論の虚偽と流血の運命は定まった」と看破かんぱした。

「人権」思想の危うさを捉えて我が国の今後を案ずるにいて、私はこれを非常に重要な指摘であると考える。

ロックの論には、凄まじい欺瞞ぎまんと神学的要素が含まれていたのである。

本稿にいては、ロックの論とホッブズの論とを対比しつつ、現代日本に巣食う病理について考えたい。

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ただし、私はロックの全てを否定するわけではない。

言う事全ての正しい人間が存在し得ないように、言う事全ての誤った人間も存在し得ないのである。

例えば、ロックは「緒言」にいて、「私は、常に、要点に良心的な配慮を払い、十分な根拠をもって自らの疑念を示していると思われる人には満足のいくように答える義務を負っているとみなしているとはいえ、悪口雑言あっこうぞうごんは議論ではなく、揚げ足取りや悪口雑言は顧みるに値しないと考えている」(『完訳 統治二論』20頁)と述べている。

現代日本人が100回は口に出して読むべき文である。

昨今、リベラル極左勢力は以前からであるが、「保守」を自称する勢力までもが、要点に良心を払って根拠を示す事無く、唯々ただただ感情に任せた悪口雑言、誹謗中傷を繰り返すばかりとなっている。

SNSにはディスインフォメーション(誤情報)と罵詈雑言とがあふれ、国益を論ずる空間は日に日に縮小を迫られている。

ような言論空間が、我が国の国益に資し、何か事を良い方向へと進め得るだろうか。

悪口雑言は何も生まないのである。

確かに、根拠を示した真剣な言論よりも、根拠を問わず造り上げた "悪魔像" に悪口雑言を投げつける方が、手軽に勧善かんぜん懲悪ちょうあくを気取りたい者を集めやすく、金を儲けやすいのかも知れない。

の収益が数百万、数千万、数億ともなれば、笑いは止まらず妄言を吐き続ける口も止まらない事だろう。

しかし、悪口雑言は何も有意義なものを生まず、益を生み出さないばかりか、往々にして国益を害するものである。

SNSにデマや陰謀論をばらいて金を稼いでいる皆様に、少しでも良心があるのであれば、自分のしている事の罪を能々よくよく考えてもらいたい。

そして、"インフルエンサー" や "言論人" の言葉をみにしている皆様にかれては、自分が信用している相手は本当に信用に値するのか、信用に足ると言える根拠は何か、能々よくよく考えてもらいたい。

今、信用している相手が信用できない、嘘を流布する人物であったならば、貴方あなたは「騙されて養分にされている」という事であり、恥を晒し続けさせられている、という事である。

今一度、「要点に良心を払って根拠を示す」という原点にかえろう。

「常識」にかえろう。

私自身、自分の言動が品の良いものであるとは言わないし、時に強い言葉を用いる事もあるが、最低限、議論の要点を示し、根拠を示して話を進めているつもりだ。

『父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ』(教育勅語)

おのれ恭儉きょうけんの心を持しているか、博愛を大衆に及ぼすべく努めているか、学を修め智能ちのう啓発けいはつすべく研鑽けんさんしているか、徳器とくき成就じょうじゅしているか、の行動は「公益を広め」る事に繋がるか。

我々は一度、根本に立ち返るべきである。

の論稿は、ための一つにほかならない。

現在の我が国にいては、ラディカル・リベラリズムのうったえる、際限無き「人権」「自由」ばかりが注目され、「人権」や「自由」とは何であるか、「人権」や「自由」を制限し得るものがあるとすればれは何か、等の議論が軽視されている。

私の読解は未熟であるかも知れないが、持ち得る全力をくし、今の外来イデオロギーにれる我が国の未来のために、「政治哲学考究せいじてつがくこうきゅう Ⅱ ジョン・ロック『統治二論(市民政府論)』と暴走する天賦人権説てんぷじんけんせつ」を皆様に問いたい。

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ロックは前篇第一章の「序論」にいて   


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