体験をテキストに変換する、それは体験されたことと生成されるテキストとの対応付けであり、対応関係の特殊である。 その特殊な対応、関係性と関係項に媒介された対応付け機構として、ある種の一般性を持ちえる。それ故に、それとして存在しうる。 即ち媒介され、わたしは存続し、あるいは存在する。
「全ては表現の集積である」
傷付くことすら、悲しむことすら許されない(許せない)、これは別に傷付かないわけでも、悲しみを感じないわけでもない。 あえて言うなら、怪我することも痛がることも許されず、もしそれらをしようものならさらに鞭打つようなそんな振る舞いにたとえられるかもしれない。 自分の気持ちを認めたい。
したいことがわからなくなって、したくないことがたくさんあるだけ
前向きではないが、斜め前向きくらいでなんとか
「居場所はさまざまな粒度や階層ごとのアイデンティティ」によって成り立つ。 そして、「個人の経験やイメージは単に集められて全体を構成するのではなく、個々の経験やイメージが社会的・文化的な文脈において既に社会化されているため、その全体像もまた社会的・文化的な要素によって形作られる」。